第三話 奴隷、その名前は・・・・・・。
宿屋に出ると、カタンカタンと小気味よく響く蹄の音。
荷車を引く馬が道路を横切っていた。
荷馬車の中には積み木の様に木箱が沢山摘まれている。
街中に立ち並ぶ石造りの家、道路の両端にはチュニックと革のズボンを着た市民達。
行商達は声を張り、果実や肉を喧伝する。
どうやら文明発達度は元いた世界と殆ど同じみたいだ。
唯一、違う点があるとすれば魔法を使う者を見かけないこと。
歩行者から魔力は感じているだけに魔術を使用していないことは理解に苦しむ。
魔術そのものをこの世界の住人は知らないのか?
この世界の事情を把握するのに余りに情報が不足している。
情報収集から始めるのが妥当な選択だろう。
「此処はこの世界の中では大きな町なのか?」
傍らにいるアテナに問いかける。
「この町の名前は《サングリア》。この世界じゃ何処にでもあるような町だよ」
俺はサングリアの町を調べる為、辺りを散策してみることにした。
パン屋は香ばしい臭いを醸しだし、煙突からは煤が天空へと舞い上がる。
道端で店を開いている果物屋では色とりどりの果実を机一杯に敷き詰められていた。
他にも本屋や武器屋など店舗の種類は前いた世界と遜色ない。
この世界について知れば知るほど、以前いた世界と変わらないことに舌を巻く。
もしかして、この領域の勇者は元は同じ世界の住人だったのだろうか。
だが、俺は市場で買い物をする人の群れを見て決定的な異変に気づいた。
誰も彼も胸元には紋章が刻まれているのだ。
紋章は紫、青、黄色などと色も違えば、形も異なっている。
だが、胸元には一度の例外もなく紋章が刻まれている。
「あの紋章は何だ?」
「アレは刻印。この世界の人間が生まれた瞬間に施される呪いだよ」
「詳しく説明してくれ」
恐らくこの刻印こそがこの世界を構成する重要な要素だ。
「この世界では神が生まれ落ちた人間の未来を、運命を決定づける。
奴隷の刻印を押されたものは死ぬまで奴隷として在り続ける。
一方、勇者の刻印を押されたものは死ぬまで勇者として在り続ける」
「それがこの世界の理である《運命》ってことか」
「そうだ。奴隷の紋章を押されたものは生涯、奴隷以外の職業になれない。
紋章によって地位が決まるのは社会的制度でもある」
「どれだけ優れていても他の職業にはなれないのか?」
「ああ、それがこの世界の絶対摂理だからね」
俺が散策を続けていると、巨大な鉄格子が何個も立ち並ぶ異様な光景を目にした。
動物でも売買しているのだろうか。
鉄格子を注視すると、その中にはぼろ切れを纏った少女。
紫色の紋章を胸元に刻んだ少女。
恐らく彼女に刻まれているのは奴隷の紋章。
少女は奴隷となるべくして生まれ、奴隷として生きている。
俺は少女の顔を見て、思わず足を止めた。
まさか、そんなはずはない。
理性は状況を完全に呑み込んでいるが、感情が万に一つの奇跡を期待している。
この少女は元いた世界の幼馴染が転生した姿ではないかと。
「・・・・・・イリス?」
思わず幼馴染の名前を口にする。
少女はその名前を聞いて尚、全く反応しない。
「お客様、私の奴隷に興味でもおありですか?」
奴隷に声をかける俺を見て、恰幅の良い中年男が駆け寄ってきた。
彼は奴隷とは正反対に豪奢に装飾されたコートを着込む。
「この奴隷、中々見た目が麗しいでしょう?」
男の喜悦で目を細めた姿は生理的嫌悪感を催す。
「――――彼女の名前は何て言うんだ?」
湧き出る怒りを押し殺し、奴隷商に名前を問う。
「奴隷に生まれたのだから、名前なんてありませんよ。
生まれた時に親から捨てられますしね」
「何故、生まれたばかりの子供を親が捨てるんだ?」
「そりゃあ、奴隷として生まれたのだから、そのまま育てる訳にはいかんでしょう」
「話にならないな」
顔が似ているだけで幼馴染のイリスとは別人だ。
その理屈を理解して尚、彼女の尊厳が踏みにじられた様で怒りが湧いてくる。
「――――値段を教えてくれ」
「少女ということもあり、値段は張りますよ」
「構わない。いいから値段を教えてくれ」
「金貨十枚が彼女の値段です」
現在の俺が持ち合わせている金は銀貨三枚だけ。
宿屋の宿泊代で銀貨二枚を要するのだから、宿屋に泊まれるのも今日まで。
如何に俺が必要最低限のお金しか持っていないか、これだけで説明は十分だろう。
「金貨一枚は銀貨に変換すると、どれだけの価値があるんだ?」
「金貨一枚は銀貨一〇〇枚の価値を持ちます」
銀貨三枚しか持たない俺からすれば、天地がひっくり返るほどのお金だ。
まず普通のやり方でお金を稼ごうとすれば、一年はかかることだろう。
だが、俺には一つだけ普通じゃないやり方に心当りがあった。
「解った。金を作ってまた此処に来る」
俺は一方的に会話を打ち切り、踵を返した。
「ドラゴンを狩れば、その程度の金は手に入るんだろ?」
「そうだね。金貨一〇枚程度なら、爪や牙などの主要部位を売り捌くことで達成できる」
「これで一歩も退くことができなくなったな」
俺は強がりを隠す為、ニヤリと嗜虐的に嗤う。
――――相手は幻想の王だ。
勝てる見込みは全くの零。ドラゴンとの闘いで命を落とすことは確実。
それを理解して尚、足を止められないのは胸を締め付ける想いが進めと咆哮しているから。
「あくまで同じ顔をしているだけ」
理屈では解っているのに、憔悴しきったイリスを見て涙が出そうになった。