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恋のほのお  作者: 桃山城ボブ彦
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第55回~昭和45年6月23日「みんな夢の中」(後)


 公園まで出向いてまず、違和感を感じた。ヘルメットを被りタオルで口元を隠した、いかにも「闘士」然とした手合いが少ないのだ。いったい何千人この場に集まっているかは分からないが、その殆どは僕ら三人と大して変わらないごくごく普通の学生だった。初夏を気取った淡い色のシャツやダンガリーのシャツの男、ワンピースの女の子、ミニスカートまでいる。

 どういうことだろう。別にここは野外のフォーク・コンサートあたりではないというのに。


「本当にコレ、デモの景気づけの集会なのか?」


 僕は左隣にアグラをかいて座っている多英に声をかけた。豪快に腰をおろし、彼方の演説者を見据えているその姿を眺めると、こういう時ジーンズという代物は性別を気にしない便利な代物だと思う。


「そうみたいよ、ホラ、演者を見てみなさいよ」


「ああ……ホントやねえ」


 多英が指をさした場所には拡声器ではなく、どこからか調達してきたマイク・スタンドに向かって仰々しくアジテーションを行う活動家がいた。確かに、話者にだけはそういう雰囲気がなくもない。おまけに鮮やかな色合いのヘルメットと顔を隠すサングラスで気取った彼の横には、「若者代表」としてもてはやされている文筆家も控えている。週刊誌で名を売った大学教授も、代議士までもいた。


「さながら反安保のオールスターって感じよねえ」


 のんびりとした中田の声が右隣から上がる。彼もまた曇り空の夕暮れの中、土の匂いを漂わすほんのりと湿った地面に腰をおちつけていた。


「そんな風にもいえるものかなあ」


「そうよ。でも、ああやって入れかわり立ちかわりで佐藤栄作(えいちゃん)からカンボジア侵攻まで扱き下ろしても」


 彼はそこで一旦言葉を途切れさせた。


「みんな、景気のいいアジを叫びながら逃げることを考えているわよね」


「あれだけ叫んでも、かい?」


「そりゃそうよぉ」


 彼は多少大きな声をあげるとこちらに顔を寄せた。


「この場での美辞麗句は、さしずめ戦争中の大本営発表よ。皆、『美しい挫折』があったと思い込もうとしているの。手段を間違えつづけた癖に、ね」


 僕は返事が出来なかった。中田の何気ない一言が記憶を遡らせはじめる。いつだったか耳にした言葉だった。そしてそれが、かつて故郷の大学構内で冷笑に冷笑を重ねていた福村さんの吐いた台詞とほぼほぼ一緒だと気づくのには大した時間がかからなかった。


「なるほどね」


 ようやくに返事をかえすと、僕は遠くでマイクに向かって怒鳴っている男を眺めた。


 全くに、全くにその通りだった。数年に渡って社会を攻撃し続けていた彼らは、敗北を何とか正当化して極力傷つかないようにしているのだ。

 ふと、あの全ての人間を小馬鹿にしていたような男が懐かしくなった。そして彼は事故死したのではなく、居心地の悪い同世代についてヒステリーを起こした結果、死にたくなったのではないかと思った。無駄な感傷だった。京都のどこかの丘陵の寺にいるであろう彼は、もう骨となってしまい何も喋ってはくれない。しかし、彼がこの場にいたら何を毒づいたのだろう。


「あのね波多野クンに一誠、あんまりシラケた事ばかり話さない方がいいわよ」


 声をくぐもらせた多英の言葉が、少しセンチメンタルになろうとしていた僕の心の中に入り込んできた。


()()()()()()()()なんだから……。あまり場違いな事ばかり話していたら叩き出されるわよ?」


「ドゥハハハ! そりゃ、そうよねえ!」


 中田は豪快に笑うと、周囲の奇異の眼差しも何のそので大きく地面に仰向けになって倒れ込んだ。


「何してんのよ、アンタ」


「決まってるじゃない。八重洲までの行進なんだからせいぜい今のうちに英気を養っておかないと」


「それもそうね」


 ゆっくりと頷くと多英もまた、長い髪と服が汚れることも気にせず同じように寝そべった。実に無防備な格好だ。


「波多野も横になりなさいよ!」


 演説が切れ目なく何人かの声で続くなか、中田のお誘いがかかる。


「せやな」


 断る理由などなかった。両脇に寝転んでいる二人の真似をして僕も体を横たえる。三人がかりでの「川」の字の出来上がりだ。耳で演説を聞きながら薄暮の空が目の中いっぱいに飛び込む中、どこかから「そこの三人、不真面目だぞ!」と声が上がる。


「相手にする必要、ないわねえ」


 中田が起き上ろうとする僕の肩に手を置きながら語った。


「そうよ波多野クン。真面目に不真面目を気取ってみるのもタマにはいいものよ」


 多英の声がする。「そうか」と僕は応じ、それから少し目を閉じた。落ち着いた気分に包まれていくようだ。二人が計ったように優しく接してくれるのだ。だだっ広い公園の一角に陣取りながら、恋人や友人に甘えるというのは悪いものではないと僕は初めて知った。

 なのに、いきなり石堂の顔が脳裏をよぎった。彼は今、大阪のどこかでデモなり集会なりに加わっているのだろう。もしかしたら、マイクを持つ側なのかもしれない。だが、その両脇を優しい人々が固めているとは到底思えはしなかった。


「ああ……」


 僕がそう仕向けたのかもしれないと初めて思った。彼が冷たかったように、こちらもまた相手を理解しようとせず冷淡、いや敵意を剥き出しにして過ごしていたのだ。中田が指摘したように、思い出は決して美しくはない。時代の雰囲気に酔いしれていたのはこの場の群集と、それから僕もだ。


「イシ……おケイ……」


 新しい仲間に挟まれて遠い昔の二人の名前が自然と口をついて出た。途端に左隣の多英と視線が合う。きっと、声に反応したのだろう。だが、彼女は程なくして()()()()()()()()()


 多分今日は、人の優しさが生まれてこの方一番に沁みる夕べだ。



 デモは整然と行われていく。暴力はなく、怒号も起きず、投石もなかった。

 一般にフランス・デモなどと呼ばれている形態の輪の中に僕はいた。要は隣同士の人間が手を繋ぎ合って、先導者の掛け声にあわせてシュプレヒコールを唱えていく代物だ。


「ア・ン・ポ! フ・ン・サ・イ!」


 そんな合唱と共に数千の若者の群れが永田町に差しかかる。闇夜に議事堂の影が浮かび上がる。それでも集団の中には厳然たる平和があった。昔ニュース映画で見た六十年安保のように立法府の門を突破し、議場に突入しようと試みるような人間などいない。シラケの中にあっても、この場にある種の覇気が欠けていることだけは確かだった。

 ここは自分たちがいままでやってきた所業を忘れ、「我々の運動は穏当だった」とでも言いたげに記憶を上塗りにしたいかのような上品さで成り立っている。最後まで暴力のうちに終わってくれ、と思った。そうでなきゃ、色んな人間が浮かばれない。


「もう一周、国会を周ります!」


 前方から拡声器に乗せた声が届き、周りから歓声が沸き起こる。これではもう、殆んどピクニックかハイキングだ。


 ふざけるな。


 何故、最後まで今までのように暴力をもって体制に抗おうとしないのだ? 暴力こそ至上と位置づけないのだ。それだけの気概で社会に立ち向かったのだろう? なのに、最後は「お手々つやないで」のうちに誤魔化そうというのか?


 何故、こいつらはあれだけのことをしてこんな風に責任もとらずに社会に妥協し、そこに紛れこもうとするのだ?


 何故、石堂はこの程度の運動に魅せられてしまったのだ?


「ア・ン・ポ! フ・ン・サ・イ!」


 数えられない程の凡庸なシュプレヒコールの中、再び議事堂が正門を従えて視界の中央に現れる。が、その威容を完全なものとして捉えることは出来なかった。お義理の声すら喉を通ってはくれない。涙がとめどなく溢れてきてしかたないのだ。

 

()()()()()()()()()()()()


 出発地点から僕の左手を握り続けている多英が問いかけた。


「ウォ……」


 言葉は作れなかった。ただただ、ひたすらに嗚咽のみが溢れ出ていく。この程度の覚悟の連中に石堂は取り込まれたのか?


「でも、きっと、これからがあるわよ」


 彼女は言葉を続けた。でも、もう片方の手をとってくれている中田は何も言わなかった。



「うん、二人とももういいでしょ。これでクラスの連中への義理は果たしたわ」


 銀座の煌々としたネオンに照らされながら、前を進む中田が僕と多英を振り返った。その言葉を合図として、僕らは四谷から国会議事堂を経由して八重洲口を目指すデモ隊をようやく抜け出す。今まで行動を共にしていた他の連中が非難がましい視線を送ってくるが知ったことではない。それでも何人かが、こちらを引き止めようといわんばかりに雑踏の中で何かを叫んだが、無駄なことだった。折よくジグザグ・デモが始まってくれたのだ。デモ隊の主力が、変わり映えのしない佐藤政権へのシュプレヒコールを唱えながら勢いよく何度目かの蛇行を開始した途端、恨めしげな彼らは大きなうねりの中で転倒しないように前を向くと、しぶしぶに僕らから遠ざかっていく。


「行程の八割方を歩いたのなら、最後まで参加しても良かったんじゃない?」


 銀座通りでの立ち位置を車道から歩道へと代えた頃、多英が中田に尋ねる。中田は相変わらずに三人の先頭をきって国電の新橋駅へとぶらぶらと歩を進めていたがやがて立ち止まり、その問いをやんわりと否定した。


「いや、このあたりがアタシ達の妥協点よね。ミイラ取りがミイラになる、よ。八重洲まで歩きとおしたら、デモへの参加を嫌がっていた波多野が完全に主催者の意見に屈服したことになるじゃないの」


「それも、そうねえ」


 少しためらいがちな声で彼の意見に同意した多英は、ゆっくりとこちらの様子を伺った。別にこちらを気遣ったりしているわけではない。彼女といえど日本屈指の大通りを行き交う人々が送る、突然にデモから転がり出た三人へ注がれる奇異の眼差しを意識しているのだ。


「クラスの連中が議決を採ってデモへの参加を決定した以上は、参加しないと民主制の無視になる。でも、デモに付きあうことを完遂したら自分の信条を踏みにじられる。そう思わない? 波多野?」


 中田が笑いながら、念を押すようにつけ加えた。この昼に僕が言ったことを、存外上手く言い直したものだ。


「いかにも、だね」


 僕は同意した。自分でいうのもなんだが、愛想のない返事だった。四谷から銀座までを数時間もかけてダラダラと歩けば、どうしても疲れるのだ。


「それにター、中田、悪いがもう、足が棒みたいだよ……腹も減ったわ。昼にウドン食べただけじゃこういうのに従事するのは堪えるよ」


 デモ隊の最後尾が横を通り過ぎていく姿を通行人に混じって眺めながら、重ねて僕は二人に話しかけた。


「まあ、そりゃねえ。でも、()()()()()さ……何か、ウドンでも食いにでもいくかね」


 中田が軽く手を腰に当てながら肯いた。


「ウドン、いいわねえ」


 穿いている歩きづめのジーンズから埃を払いながら多英も追随する。


「ほな、今度のはネギだけでなく月見にして食べるよ」


 食事の願望を汲みあげられた僕はおどけた。昼もウドンだというのに夜も同じとは冴えないものだ。でも、その一言がこの夕暮れからの行軍のねぎらいだというならば悪くはない。

 湯気を立てながら待っているだろうウドンに意識を置きつつ、夜空を見上げる。何の変哲もない闇がそこにある。安保が今日の正午に自動延長となってからもう八時間が過ぎていた。だからといって、夜空の色合いが変わるなんてことはないのだ。


「蕎麦も食べられるトコがいいわね……あたしゃ、たぬきが食べたいわ」


 そう言うと中田は肩にかけたタオルで顔を拭い、僕らをうながして歩き出した。駅の裏に安くて上手い立ち食いがある、と彼は続けた。安平さんが教えてくれたのだという。

 ウドンに異議はなかった。僕は、涙も枯れ果てた体内にもっと温かな液体を取り込みたいのだ。

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