◆第十一話『対ニヴル戦、なのっ③』
どうやら最後の指示は届いていたらしい。舞台端で転がったナノは騎士形態に変身していた。ただ、見るからにボロボロだ。鎧も盾も破損し、体があらわになってしまっている。
「な…………な、なの……」
傷だらけのままか細い声をこぼすナノ。
こんな姿のナノを見るのは初めてで、俺は思わず胸が痛くなった。あんなにも小さな体で、何倍も大きな竜相手に戦ってくれていたのだ。これ以上はもう──。
俺の頭に降参の文字がよぎった、その瞬間。俺ははっとなった。ナノから向けられた瞳がまだ勝負を諦めていなかったのだ。次はどうすればいい、と訊いてきている。
俺は下唇を噛みながら、ぐっと両手に拳を作った。
「天使10で治癒魔法をかけるんだ!」
「させないっ」
ニヴルがすでに距離を詰めてきていた。舞台上を這うように飛びながら、後ろ両脚を突き出してきている。
黒々とした爪は太く、先端は鋭く尖っている。万全の状態でも耐えられるかわからない攻撃だ。いまの状態で耐えきれるとはとうてい思えない。俺はすかさず追加の指示を飛ばす。
「狼30! 本体と天使たちは狼に乗って移動! 残りの狼はニヴルに接近して牽制!」
「ニヴル、飛翔!」
攻撃を受ける可能性を万が一にでも減らそうとしてか、キスフィが上空への逃げを選択した。さっきの《ギガントアロー》が思いのほか効いていているのだろうか。だとすれば、この好機を逃すわけにはいかない。
「ナノ、狩人──」
「──ニヴル、ブレスを吐きながら上昇して! ゆっくりでもいいわ!」
さすがに2度もチャンスはくれないようだ。
俺はナノへの指示を中断し、即座に言い換える。
「変更だ! 甲殻陣形! 天使1体と一緒に入るんだ!」
ナノが舞台に転がり落ちながら騎士の分身を生成。その身を守るように覆いかぶらせ、山を作った。直後、ニヴルによる《アイスブレス》が到達。その猛吹雪で舞台のすべてが再び呑み込まれた。
残された狼や天使の分身たちが逃げ場もなく直撃を受け、ぽんぽんと音を鳴らして消滅していく。
『またも襲いかかるニヴルのアイスブレス! しかし、小人もしっかり亀になって対応! 再び膠着状態へと持ち込みました! 召喚士たちの素早い判断、またそれに応える召喚獣たち! 新人とは思えないほどに洗練された応酬です! 一瞬たりとも目が離せません!』
俺の焦る気持ちとは裏腹に観客たちは大盛り上がりだ。ド派手な光景だけではない。きっと観客たちも気づいているのだ。勝敗が決するときが近づいていることを。
『しかし、展開は確実に傾いてきています! 小人は瀕死状態! さきほど治癒魔法を受けていたようですが、おそらく全快には程遠い状態でしょう! さあ、キスフィ選手、決めにかかるか!?』
アイスブレスはあくまで上昇する時間と隙を作るため。本命は──。
「ニヴル、クリスタルフォールッ! ダウンッ!」
やはり来た。
現れた皿型の氷塊へと足裏を押しつけたニヴルが、勢いのまま降下してくる。
万全から瀕死状態に持ち込まれた攻撃だ。もう1度受ければ確実に終わる。凌ぎ切るには完全に躱しきるしか方法はない。
だが、そんな場所は舞台のどこにもない。空に逃げようにも肝心の飛行能力持ちの天使では遅すぎて安全圏まで逃げようにも間に合わない。いったいどうすれば──。
頭が窮屈な感覚に襲われ、痛みを感じ始めた、その瞬間。俺はある光景を思い出した。それは騎士形態が天使形態を盾で空へと勢いよく打ち上げるところだ。
たしかにあの方法なら天使形態を加速させられる。ただ、あれぐらいの加速では間に合わない。だが、いまのナノには──。
「狩人1! 本体は天使に──」
俺が指示を飛ばす最中、ついに脅威が間近に迫った。溜まっていたブレスの白霧を押し出しながら、氷塊が舞台に激突。地鳴りのような音を響かせた。
溢れるように舞台から散った白霧が視界を埋め尽くす。なにがどうなったのかがまるで確認できない。はっきりと確認できるのは、舞台の中央で蠢く大きな影──ニヴルの存在だけだ。
俺は不安で押しつぶされそうになる中、喉が痛むぐらい大声で叫ぶ。
「ナノッ!」
『舞台は白い霧で覆われて確認できません! しかし、あの様子では直撃は必至。おそらくはもう勝敗は決し……て……いえっ、空に浮かぶあの小さな影は……!』
実況の声につられて、多くの観客が空を見上げた。直後、会場中がどよめいた。無理もない。舞台外の空に天使形態のナノが浮遊していたのだ。
『なんということでしょうか!? あの絶体絶命の場面から逃げ延びていました! いったいどんな手品を使ったのか!? クレイン選手、小人! 劣勢の最中、まだ勝負は決めさせないと意地の粘りを見せます!』
逃げ延びた方法は単純。氷塊が激突する直前、天使形態のナノ本体へと狩人が矢を放ち、舞台外の空へと飛ばしたのだ。
いまは矢が消滅してしまって見えないが、服に引っかけたのだろう。細かい指示を出す暇はなかったが、自己判断で上手くやってくれたようだ。
あの氷塊落としを回避できたことは大きい。だが、俺はすぐさま安堵する気持ちを切り替えた。相手の攻撃を回避しただけで勝敗は決まっていないからだ。
いま、この瞬間、初めてナノがニヴルを見下ろす構図となった。またナノが持つ必殺技の存在を観客の全員が知っているからか、今日一番の歓声が沸き起こった。
期待されずとも、そのつもりだ。
ナノも完全に回復したわけではない。そのうえ相手はキスフィ。この機会を逃せばあとはない。俺は魔力量の心配を頭から取っ払い、指示を飛ばす。
「ナノ、天使30! 狩人30! 天使で落下を緩めながら空中で──」
「……ニヴル、ダイヤモンドダスト」
そのキスフィの声は氷のように冷たく紡がれた。
呼応するようにニヴルが天へと向かって遠吠えのごとく咆哮をあげる。と、舞台とその上空すべてがきらきらと輝きを放ちはじめた。
煌めきの正体は小さな氷の結晶だ。それも数えきれないほどたくさんの結晶が視界を埋め尽くしている。その美しさに多くの観客が見惚れ、呆然としている。だが、光景が綺麗だからという理由だけでないことは誰の目にも明らかだった。
「な、の…………」
空中にいたナノと、生成したばかりの狩人の分身たちが空中で凍りついていた。氷の中で身動きがいっさいとれないのか。抵抗らしい抵抗もなく、落下を開始。それぞれが舞台外の地面に激突していった。
分身たちが硝子のような音をたてて割れ、消滅していく。そんな中、本体のナノだけは重い石が落ちたかのようにドスンと鈍い音を鳴らした。割れずに済んだのは幸いだが、氷の中のナノは当然ながら身動き1つしていなかった。
「ナ、ナノ……!」
俺は慌てて駆け寄るが、その体に触れることは出来なかった。氷が邪魔したからではない。ナノの体が燐光と化し、俺の左手首にはめられたブレスレット──トリンケットの中へと入っていったのだ。
舞台外に落下したこと。
トリンケットに戻ったこと。
2つの理由から勝敗は決していた。
凍りついたかのように静まった会場の中、審判の声が高らかに響き渡る。
「それまで! 勝者、キスフィ・オルグラント!」




