始まりの合図
俺は、暗闇の中走っていた。
なぜ走っているのかは自分でもよくわからない。
もうしばらくずっと、こうやって走っている気がする。
長い間なにかを求め続けて、走っているのだ。
一体それが何なのかよくわからなかったが、走らずにはいられなかった。
1人でいることには慣れたはずなのに、この暗闇のせいか、こわくて心細くて仕方がなかった。
人と馴れ合うなんて、大嫌いなはずなのに、誰かに助けて欲しかった。
「...あれは、なんだ?」
しばらくすると遠くに光が見えてきた。
やがてその光はだんだんと人の形になっていく。
見覚えのあるそのスラリとした後ろ姿は...。
「......かあ、さん?」
その人が黒くて綺麗な髪を揺らしながらゆっくりと振り向くが、光が眩しくて顔がよく見えない。
でもなぜかわかる。あれは俺の母さんだ。
「ハァ、ハァ......母さん!母さん!待って、おいてかないでくれ、かあさん!!」
俺は精一杯叫んだ。
なぜ、母さんは待ってくれないのだろう。
全速力で走っているつもりなのに、どんなに走っても母さんとの距離は少しも縮まらない。
『カイト、ーーー。』
母さんがなにか話している。なにを言ってるんだ?わからない。
「......っ!かあさん...?」
そのとき、母さんの頬に一筋の涙が伝った、ような気がした。
ーーーーーーー
「......かあさんっ!!!」
自分の大きな声とともに目がさめると、カーテンの向こうが明るいことから、朝になったと理解した。
「またこの夢か。」
俺は昔から同じような夢を繰り返し見ている。暗闇の中で必死に走って、母親を追いかける夢。
もうとっくの昔に母親には捨てられたはずなのに。
俺の母親は、自分が5歳のときに姿を消して、それ以来行方がわかっていなかった。
ちょうど父が交通事故で他界した次の日だった。
父親を亡くし、母親に捨てられた俺は周りの大人たちから「かわいそうに。」という言葉をたくさんかけられた。
だが、みんなかわいそうと思っても、助けたいとは思わないらしい。
そりゃそうだろう。よその家の子供のことなんて、周りの大人たちからすると所詮人ごとなのだ。
しかし、5歳だった俺は1人で生きていけるはずもなく、親戚をの家をたらい回しにされて生きてきた。
いっそのこと施設に預けてくれればいいものを、と思っていたが俺が決めれることではなかったため、その窮屈な大人たちに従うしかなかった。
おかげさまですっかり俺はひねくれた人間になってしまった。
まったく、中途半端な大人の同情心は迷惑なだけなのだ。
いつも夢の中では母さんの後ろ姿をただ追いかけていた。
自分を捨てたような母のことを今も追いかけている自分に嫌気がさす。
きっとまだ小さな頃は信じていたのだ。母親が戻ってくるのではないかと。
年齢が上がるにつれて、母親のことを期待する自分はいなくなったし、高校に上がって一人暮らしを始めるようになってからは、全く夢も見なくなった。
しかし、どうして久しぶりにこんな夢を見たのだろうか。
しかも今回は、いつもと少し違ったような気がするのだ。
「母さん、泣いてた......のか?」
いつもは後ろ姿しか見えないのに。
「...まぁ、いいか。」
今更なんだというのだ。
俺はもうすべて忘れて1人で生きていくと決めたのだ。
そう心に言い聞かせ、喉がかわいたためにベットから立ち上がってキッチンへ向かった。
そのときだった。
ふと、部屋の玄関のあたりが光ったように感じたのは。
「...え?光ってる?」
おそるおそる近づいてみると、玄関ポストが光っている。フワッとしたやさしいオレンジの光だ。
玄関ポストの中を見てみると封筒が入っていた。
どうやらひかっているのはこの封筒らしい。
封筒にはこう書かれていた。
『カイト様。
元気でいますか?
今日からあなたに、あなたの弟をあずけます。
無理は承知でお願いしています。ですが、もう、あなたしか頼れる人がいません。
迷惑をかけて申し訳ないと思っています。ですが、どうか、どうかお願いいたします。
最期のわたしのわがままを許してください。』
「......いや、いたずらにしては悪質すぎるだろ。」
まさか自分がこんないたずらをされるとは思っていなかったから驚いた。第一、俺に弟などいない。家族がいないのだから。
でも、一体誰がこんないたずらをしたのか...。
そんな疑問をぐるぐると巡らせていたら、ふと時計に目がいった。
「やばい!もうこんな時間だ!」
時間は朝の8時。あと15分で朝礼が始まるのだ。
家から学校までは全力で走れば10分。
まだ間に合う。
俺は急いで支度をして家を飛び出た。
その時の俺は、まだ気づいていなかった。
これから、あんなに大変な日々が始まるなんて。