◆第十一話『くすぐったい、なのっ』
「特別演習場は許可をもらわなければ入ってはいけない場所です。どうしてあなたたちがあそこにいたのですか?」
学園の指導室にて。
俺はシリル先生から詰問を受けていた。
シリル先生に向かう形で椅子に座っている。ちなみにナノは俺の膝上ですやすやと睡眠中だ。きっと戦闘で疲れたのだろう。
ほかにはキスフィとザグリオもいる。キスフィはシリル先生が駆けつけたタイミングで一緒にいたことから。ザグリオに関しては、特別演習場から逃げてきた目撃情報や明らかにおかしい挙動だったことから捕まった形だ。
キスフィは相変わらず無表情で動揺すらしていない。そもそも彼女は俺を助けにきただけで悪いことをしていないのだから当然だ。
相反して、ザグリオのほうは見るからに怯えていた。おそらく〝躾〟なんて馬鹿げたことで俺を呼び出したことが大事に繋がり、怒られると思っているのだろう。
「この学園、すごく広いじゃないですか。だから早いうちに散策してたんです。たぶん、ザグリオも一緒なんじゃないですか。な?」
どうしてと言わんばかりの顔を向けられた。俺だってザグリオを庇うのは癪だ。ただ、これだけ怯えられると放っておけなかった。
ザグリオが「そ、そうです」と答えると、シリル先生が少し憮然とした顔を見せたのち、息を吐いた。
「規則は規則ですから。3人には、あとで処分を下さなければなりません。といっても軽いものです。反省文とか、掃除とか。そんなものです」
退学なんてことになったらどうしようと一瞬思ったが、どうやらその心配はなさそうで一安心だ。
突然、扉が小突かれた。
シリル先生の許しを得て、入ってきたのは1人の男性教師だった。その男性教師を見た途端、シリル先生が目をぱちくりとさせる。
「……どうなされたのですか?」
「お話し中に申し訳ありません、コレクティーヌ先生」
歳は30歳程度。高身長なうえに目鼻立ちの整った顔。後ろで結われた白銀の髪が特徴的だが、男として非の打ち所がないといえる外見だ。
俺は男性教師を横目で見ながら、キスフィにこっそりと問いかける。
「たしか次期学園長って噂されてる人だったよな」
「ええ。セイ……セイナス先生ね」
「セイン・シグナス先生だった気がする」
「……わたしもそう言うつもりだった」
入学式で教師を代表して挨拶していたこともあり顔を覚えていた。それにしても、そのシグナス先生がいったいなにをしにきたのか。
シグナス先生が縮こまったザグリオのほうをちらりと見たのち、さっきのシリル先生の問いに答える。
「彼を預かりに」
「そういうことでしたか」
いまの少ないやり取りでシリル先生は理解しているようだったが、俺にはさっぱりだった。思わず「どういうことですか?」と訊いてしまう。
「彼の家とは浅くない付き合いなんだ。だから、わたしから話をさせてもらおうと思ってね」
「シリル先生の生徒なのに、ですか?」
「彼女には悪いと思っているけどね」
「いえ、そんな。わたしのことは気にしないでくださいっ」
シグナス先生の言葉に恐縮しきった様子のシリル先生。2人の中にわだかまりはなさそうだが、俺としてはなんだかもやっとしてしまった。そんな俺の不信な気持ちを感じ取ったのか、シグナス先生が柔らかな笑みを向けてくる。
「そうか、きみが期待の新星くんだね」
「アル・クレインです」
シグナス先生は俺の返事に満足そうに頷くと、今度はキスフィのほうを見やる。
「そしてそちらがキスフィ・オルグラントさんだね。きみの噂も聞いているよ。素晴らしい翼竜を出した、とね」
「……はあ」
「一度、見てみたいものだ」
「授業に来てもらえれば」
相変わらずの素っ気ない返事に、シグナス先生も困惑気味だった。ただ、キスフィを見る目がぎらついているように見えた。なんだか一緒にいる時間が長ければ長いほどいい気がしない人だ。
「さて、そろそろお暇させてもらうとするかな。これ以上、長くいると体のどこかに穴が空いてしまいそうだからね」
俺のほうを見ながら、シグナス先生がにこりと笑った。
どうやら俺の視線に気づいていたらしい。
「さあ、行こうか。ジョストンくん」
「は、はい……」
シグナス先生の手が肩に置かれた瞬間、ザグリオがひどく怯えた様子で頷いていた。浅くない付き合いだという話だが、あそこまで怖がるものだろうか。……なにか深い事情がありそうだ。
シグナス先生がザグリオを連れて部屋を去ったのち、シリル先生が息をついた。
「さて、クレインくん。本当のことを話していただけますか?」
入学初日から少し抜けたところばかり見ていたこともあり、向けられた顔から余計に真剣さが伝わってきた。これはもう誤魔化せる雰囲気ではなさそうだ。
「やっぱりわかっちゃうんですね」
「当然です。先生はきみの担任ですし、それに学生寮でも一緒なんですから。きみとオルグラントさんのことは、ほかの子よりもずっとわかるつもりです。そうですね、弟や妹といった感じです」
「子どもじゃないんですね」
「先生、まだそんな歳じゃないです。それに……ど・く・し・ん、ですっ」
「ご、ごめんなさい」
俺は思わず謝罪を口にしてしまった。
凄まじい迫力だ。
「よくわからないんですけど、あいつに嫌われてるみたいで。あそこに呼び出されて……戦闘を仕掛けられました」
「やっぱりですか」
シリル先生がまなじりを下げた。
「ジョストンくんの自尊心が強いことは、なんとなくわかっていました。クレインくんは入学初日から注目されていましたから、きっと意識してしまったのでしょう。ただ、そこまでとは……」
「今朝なんてあなたのことをずっと睨んでいたわ」
キスフィがさらっと言ってきた。今朝と言えば、ナノが女子にちやほやされていたり、俺が王女様に声をかけられたりと色々あった。……たしかに思い出せば、ザグリオがイラつきそうな要素たんまりだ。
「今回のことで少しは落ちついてくれるといいのですが。とにもかくにも、これからはもっと注意深く見守る必要がありますね」
さらにシリル先生が物憂げな顔になった。ため息をついたのち、「それにしても」と話を続ける。
「学園の敷地内に塵獣が現れるなんて……それも3体。前代未聞です」
「たぶん、塵界門が開かれていました。空からだったのではっきりとはわかりませんでしたが、おそらく」
「やっぱりですか。どの辺りだったかは覚えていますか?」
「特別演習場の外側……ほとんど壁際だったと思います」
シリル先生につらつら報告するキスフィ。キスフィが淡々としているせいで、なんともないことのように思えるが、かなり異質な出来事だ。
「あの、塵界門って俺たちの人間界と、塵獣たちが跋扈する塵獣界を繋ぐものですよね。そんな簡単に出るものなんですか? 話では聞いたことあるけど、実は俺、まだ見たことがなくて」
「塵界門がいつ、どこで現れるのかはまだ特定できていません。ただ、意図的に出されることもあります」
「――塵王教会」
そう口にしたのはキスフィだ。シリル先生が神妙な顔で頷く。
「塵獣たちが人間界に攻め入るのは穢れた人間界を浄化するためだ。そうした思想をもって塵獣界に肩入れする人たちが集まった組織です。彼らはすでに塵獣と接触し、人間界に引き入れる術を持っているとされています」
「じゃあ、学園の敷地内に塵界門が出たってことは……」
「……考えたくはありませんが、その可能性はあるでしょう。わたしもこれから信頼できる方とともに調査を進めるつもりです」
どうやら思っている以上に大事のようだ。協力を申し出たいところだが、いまの自分がまだまだ未熟なことは痛感している。もどかしいが、ぐっと我慢した。
「ともかく、いまはみんなが無事で本当によかったです。先生、自分の生徒が塵獣と戦ったと報告を受けたときは心臓が飛び出るかと思いました」
「……心配をかけてすみません」
「いいんですよ。こうしてまた元気な姿で戻ってきてくれたのですから」
にっこりと笑みを向けてくるシリル先生。死闘といってもいい戦いだったからか、その優しさが改めて身に染みた。
「でも、こういってはなんですが……よく勝ってくれたという気持ちが正直なところです。魔導駒との戦闘を見る限りでは、塵獣との戦闘はまだ早いと思っていたので。等級も4相当だったのでしょう?」
シリル先生がキスフィのほうを見ながら問いかけた。
「はい。あれは4等級のファットファングでした。家の都合で見たことがあったので間違いないと思います」
塵獣には強さに応じて1等級から5等級まで割り振られている。召喚士にも等級が割り振られるが、基本的には等級に応じた塵獣を討伐できるかどうかが判断材料となる形だ。
今回、俺たちが相手にしたのは4等級。つまり2番目に弱い等級というわけだ。グランドマスターがどれだけ遠い存在かを思い知らされた形だが……悲観はしていない。それもこれもナノが見せた形態変化のおかげだ。
「今日、シリル先生にもらった紙があったじゃないですか。最初はあれを見てもなにもわからなかったんですけど……今日、塵獣と戦ってるとき、急に読めるようになって。それでそのとおりに叫んだらナノがあの絵のとおりに変化したんです」
信じられないような話だが、この場に笑うような人はいなかった。
「この子は文字を理解しているみたいだったし……もしかしたら、この子を通じて理解できたのかも」
「そうですね。召喚士とその召喚獣は強く結ばれていますから」
キスフィに続いてそう口にするシリル先生。その顔は朗らかだったが、次の瞬間にはひどく残念そうに歪んでしまった。
「でも、できれば先生も直に見てみたかったです。ナノちゃんの、狼姿」
「……すごく可愛かった」
キスフィが心なしか顔を綻ばせながらそうぼそりとこぼした、瞬間。「なの……」とナノが目をごしごしとこすりながら目を覚ました。
「悪い、起こしちゃったか」
大丈夫だとばかりにナノが笑顔を向けてきた。
「なあ、ナノ。起きたばかりで悪いけど……先生に狼形態を見せてもいいか?」
「なのっ」
もしできなかったらどうしようなんて不安もあったが、エンチャントと同じ要領で「狼形態」と唱えると、無事に変身できた。
「たしかに、とっても可愛いですね。見た目どおり、もふもふでいつまでも触っていたくなります……」
シリル先生はナノのもこもこの耳や尻尾を堪能していた。ナノのほうも、くすぐったそうではあったが、悪い気はしていないようでされるがままだ。
そんな光景をキスフィがどこか物欲しげな目で見つめていた。それだけでなく、うずうずしているようにも見える。
「もしかして、キスフィも触りたいのか?」
「……そういうわけじゃない」
「遠慮しなくていいんだぞ。ナノ、キスフィにもいいか?」
「だから、わたしはべつにっ」
最後まで否定していたキスフィだが、シリル先生から「はい、どうぞ」とナノを差し出され、完全に押し黙っていた。どうやら本当に触りたかったらしい。
わずかな抵抗を見せたものの、ついには手を伸ばしてナノを抱き上げるキスフィ。その顔がふにゃっと崩れるまで――いや、とろけるまで時間はかからなかった。
「あのキスフィがなぁ……」
「オルグラントさんも女の子、ですね」
俺とシリル先生の会話も聞こえないぐらい夢中になっているようだった。キスフィはナノをぎゅっと抱きしめながら頬ずりしている。
時折、ナノをじっと見ているような気はしていたが……もしかするとずっと抱きしめたいと思っていたのかもしれない。だとすれば望みを叶えてあげられてなによりだが、たった1度では満足してもらえなそうだ。
そう思うほどにキスフィの目にはナノしか映っていなかった。
「あぁもうっ……どうしてこんなに可愛いの……っ」




