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9.人間の姿で、貴方と

 バルコニーから中の様子をそっと伺っていると、ガチャ、とドアが開いて入ってきたのは。



(……ん?)




 そこにはジーンさんと、その隣でかなり酔っ払っているエヴァン王子の姿で。

(……エヴァン王子が珍しい)

 お酒が好きなのだろうか。

 バルコニーの少し開いた戸の隙間から、声が聞こえてきた。




「エヴァン王子、いくらこの夜会が嫌だからとお酒を飲みすぎですよ」

「いいだろ、別に。 ……こんなくだらない夜会、そもそも馬鹿げているんだ」




 口調だけを聞いたらあまり酔っ払ってはいないが、間違いなく足取りがおぼつかないエヴァン王子を見て、ジーンさんはため息をつく。



「まあ確かに、お気持ちは分かりますけど。

 今夜はしっかり戸締りをして下さいね」

「無論だ。 この部屋に見知らぬ女を入れてられてたまるか」

(……申し訳ありません、王子。 もう既に私が入っております)




 私は王子のその言葉に内心で謝りながらも様子を見守る。




「……? そういえば、リリーがいないぞ」




 そのエヴァン王子の言葉に、私はギクッとする。



「? 何処に行ってしまわれたんでしょうか? 他の部屋を見てきますね」




 ジーンさんはそう行って、バタンとドアを閉めて行ってしまう。

 エヴァン王子はそのまま鍵を閉めてしまった。




「……気が抜けない。 ……こんなくだらない夜会も、寄ってくる女も。 心底どうでも良い」

「……っ」




 エヴァン王子はそう吐き捨てるように冷たい瞳で言い放ち、ベッドに横たわった。

(……寝たのかな)



 


 そう思って様子を伺っていれば、王子のボソッと呟いた声が聞こえ、何をするかと思えば、こちらに歩み寄ってきた……!




「……きゃ!?」




 思わずそう声を漏らせば、王子は立ち止まる。



「……リリ、アン?」

「……」




 私は一歩も動けずにいた。 ……深い緑色の瞳が真っ直ぐに、私を捉えている。

 酔っ払ってはいるだろうけど、これが夢であるとは思っていないと思う。

 背中を冷や汗が伝う。




「……リリアン」




 そう再度呼ばれ、私は心臓が止まりそうになる。 それと同時に、エヴァン王子が私にゆっくりと歩み寄ってくる。




「……っ来ないで!」



 気が付けば、そう大きな声で私は叫んでいた。

 ハッとした時には遅い。

 驚いたような顔をしてエヴァン王子は立ち止まっていた。




「……っ、ごめんなさい」




 私がそういえば……。




「!?」




 今度は足早に、私の元に歩み寄ってきた。

 驚き固まってしまった私の足はその場で動かなかった。 ……いや、動けなかった。

 ……それは、エヴァン王子の瞳にうっすらと涙が溜まっていたから。




 王子は私の目の前に来ると、ようやく立ち止まって私の頰に手を添えた。




「……リリアン、なのか?」

「……」



 私は何も言えなかった。 それを見た王子は、縋るようにもう一度、私に問う。



「お願いだ、答えてくれ。 ……君は、リリアン・マレット、だろう?」

「……っ、は、はい」



 弱った声で聞かれては答えるしか術がない。

 私は震える声でそれだけ言えば、王子はふわりと微笑んだ。

 ……その顔はあどけないような、何処か色気も混じっていて。

 私はハッと息を呑んだ。




「……リリアン」




 エヴァン王子は、私の頰に手を添えて呟く。




「……これが夢でもなんでも構わない。 ……側にいてくれるのなら、それで、俺は良い」



 そう言ってにこりと笑い、私を優しく抱き締めた。

 私はその言葉に涙が出てきてしまう。

 それを感じ取ったのか、王子は私から体を離し、驚いたように言う。



「どうした? い、嫌だったか!?」

「……い、いいえ、そうでは、ないんです……」

(……私は、エヴァン王子を騙しているのに)



 こんなに王子は、私を大切に思ってくれているのに。 私は、何をやっているんだろう。

 猫の姿になって、王子の側にいて見守っていても、王子の瞳に映るのは私ではなく“猫”の私なのに。

(いつまで私は、この人から逃げているんだろう)



 でも言えるわけがない。 私は本当は、貴方の側にいる“三毛猫のリリー”なんです、と。

 それを言ってしまったら、私は“仮死状態”になって、貴方の側にはいられなくなってしまうのだから……。






「……泣き止んでくれ、リリアン。 君には、涙は似合わない」

「!」



 そう言って、涙を優しく拭いてくれるエヴァン王子に、再度泣きそうになるが、私は慌てて堪えて「はい」と少しだけ笑ってみせる。

 すると、エヴァン王子は固まって……。



「やばい」



 と、そう一言呟いた。



「え?」



 私はその言葉にそう返せば、王子は口元に手を当てながら言った。




「……い、いや、その……こうして近くにリリアンがいるのが不思議で、ならなくて……」



 そう酔いのせいではなく顔を赤くして言う王子様を見て、嬉しくてクスッと笑う。



「そうですか? 私はいつでも、エヴァン王子のお側にいますよ」

「え……」




 エヴァン王子は驚いたように私を見、「それは、どういうことだ?」と聞いたきた。

 私は、ん? と考え……ハッとする。


(い、いつでも側に、とか言っちゃダメだった……!)



 私の今の姿は人間。 そして、いつも側にいるのは“猫”の姿。

 ……これでは、バレてしまう!



「え、えっと、その……あ、私、エヴァン王子に結婚を申し込まれてからずっと、王子のことを思っているのです」

「え……?」

(ごめんなさいごめんなさい)




 私はそう心の中で謝りながら、さっきの言葉の弁明を図る。



「私、まだ気持ちの整理が出来ていなくて。

 ……私が、王子のお隣に立つなんて、想像が出来なくて。 王子が嫌い、とかそういうことではなくて、ただ私は、男性が苦手で、それで……」

「知っているよ」

「え……」



 王子はそう口を開いた。

 そしてにこりと笑って言った。



「リリアンがその髪と瞳のせいで虐められて、男性が嫌いなことも全部、知っている」

「っ、ど、どうして……?」




 声が震えた。 どうして王子が、それを知っているの?

(それでも貴方は、私のことを思ってくれているの……?)



 エヴァン王子は、「それは、」と口を開きかけ……やめた。





「……君は、俺のことを覚えていないのか?」




 言葉の代わりに投げかけられた質問。 私はその言葉に、首を傾げる。




「……そうか」



 それを肯定と受け取ったエヴァン王子は、「なら」と今度はゆっくりと口を開いて笑った。




「この話は、君が思い出すまで言わないでおこう。 ……もし思い出したら、また、俺の所に会いに来てくれるか?」




 そう言った王子の瞳が、少しだけ不安に揺れる。

 私はその瞳に見つめられ、黙って頷くと、「そうか」と嬉しそうに王子は言い……その体が前に傾く。



「きゃ……!?」





 私はその体を支えることが出来ず、一緒になって床に倒れれば、王子の口から寝息が聞こえてきた。




「……エヴァン王子、お休みなさい」






 私はポンポンと軽く、いつも王子が私が猫になっている時と同じように、撫でてみたのだった。






 そうして少しだけ引きずるようにしながらも、王子を無事にベッドに寝かしつけたところで、私の体は元の猫の姿に戻った。

(……タイミングが良くて良かったわ)




 そう安堵しながら、王子の幸せそうな寝顔を見て私も温かい気持ちが胸いっぱいに広がっていく。



(……“君は、俺のことを覚えていないのか?”……あれは、本当のことなのだろうか)



 それが本当だとしたら、以前、私は王子と出会ったことがあるということになる。

 ……私は王子に出会うとしたら、王家主催の夜会くらいしかないが、その夜会も私は殆ど壁の花と化すか行かなかったかのどちらかだから、その線は考えにくい。




(……だとしたら、何処で……)




 私はその答えを必死に探してみたが、一向に記憶も答えも出ては来なかった。

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