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20.大事件

「リリー、俺はこれから長期滞在に行ってくる」

「……にゃっ(……えっ)」




 それは突然だった。

 長期滞在? この2週間くらいの今まででなかった突然の出来事に驚いてしまう。

 そんな私に、エヴァン王子はあまり多くの荷物は入らないだろう鞄に色々とものを詰めていく。

 その姿を見て滞在は本当なんだ、と悟ると、王子は何処か思いつめたような顔をしていた。





 不安になってその顔をじっと見上げれば、王子はそんな私の視線に気づいてふっと微笑むと、「大丈夫。 長期とはいえ1週間くらいですぐ戻るから」と言って私の頭を撫でて行ってしまう。

 その背中を見送ろうと部屋を出ようとした王子は立ち止まり……。





「!」





 私を抱き上げて頰を擦り寄せられた。

 あまりの顔の近さに一気に鼓動が速くなるのを感じて、王子の顔を見て、その顔に今度はハッとする。



(……王子、どうして……)



 ……そんなに、苦しそうな顔をしているの?





 エヴァン王子は顔だけ微笑みを浮かべると、私の目を見て言った。




「……リリー、もし俺が居なくても、お前はここに居て良いんだぞ。 ……オフィーリア様にもメイナードにも、頼んでおくから」

「……!?」



 王子はそう言ってするっと私を下ろすと、「またな」と言って行ってしまう。




「っ、にゃ、にゃー!!(っ、ま、待って!!)」




 そんな私の声を避けるように、王子はドアをバタンと閉めて行ってしまう。




(……っ、“もし俺が居なくても”? ……嫌な、予感がする)




 さっきまでドキドキしていた鼓動が、急激に冷えて凍りついたように、私の胸騒ぎはおさまることはなかった。






 ☆







 エヴァン王子が“長期滞在”へ向かってから3日。

(もうすぐで、猫の姿で生活するのも3週間目になる……)




 お城での猫生活はかなり慣れた方だと思う。

 ……だけど、胸にはぽっかりと穴が空いたような気分になっている。

 それはきっと……。





 私はベッドの上の隣の枕……エヴァン王子が普段寝ているはずの枕を見る。



(あれから王子についての音沙汰はなし……この胸騒ぎが何でもなくて、王子が後4日後に帰ってきてくれさえすれば、不安なんて何処かに飛んでいくんだろうけど……)



 エヴァン王子の部屋から普段廊下にすら出ない私は、廊下の外側のことを知らない。

 だから、王子の噂さえ耳にすることができないでいるのだ。

 魔法も何も使えない、ただでさえ猫姿の私は、王子の身を案じることしか出来ない無力さを実感させられるだけで。

 そうして目を瞑っていたその時、不意に気配を感じる。



「!」



 そこに現れたのは、オフィーリア様だった。




「お、オフィーリア様? ど、どうかなさったのですか?」




 いつもとは様子が打って変わって、取り乱している様子のオフィーリア様。

 少し深呼吸をしてから私の両肩を掴むと、オフィーリア様は「落ち着いて聞いてね」とゆっくりと、私を真正面から見て口を開いた。




「エヴァン王子が……滞在先で何者かに襲われたの」

「え……?」





 頭が、目の前が真っ白になる。





 ……王子が……エヴァン王子が、誰かに、襲われた……?





「っ、ど、どういうことですか!? 説明してください! 王子は、今どこへ……っ」

「リリアン、落ち着いて……」

「落ち着いてなどいられません! 王子の所に、今すぐ行かせてください……!」

(っ、何も……何も出来ないかもしれないけど……! 王子が、襲われただなんて聞いてじっとなんかしてられないもの……!)




 そんな私の言葉を聞いて、オフィーリア様は不意に私の首を触る。

 その首から伝わるひんやりとした温度に驚きつつ、逆上した血が少しだけおさまるのをかんじる。

 オフィーリア様は黄色い瞳でじっと私を見つめて言った。




「……落ち着いて、話を聞いて頂戴。

 私も出来ることなら貴女をあの子の元へ連れて行ってあげたい。 ……だけど、今はそれが出来ないの。

 下手に動けない状態にあるから」

「っ、ど、どういうこと、ですか……?」




 声が震える。 下手に、動けない? 会いにも、行けないって……。




「……私も油断していた。 私の魔力で守っているからと思っていたの。

 だけど、黒魔法を纏った武器で、王子の暗殺を企てたものがいて……犯人は捕まったのだけれど、王子は……」

「っ!! え、エヴァン王子は!! 無事なんですか!?」



 私は逆に、オフィーリア様に掴みかかってしまう。

 驚いたオフィーリア様は狼狽えながらも、説明を続ける。



「えぇ、私が加護で守っているからなんとか、という感じね。

 ……でも、かなりの深手の傷を負っているから、今はずっと昏睡状態に陥っているの。 ……峠はまだ超えていない、と思うわ」

「そ、それじゃあ、王子は……」





 ……助かるか分からない、ということ……?





「っ、わ、私……王子を、止められなかった……」





 3日前、いや、4日前からエヴァン王子の様子がおかしいことに気が付いていた。

 4日前は私に何かを言いかけてやめて、3日前……長期滞在へ向かうと行った時、私に向けて言った言葉は。





「“もし俺が居なくても、お前はここに居て良いんだぞ。 ……オフィーリア様にもメイナードにも、頼んでおくから”って。 私に、そうエヴァン王子は、言ったんです。

 ……っもうあの時から! 王子はこうなることが分かっていて、それでも滞在先へ向かったんです!!」




 オフィーリア様は唇を噛む。 私もボロボロと目から涙が溢れて止まらない。




(っ、王子を、守れなかった……近くに、側に、居てあげられなかった……!)




 ―――王子にはこんなにも幸せを案じてもらっていたのに……。






 ……いや、まだ諦めない。 エヴァン王子の幸せを、私は……―――






「……オフィーリア様」





 私はゆっくりと顔を上げてオフィーリア様をじっと見つめて言った。





「私を、エヴァン王子の元へ連れて行って下さい」

「え……駄目よ! そんなことをしたら、今度は貴女が狙われるのよ!?」

「だけど!! ……このままここにいたって、私は同じ……いえ、後悔すると思います!

 ……エヴァン王子の、力になりたいから……少しでも、助けになりたいから……」




 王子は、私のことをいつも温かく見守っていてくれた。

 私のことをリリーの姿もリリアンの時も、同一人物だとは気付いていないけど、いつでも思っていてくれた。




「……今度は、私の番なんです」






 ……ハンカチを渡した時は、“貴方は一人じゃない”という意味を込めて刺繍したけど。





 今は……。






「っ私が、王子の、側にいたいんです……」





 こんなの、私のエゴだって分かってる。 ……それでも私は、気が付いてしまったんだ。

 この気持ちの正体がなんなのか……。

(……エヴァン王子と、このままお別れだなんて嫌だ)

 こんな形での別れ方も、王子がこんな運命で終わってしまうのも、私は望んでいない……!




「オフィーリア様、お願いです。 どうか私を、エヴァン王子の元へ連れて行って下さい」




 1分でも、1秒でもいい。

 貴方の、側にいたい……。





 オフィーリア様は少し思案した後、やがてふっと少しだけ笑みを見せて言った。






「……全く、貴方達は本当に似た者同士ね。

 頑固なところが特にそっくり」

「えっ」




 エヴァン王子が頑固? それに私も?

 首を傾げていると、「まあ、それはまた今度お話しましょう」と言うと、私に人差し指を向けて言った。




「エヴァン王子に直接会うことは、今の私も貴女にとってももとてもリスキーなことなの。 ……黒魔法で、エヴァン王子の周りを固められているからね」

「! で、では、どうすれば……」


 







 オフィーリア様は「だから、相手にバレない方法ギリギリの線をついてみることにするわ」と言うと、その口元が悪戯っぽく弧を描く。

 そしてその目がキラッと光ったのだった。


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