16.思いを込めて
そして王子の規則正しい寝息が聞こえ始めた頃、私は体からじわっとした感じを覚え、慌ててバルコニーへ飛び出す。
(……やった!)
私の体は、無事に人間の姿になっていた。
(タイミングがよくて、本当に助かるわ)
とうれしく思っていると、次の瞬間パァッと私の体の周りが光り始める。
(! オフィーリア様の転移魔法!)
そう思ったのも束の間、私は一瞬でその場を後にしていた。
……その時に、エヴァン王子がふと目を覚まして「リリー?」と呟いていたことにも無論、気づく由もなかった。
「あ、良かった! 無事に人間の姿になれたのね!」
「はい! お陰様で!」
私は嬉しくてオフィーリア様に抱きつくと、オフィーリア様は「ふふ」と嬉しそうにわたしを抱きしめ返してから、「さて、時間もないし早く始めなければね」と言って、机の上に置いてあったハンカチと裁縫道具を指差して言った。
「! な、何から何まですみません……」
刺繍のことばかりで、肝心の道具を用意するのを忘れていた。
オフィーリア様は首を振って「いいのよ、丁度家にあったし」と言ってニコリと笑った。
「あ、それにしても刺繍は何にするか決めたの?」
「はい、そのことでお願いがあって……」
「? 何かしら?」
「この国の紋章の絵ってありますか?」
私の言葉に、オフィーリア様は驚く。
「え、紋章!? それを今から刺繍するの? 流石に時間が間に合わないんじゃ……」
「いえ、紋章全てではなく、その紋章の一部を刺繍したいんです」
私は刺繍の説明をするために、口を開いた……―――
☆
夜に人間の姿に副作用としてなれる時間は、自分で望むより少し長い。
数えてみたら、平均3時間くらいだった。
……それまでには、何が何でもこの刺繍を終わらせないと。
私は一心不乱にハンカチに刺繍をしていると、オフィーリア様は私の手元を見て感心したように言った。
「凄いわね……! 3時間で出来るかなと思っていたけれど、貴女とても手先が器用なのね」
「そ、そうですか? ……でも、刺繍が出来るのは多分、ずっとやっていたからですよ。
友達と遊ぶのもあまりせずに、家にいることが多かったので」
「……そうだったのね」
女の子とも遊んでいる時も、この髪や瞳のことを言われた。
私は侯爵令嬢だから、“綺麗ね”と口を揃えて媚びを売るように言う女性が多かったが、その裏では散々の言われようだったことを知っている。
だから実質、本当に友達と呼べる相手がいなかった私は、一人で家にこもって勉強をしたり、刺繍をしたり、料理をしたりすることの方が好きだった。
「まあ、私は一人が好きだったんですよ。
楽で良いなって」
側に両親がいてくれて、侍女もいてくれたからそれでよかったんだ。
……例えこの瞳と髪を他人から馬鹿にされても、私を分かってくれる人が一人でもいたから、私は強くなれた。
「……だけど」
私は一瞬、疲れてしまった手を休めるように、途中まで出来た刺繍をそっと撫でながら口を開く。
「……最近、思うんです。 誰かの隣が、こんなに温かったんだなって」
「!」
オフィーリア様は何も言わない。 私は言葉を続ける。
「……エヴァン王子は私に、言ってくれたんです。 “大切だ”って。 ……それは心からの言葉だって、私、知っているんです」
……私を温かく見つめる瞳。 頭を撫でてくれる手も、優しく微笑む口も、リリアンのことを誰より思ってくれている心も、甘く鼓膜を震わせるように響く声も……。
「……男性が苦手だと思っていたけど、エヴァン王子に出会ってそうでないと、思えるようになったんです。
それに……」
「?」
私は口を開きかけ……言葉を飲み込んだ。
「……いえ、やっぱり何でもないです」
私はその言葉をはぐらかすと、もう一度刺繍することを再開する。
オフィーリア様はそんな私を見て何か言おうとしたが、口を噤み、私の手元をじっと見つめていたのだった。
――“エヴァン王子以上に、素敵な男性はきっと、いないと思います”……
☆
「……出来た!!」
「! 凄いわ!!」
私がそう声を上げると、オフィーリア様は手を叩いて自分のことのように喜んでくれた。
でも私は、一瞬でふと我に帰る。
「? どうしたの?」
一気に暗くなった私を見て、オフィーリア様はそう問うた。
「……エヴァン王子、喜んでくれるかな。
私、この刺繍で本当に良かったのか、今ふと思ってしまって……」
「! ……大丈夫よ」
オフィーリア様はそう言って私の両手を取ると、にこりと笑ってみせた。
「貴女の思いは絶対に伝わる。 ……そうでないと、こんなに綺麗な刺繍は出来ないわ」
ふふ、とオフィーリア様は笑ってそう言ってくれる。
私は何だかこそばゆくて、「有難うございます」と返せば、オフィーリア様は「あ、良いことを思いついたわ」と私から手を離すと、パタパタと部屋の奥へ行ってしまう。
そうして少し時間をおいて、オフィーリア様は私に綺麗なレターセットを差し出した。
「貴女の思いをここに書いてみたらどう?
今考えてること、思ってること、刺繍に込めた思い……あの子にぶつけてみたらどうかしら?」
「! ……書きます!」
私はレターセットを両手で受け取って「ありがとうございます」と言えば、オフィーリア様は何処か、慈しむかのような目をしてにこりと微笑んでくれたのだった。




