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恋のほのお  作者: 桃山城ボブ彦
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第67回~昭和44年8月18日「ジャンピング・ジャック・フラッシュ」(4)


 僕はどこか安堵を覚えていた。そして、石堂をかばうことを忘れていた。ふと見え隠れした福村さんの奇妙な穏やかさの中にいることの居心地の良さにかまけていたのだ。

 彼が語るような「嵐が過ぎ去ることへの秘かなときめき」を感じているなら、僕はこうして()()()()で呑んでいたらいいのだろう。何せ、外は嵐だ。無理やり漁に出ていった男については無事を祈るしかないのだ。

 だが、そんな納得は長くは続かなかった。


「ハハ……波多野、福やんは昔からメカケの子として苦労しとるからなあ。何についても覚めとるんよ」


 さっきまでソファの一角で本能のみの時間を過ごしていた芳村さんが突如として会話に割って入ってきたのだ。やっていたことに飽きたのか、それとも酔った耳ながら会話をしっかりと聴いていたのだろうか。

 それは、女性と酒に寄り添って上機嫌の芳村さんとすれば何がしかのおだてを含んだ言葉だったのに違いない。だが、そんな一言を贈られた当人の反応は違った。

 福村さんの目に独特の優しさが戻ることはもう、二度となかった。


「あ?」


「あ、あ……」


 福村さんの目は低い声にあわせて爛々と光った。一方の芳村さんの顔から陽気な酔いが消えた。

 次の瞬間、酒を半分ほど残したシャンパンボトルを掴んだ福村さんは、それをもって芳村さんの後頭部を激しく打ちのめした。瞬く間に煌めくような飛沫とガラスの破片の中を、芳村さんのメガネが吹き飛んでいく。

 ユミとルリの悲鳴が上がった。


「芳村ぁ……芳村ぁ……ワレェ……」


「ひぃ……」


「お前、俺がメカケの子であることを人前で言うたのお」


 小さな福村さんは自分よりも大柄な芳村さんにまるで野生の猿のように飛びつくと、その全身をソファからカーペットへと引きずり落とした。鈍い音がする。酒瓶を捨てた男が拳で顔から腹から、いたるところを殴り続ける音だ。


「福村さん! 止めてください!」


「コイツは平気やぁ! 放っておけや!」


 僕は後ろから福村さんを羽交い絞めにして芳村さんの危機を救おうとする。だが、身体に似合わない力は哀れな酔っ払いを目指してこちらを振りはらおうとする。だが、そうさせるわけにはいかない。このままでは僕の隣人は死んでしまう。


「そんなん! 芳村さん死んでしまいますよ!」


「死にゃええねや! お前も同じヤカラけぇ!」


「なんの話やいうんです!」


「お前もこいつみたく俺をバカにしとるんやろぉ!」


 男は背中を向けたままで喚き散らした。が、僕が何を嗤ったというのだろう? 

 すぐに「お前、どけ!」という言葉と共に福村さんを抑える役は代役にとってかわられた。こちらを突き飛ばすようにその役を奪ったのは、この場に入りしなに仰ぎ見た丸坊主のスポーツ選手達だった。同じ席にいた女の子たちが呼んだの。それとも彼女たちの悲鳴を聞いてどよめきの中を駆けつけてきたのだろうか。

 いずれにせよ、知り合い二人と同じようにカーペットに倒れこんだまま、僕は猛獣使い達が獣を手懐けていく様だけを唖然としながら見ていた。


「ツカサ! 落ち着けツカサ!」


「せや! ヨシ坊が何をしでかしたかは分からんが、お前このままやと捕まるぞ!」


「離せえ! 離さんかぁ!」


 腕の自由を奪われた福村さんは、細い足で大男たちを払おうと弱々しく宙を泳がせる。しかし、それも坊主頭の一人が両腕で抑え込んだ。傍から見るとまるでラグビーかアメフトのタックルが決まったような格好だ。


「離さんわい……弁護士志望が弁護士のセガレを殴り殺すとか冗談がすぎる!」


「むぅ……」


「な、頼むて……も少し楽しく飲もうや……」


 スポーツ選手達は強硬な手段を取らなかった。福村さんの身体の自由を奪ったといってもそこから殴りつけておとなしくさせるような行動は全くなく、泣きじゃくる赤子をあやすかのようになだめすかすばかりだった。

 殴打の現場を幾重にもパーティーの参加者が取り巻くなか、福村さんは徐々に静かになっていく。


「ああ、ああ……流石にアメフト部員は強いなぁ……」


「な。まだまだ楽しまなあかんねや……グッと堪えてぇな」


「せやな……ちと、血ィが頭に上りすぎたわ」


 床に押さえ込まれながら福村さんは少し笑った。だが、猛獣の檻から助け出された芳村さんを気遣う人間は誰もいない。彼はただ、額から幾筋かの血を流しながら福村さんの方向に向かって土下座をしている。

 さきほどまで芳村さんとじゃれあっていたパーマの女の子はとっくにどこかに消え失せていた。



 何事もなかったかのようにパーティーは再開された。変わった部分は、僕がいたテーブルから芳村さんとそのツレの女の子の姿がいなくなっただけのことだ。ユミとルリという二人の少女は、相変わらずに席でお酒を作り、福村さんの話に笑みを浮かべている。

 誰もが、厄介事など何一つ起きなかったといった態で話に盛り上がり、華僑の息子は得意の英語でまたライチャス・ブラザーズをマイクに向かって唄っている。福村さんをなだめすかした二人の巨人も、彼と下卑た冗談を交わしたらどこかに女の子を求めて去って行ってしまった。


 芳村さんが去り際にそこいらの参加者から因果を含められていたという事実が、先ほどの狂態を皆の記憶から葬り去っていた。

 居合わせた大勢の野次馬から「お前は酔うてテーブルの角で頭をぶつけて、おまけにボトルを割ってもうた……せやな」と念を押された彼は、それに対して何の反論もせずに福村さんに深々と頭を下げると、ひしゃげたメガネとブルーバードのキーをもって家路についた。

 福村さんは一つ頷いただけで、声など発しなかった。


「いや、すまなんだな……まあ、今までどおりに飲んでくれや」


 小さくかぶりをふった男は、ブランデーグラスに酒を注いでこちらに渡した。軽い会釈で僕はそれを受け取る。

 断ったらどうなるのだろう。彼はこの場の王なのだ。あのアメフト選手達は福村さんに対してはなだめすかすだけで一切手を上げなかった。その場にやって来たのは、福村さんがともすれば人を殺しかねなかったからにすぎない。暴君がいくら悪逆非道だとしても、それを本心から諫める忠臣などいない。酒池肉林が維持されることを期待する以上、誰も異を唱えてはむかう必要がないのだ。

 芳村さんですらそうだった。一方的に殴られるにまかせていた彼は、その気さえあれば福村さんに立ち向かうことなど出来たはずだった。しかし、そうはしなかった。あそこまで惨めな晒しものとなってまで、またここで上等の酒を呑む機会が欲しいのだろうか。


「福村さん……」


「なんや波多野……」


 僕の言葉に彼は少し照れたかのようにつまんだグラスをゆらめかせた。暴君にぶちのめされようが、聞かねばならないことがあった。


「あなたは哀しいのですか?」


「そうやな……」


 彼は少しだけ顎を撫ぜていたが、やがて静かに笑うと僕ではなく女の子二人に向き直った。


「ユミ、ルリ、悪いけど少し席を外してや……なんやコイツが話したいらしい」


「ええっ! ウチらまだ、ご飯を食べてへんよ?」


 少女達を代表してルリが不服そうに言う。


「心配すな……後で元町までステーキ食いに連れてったる……」


「本当?」


「ああ、厚さが三センチはあるやつをナ……」


 肉を約束された少女たちがそれ以上の不平も言わずテーブルを去った後、福村さんはタバコを一本咥え、足を組み替えると僕の瞳を真っすぐに見つめた。だが、その眼はもう人への威圧もなければ軽蔑をたたえてもいなかった。ただ、疲れているだけにしか思えなかった。


「お前、『哀しいか?』言うたな……」


「はい」


 強張った声が出た。


「そら、哀しいよ。俺はね……」


 殴られるかもしれない、と張りつめていた緊張がほんの少し薄らいだ。そして、いささか拍子抜けの気分もした。福村さんはこちらの不躾な質問にアッサリと回答を寄越したのだ。


「お前には言うてもいいやろ……。芳村が言うたとおり俺はメカケの子供でな、認知もうけとらん」


 手のひらでグラスの底にたまったブランデーを温めながら彼は語った。


「父親が財界の重鎮だから衣食住には不自由せんかったがね。芸妓だったオカンは三年前に死によったし、今じゃ黙ってても俺一人に毎月四十万円振り込まれる」


「月に四十万、ですか……」


 僕の知りうる金額ではなかった。


「せや。でも、メカケの子はメカケの子ォや……素性がバレたら友達なんぞ出来んもんよ。小さい頃はどこに行ってもいじめられたからな」


「芳村さんは? 芳村さんは友達やないのですか?」


「友達やったなあ……」


 福村さんは何かを決意したかのように杯を飲み干した。


「でも、アイツはさっき裏切りよった」


「悪意はなかったように思えましたが」


「せやから許せへんのじゃい……日なたを歩いとる人間には怯えながら暮らすモンの気持ちなどわかりゃせんのよ……」


 僕は頷いた。だが、それは福村さんへの同意ではなかった。それは、この男が純粋な悪人でないことが分かったことへの深い納得からのものだった。

 要は、彼は何不自由なく暮らしながら、それでいて「日なた」を歩んでいるであろう人間への憎悪を抱き続けていたのだ。だが、理解はしても同情をする気にはなれなかった。傷つけられたからといって人を傷つけてもいいという道理はないだろう。それに何よりも……福村さんは彼がいるであろう日蔭の世界に石堂を引きずり込んでしまったのだ。華やかなパーティーとゲバルトは違うにしても、それらはいずれも世間から見たら異端の世界なのだ。


「アメリカに逃げてみよか思うたけど、それも無理やった。何がラブにピースじゃ……日中はどこ行っても『ジャップ』呼ばわりときたもんだ」


 彼はまた、こちらに相槌をうってもらいたそうに独り言を呟きはじめる。


「ホテルで寝ていても世話役の駐在員の愚痴が廊下から漏れてくるしな……」


「福村さん!」


 僕は無理やりに彼の愚痴を打ち切った。もう、付き合う義理はないはずだ。そして何より、この場でこれ以上話を続けられることで、僕の暗さにシンパシーを感じているらしい男に躊躇なく呑み込まれてしまうと思ったのだ。


「なんや」


 若干だけ、彼の目が怯えた。福村さんもまた、人間だった。 


「気分転換にドラムスまた、叩きはったらどないです? みんな喜びますよ?」


「ふむ……」


 彼は少し考えこむ素振りを見せたが、やがて傍らに置いていたスティックを掴むとよろよろと立ち上がった。シャンパン、ワイン、ブランデーと、良い酒とはいえ量をしたたかに胃袋に流し込んだら足取りは誰だってそうなるだろう。


「『ジャンピング・ジャック・フラッシュ』やるか……」


「ローリング・ストーンズですか? ええやないですか」


 かつては『ストーンズ』を名乗っていたこちらの追従めいた言葉に彼は少しだけ手を振り、バンドの方へと歩みはじめる。僕はなんとなくその行程に従った。歩きはじめた彼が余りに泥酔していたため、心配になったのだ。


「ああ……ありがとよ波多野。お前、一年後にまた飲まんか?」


 バンドの前まで来た時、彼は僕に顔を向けた。


「一年後ですか?」


「せや……。お互いの暗さ、確かめてみようや」


 そう言い残すと彼はバンドの演奏を中断させ、不運なドラマーを再び追い出すと自分がドラムセットの主となった。そしてもうこちらには目もくれず、細かなキーの注文を他のメンバーに繰り出していた。ホストがまた演奏するというので、また客がバンドの周りに集い始めた。


 ヘベレケのドラマーが繰り出す『ジャンピング・ジャック・フラッシュ』の演奏が始まった。それは時にピッチが速くなったり、裏のリズムで進んだりでリズムが完全に死んでいた。死んだように生きている人間が繰り出す音である以上、誰も太刀打ち出来やしない。

 まだ中華学校の高校生くらいだろうか、幼いながらも薄く端正な顔をしたボーカルの中国人がしきりに福村さんを振り返ることとマイクロフォンに向かうことを繰り返しながら唄っていく中、僕は場を離れることにした。

 この男に同情はしないが軽蔑もしたくなかった。居続けることは、他の連中と同じように彼の金を目当てに緩やかな軽侮を送ることにしかならないのだ。慣れてしまえば、芳村さんのように土下座してでも居続けたい快適さがあるのかもしれないが。



 誰にも見送られるでもなく僕は会場の重い扉をこじ開けて外に転がるように出た。僕とて、酔いに支配されていた。

 しかし、酔いがまわっていることなどはどうということでもなかった。煌々とした灯りの中、石堂とおケイから逃げることは出来なかったことが問題だった。ここでの数時間を経ることは、何の気分転換にもなりはしなかった。むしろ芳村さんの醜態と福村さんの暗い感情が気を滅入らせるばかりだった。

 高級車が並ぶ前庭を通りながら寂しさだけが募っていく。懐かしい人間は去っていき、かといって華やかに見えて陰惨な世界に飛び込むのも気がひけるのだ。

 僕の居場所は消えていく。いや、本当はあるのかもしれないが頭の中に靄がかかってきている。

 

「ねえ……どっか行かへん? なんや今日は疲れちゃってさ」


 暗がりの中から女性の声がした。声の方角を振り返ると、青いランドクルーザーの運転席から一人の女の子がこちらへと顔を覗かせている


「さっきの……」


 闇の中から浮かび上がったのは、少し前まで芳村さんといちゃついていたパーマの子だった。


「アイツ、あそこまで骨のないヤツとは思わなかったわ……アンタはどうかしらね?」


「どうだか」


 僕は「お手上げ」のポーズを作ってみせる。こちらに気骨があるかどうかなど、そっちの知ったことではないだろうと思った。

 だが、相手は違うらしい。彼女は上体を窓からせり出させるとなおも語りかけてくる。


「ねえ、乗りなよ」


 意外な提案だった。


「なんでや」


「だってサ、真っ先に福村を止めに行ったのはアンタ……普通、みんなアイツが怖くてなかなかやらないもん」


「へえ……」


 玉砂利を踏みながら、僕はさりげなさを装う。だが、内心は意外な称賛を受けたことへのこそばゆさで満たされはじめている。さっきまでの空間で僕が欲しかったものは、こういったくすぐったい思いだったのかもしれない。


「ね、乗ってよ……。摩耶に美味しいイタリア料理のレストランがあるんよ……」


 もう、どうでもいい気がしてきた。僕にとって今必要なことは、この素性の分からない女の子と夜更けまで話し込むことだけだと思えてきたのだ。

 こちらを手放しで甘やかしてくれる言葉があったっていいじゃないか。


「さよか」


 僕は彼女に微笑んだ。そして、道路への歩みを止めて巨大なランドクルーザーへと踵を返した。

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