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恋のほのお  作者: 桃山城ボブ彦
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第62回~昭和45年7月9日「帰り道は遠かった」(前)


 前略


 元気ですか? 突然このような手紙を送りつけてごめんなさい。波多野君、封を開けた途端にビックリしているんじゃないかなあ、なんて考えながら今ペンをはしらせています。

 ノートが同封されているかと思います。波多野君が東京に出て、今までみたいに三人でしょっちゅう会うということは出来なくなりました。電話で間に合わせようとすると私も石堂君も料金と親の目を気にして語りたいことも満足に語れないかもしれなので、代わりに交換日記をやれないものか、とフト考えたのデス。

 私の続きはノートに記しています。このプランを面白がってくれるなら読んだ後に波多野君が続きを書いて、石堂君へと送ってください。


 昭和四十四年 四月 十五日 大貫恵子


 

 突然だけど、みんなの近況が分かるよう、このノートを使って交換日記をやりませんか? 要はまず、言い出しっぺの私が書いて、それから東京の波多野君に送る、そしたら波多野君は石堂君に送って……という巡回の方法で三人の間でやっていけたらナ、と思います。多分、一回りするのにひと月くらいでいけるのじゃないかなあ?

 さて、私は四月も半ばだけれどなんだかあまり大学生になった気分がしません。高校までの時よりも学校までの距離が近くなっちゃたんだもの。甲東園までバス、とか、仁川から電車、なんてこともなくひたすら毎日歩いて上ヶ原まで通うことになりそうです。なんだか通学手段だけをとったら世界が少し狭くなっちゃったみたいです。

 でも、同級生のことを考えた途端、そんなことチットモ思わなくなるから不思議です。世界がシッポを覗かせた気分になります。関西の人間ばかりじゃなく、四国や九州、山陰や北陸から出てきたって人が結構いるのだそうです。色んなお国訛りを交えて話をすると楽しくなるんじゃないかなあって思います。アメリカ人やフランス人の語学の先生もいらっしゃるというし、一日も早く履修を登録させて講義を受けたいなあ。

 これで講義があれば言うことなしなのですが。でも、今はなかなか難しいみたい。入学式もなかったし、まだ満足に学部の建物に入ることもまだ出来ません。大体がオリエンテーションだってまだなのです。三日後に行うらしいですが、全共闘の乱入を防ぐために大阪城公園で集合してバスに乗って奈良まで行って挙行するのだそうです。こんな環境がいつ終わるのかナアって、タメ息がでそう。

 時間があるので経済学部生として恥ずかしくないよう、ケインズやシュンペーターを読んでます。ムズカシイ! パパは「恵子がえらいもん読んどる」と目を回しています。そう言われたら、やっぱり文学部や社会学部の方が女の子らしかったのかもしれません。でも、これで授業についていけたらいいなあ、と思います。

 私からは以上! 次は波多野君、お願いします。


 昭和四十四年 四月 十五日 大貫恵子



 おケイ、おもろい案をありがとう。入った下宿の大家さんが老人で、親元以外への電話を忌み嫌うお人なので電話がほぼほぼ使えないのです。だからこういった試みは本当に嬉しいと思います。早速だけれど僕も近況をつらつらと記します。

 まだ、大学が機能していないとのこと、こちらとしてもなんとも言えません。一応、おケイに比べたらこちらは構内には比較的入ることが出来ます。でも、しょっちゅう学部集会に行かされます。本心からしたら行きたくはありません。しかし、周りのクラスメイトが戸惑いながらも出ると言うのならこちらだけサボタージュするわけにもいかない気がします。我関せず、を貫くのには根性がいるようです。

 僕はオリエンテーションは既に終わり、履修登録も済みました。でも、今週になっていざ学校(新宿の南西です。神保町の古書店街に毎日入り浸るのは大分先になりそうです)に行けば、休講の貼り紙ばかりが掲示板に掲げられています。全学休講、だなんて場合すら当然にあります。何をしに東上したのかな、と自問自答しながら数少ない授業に臨めたらと思います。

 一昨日の授業は「そういった」学生がものの三十分で乱入し、「不当逮捕の学生に対するカンパ」を半ば強制されました。三百円がとんでいきました。何をもって不当なのかが分かりません。異を唱えたい気持ちはあります。が、要は、つくづく自分の無知に気づくだけの変な季節です。

 楽しい話を。おケイは興味ないかもしれないけど、イシには愉快な話かもしれません。プロ野球に行ってきたのです。一昨日、初めて後楽園球場に巨人対阪神を観に行きました。昨日は東京スタジアムで西鉄対ロッテ(アルトマンの足はカモシカみたいにスラリとしてました)も観に行きました。おかげでカークランドや広野のホームランを見物できました。東京も、後楽園に神宮、それから東京球場に川崎と関西と同じようにどこかで野球がかかっています。アルバイトを見つけお金に余裕を持てたなら足繁く通ってみたいと思います。

 最後に僕らが好きな音楽の話をしましょう。この前のことですが、新宿までテキストを買いに行ったらジャズ喫茶がありました。中には入りませんでしたが、出演予定にジャガーズやモップスの名前がありました。東京のポピュラーファンは恵まれているなあ、と感じ入った次第です。

 長くなりましたが、こちらからは以上。では、このノート、イシに送ります。よろしく頼むのコトよ。


 昭和四十四年 四月 二十五日 波多野啓次郎



 二人の文章を読ませてもらった。色々感じることはあるだろうが、まずは大学生という身分を三人とも勝ち得たことを改めて祝おうや。

 さて、この文章の相手はハタ坊をメーンにして書こうと思う。お前だけが遠いところにいるし、おケイに何かを伝えるなら別に手紙などともどかしい手段を介さなくとも家が近いからな。とりあえず俺は今、阪急線と御堂筋線を乗り継いで学校に通っている。悪くないと思う。通学時間や学業云々の話ではない。東大の一件以来、様々な考えの活動家が我が校と京大に流れ込んできているのや。京大に進学しなかったとはいえ、今後の七十年代を視野に入れた行動を計画するには実に恵まれた環境である。小西さんが既に評議会の中におられるので、親しく色々な情報をいただくことが出来る。時には、学校からの帰路に新世界があるのでモツやクジラも奢ってもらえるしな。福村さんも顔を出したりする。

 ハタ坊、世界は俺ら若者が動かすのだぞ。男のお前がいつまでも野球や音楽や映画に淫しているのは本意ではないと思う。お前はもっと、本を読まねばならないし、外へ出なければいけない。何もマルクスを齧れというのではない。でも、せめて朝日ジャーナルくらいにはせっせと目を通し、デモに参加するべきだ。この文章は昨日、沖縄デーに参加した余韻をもって記している。大手前に二万人が集まって馬場町、本町、御堂筋と高校生から労務者までが一致団結して行進したのだ。俺は大学の全共闘から参加した。ジグザグデモを試してみたかったが、フランスデモもやった。まあ、機動隊がそこまで密着しなかったから色々試せたんよ。一部では小競り合いもあったが概ね平和裏に終わった。それが運動の本質なのだ。お前がいる東京での沖縄デーでは催涙弾が撃ち込まれ、こちらの何十倍もの学生が逮捕されたらしいが、運動の本質は大阪のような穏当な部位にあるということは覚えておいても良いだろう。

 お前には大いなる無知からくる誤解がある。いい加減、主婦のような臆病さから解き放たれるように努力をしてみてはどうか。


 1969年、22回目の憲法記念日に記す 石堂 一哉 



 多英は無言のうちにノートと便箋から視線をあげた。そして大きく伸びをすると、電球の光を浴びながらつぶやく。


「春先のところだけもう一度読んだわ。石堂君て、典型的な大学生だったのねえ」


「典型的、か。どうだろうな」


「大学生であることに必死で意味を求めようとしていたってことよ」


「確かに、ヤツにはある種の生真面目さがあったとは思うがね」


 僕はタバコに火を点けた。新しい目が過去へと切り込んでいく中の一服のうちに、かつての自分自身が狭い殻の中へと閉じこもっていったという事実が浮かび上がっていく。残された文字の中の僕は逃げようとしていた。そして、何とはなしに卑屈だった。恵子に関する敗残者であるという意識が強力だったせいだろう。


「そして、石堂君は男性優位論者よねぇ……例に漏れず」


 マッチを僕から借りた多英は、自分も『クール』に火を灯しながらポツリとつぶやく。


「男性優位論者? 例に漏れず?」


「そうよ」


 多英はうんざりとした顔つきで僕を見つめた。


「社会を変えようとする英雄気取りの説教だけど、一方で世界は男が作っているという従来の意識から一歩も足を踏み出さない……。自分が信じているほどの斬新な存在ではないってこと」


 半分も吸っていないタバコを灰皿に圧しつけた彼女は、テキパキとブラジャーとブラウスを身にまとってから、また口を開いた。


「好きじゃないわね、こういうの。現代日本の凡百の英雄志望者だわ」


「気づかなかったよ。長いこと近くにいたのに」


「そりゃ波多野クンも男だもの」


 事もなげな風に多英は言った。仮に彼女が男であったなら、故郷と縁を切る必要はあったのだろうか、という思いがよぎった。


「それに、眼と耳を塞いでたなら何一つ分からないわ……。そして、本当に当世の大学生には三つのタイプしかいないわね」


「三つのタイプ? イシと、僕と……他には?」


中田(いっせい)よ」


 改めてノートを手にした多英は少し投げやりに答えた。


「傲慢になるか、自分だけの世界に閉じこもるか……もしくは自分なりに世間と相対しようとするか、ね」


「アイツ、何をしたのや?」


「……絶対に口外しないと約束する?」


 多英は身体をこちらへと捻った。顔だけでなく、彼女の全身がこちらを見据える。


「ああ……ここだけの話にするわ」


「去年の国際反戦デーでアイツの高校時代の先輩が手配されたのよ」


 他に誰もいないと言うのに彼女は声を潜めた。彼女の膝がこちらににじり寄る鈍くざらついた音だけが深夜の部屋に鳴る。


「身を隠していた先輩はアイツに連絡をしたわ。そして……一誠はその潜伏先を警察に教えたの。彼が肩まで髪を伸ばし、徹底して東北訛りを消してオカマみたいな言葉遣いをするようになったのはそれからよ」


 ささやかれた事実に僕は思わず息を呑んだ。中田の奥底には、そこにどんな意図があったにせよ決定的な失敗が澱として未だに佇んでいたのだ。彼の真意は分からない。が、いつか彼が外郭だけ語った過去が垣間見えたし、外見の変更が身を隠す為のものではないことは理解できた。


「ねえ、波多野クン。この先のノートの読み返しは、ちょっと寝転んでにするわ……。悪いけどスタンドだけじゃなくて部屋の電気も点けてよ」


 こちらが物思いにふけるのを許さないかのように、既にセンベイ蒲団へと再び身体を横たえた多英が光を要請をした。疲れたのだろう。


「了解だ」


 そう頷いて立ち上がり、電灯のスイッチを僕は捻る。すると、明るさを取り戻した部屋で、彼女は再びこちらを呼び止めた。


「ねえ波多野クンさ」


「何や?」


「しくじりかたって、本当に色々あるわよね?」


「どうだか」


 曖昧な同意をした僕は彼女の側には向かわず、一人壁際に持たれる。多分、今はそういう態度が一番この場にふさわしい。

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