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恋のほのお  作者: 桃山城ボブ彦
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第39回~昭和45年6月5日「サニー」(後)


 中田が席に戻ってきた時、ビートルズはまだ流れていた。『カム・トゥゲザー』に続き、聞きなれない曲が流れはじめたのだ。それがビートルズだと分かったのは、相変わらずに下手な気取りでしゃべる店員が新しい曲を「今日発売のビートルズ最後のLPから! 『トゥ・オブ・アス』!」と怒鳴ったからにすぎない。声は確かにポール・マッカートニーだった。


「踊る美男美女を掻き分けての小便は格別のもんだのお!」


 中田は、「最後の」ビートルズLPだとアナウンスされた途端、憑りつかれたようにゴーゴーを再開するフロアの客をニヤニヤと見ながらに席へ戻ってきた。誰がリクエストしたかは知らないが、フォーク調の穏やかなナンバーですら今のうちに踊っておかなければと思わせるだけの権威はまだ、ビートルズにあるらしい。天下をとったクリーデンス・クリアウォーター・リバイバルやレッド・ツェッペリンは果たして、バンドの命運が尽きる際になってもそれだけの訴求力を持つのだろうか。


「トイレへの途上でアベックを蹴散らすんじゃねえよ。悪趣味な」


「まあまあ。生理現象は生理現象や」


 こちらのからかい半分の軽いたしなめを、中田は平然と受け流した。やはり、こいつは酔っぱらっているのかもしれない。


「しかし上から見ると、あそこのアフロ・ヘアの外人なんか相当頭にきていたぞ。その細い体、粉々にされなくて幸いだったな」


「仮に俺が死んでもお前は香典くれるさ。だから問題ないって」


 嬉々とした風情で彼は返した。


「誰がやるか」


 僕はグラスをとった。が、ウイスキーは既にない。そしてもう、アルバイトの時間もせまっている。でも、飲み物をあきらめても酔った酔わないに関係なしで中田に伝えることがあった。


「言っておくが中田。ブラック・ジョークを言うなら、話す相手が戸惑わない範疇にしてくれ」


「へえっ?」


「この春に知り合いが一人亡くなったんだ……本当にクズで、嫌なやつだったけどな」


 中田はとっさにうつむいた。余計なことを言ったという焦りがありありと浮かぶ。

 言わなきゃよかったかな、と思った。言った当人は決してその「死」を悼んでいるわけではないからだ。どこに向かっていくかわからない喋り倒しをする男の口を気まずく止めるために、僕は福村さんを利用したに過ぎない。


「気にするな。本当にクズだったんだ」


 予想以上に中田が落ち込んでしまったので、慌てた僕は重ねて強調した。だが、彼はゆっくりとかぶりをふる。


「波多野、いいよ。何があったとしても亡くなった人を悪し様に言っちゃいけない」


 しばらくの間、店内の雑音をのぞけばビートルズだけが全ての音という時間が続いた。全ての行動を酔いにまかせているかもしれない中田に釘をさしたいという唐突な感情の折り合いに、人の死を悪し様に使った後ろめたさがある。



「しかし、ビートルズも廃れないな」


 中田はしばらくポール・マッカートニーの歌声を聴いていたが、ふと、感心したように唸った。


「どうだかね」


 僕は腕時計を確認すると、彼の感嘆を適当に受け流す。この男への違和感はもうほぼほぼない。それでも、お互いの気まずい言葉を挽回するために話題を変えようとする努力が面倒くさかった。

 だが、どうも相手にそういう意図はなかったようだ。


「でもよ。俺は基本クラシック……特にシューベルトが好みでロックはこいつらだけしか知らないが、未来の音楽の教科書にはビートルズがのるかもしらんぞ。『イエスタデイ』なんかにはそれだけの威力がある」


「そういうものかねえ。僕はギターも弾いたけど、あまり音楽理論から考えたことはなかったよ」


 僕は残り二本となったタバコを箱から引き出した。『わかば』が口元へと運ばれる様を中田はじっと物欲しそうに見つめる。どうやら、最後の一本まで貰いタバコに徹する気らしい。


「また、欲しいのか?」


 いい加減に呆れたが、確認はいらなかった。マッチで煙を作り目を細めている隙に、中田が最後の一本を箱からむしり取っていたのだ。


「さっき手洗いに行ったついでに一曲リクエストした。今日のタバコの礼にそれをお前に送るよ」


 この店に入ってからずっとそうだったように微塵も悪びれずに人の『わかば』を咥えると、中田は微笑みのうちにマッチを要求した。


「ほう。お前が知っている曲だから……また、ビートルズか」


 マッチの小箱を手渡しながら、僕は彼の選曲をうかがおうとする。しかし、彼はまたかぶりをふると曖昧のままに答えをはぐらかした。


「波多野、聴けば分かるよ」


 まあビートルズなのだろう。しかし、いくら今日LPが発売されたばかりとはいえ三曲続けてでもいいのだろうか。


「ふうん。まあクラシック党がロック喫茶で何を聴きたいのか、気にはなるがね……」


「今のお前が一番必要な感情を唄った曲さね」


 悠然とニコチンを吸い込むと、中田は両の手の中にそっとマッチ箱を抱え込んだ。そして、口笛と共に緩やかに去っていくビートルズにあわせて自らも掠れた口笛を試み始めた。


”はい、待望のビートルズでしたナ! もっとも、解散したのに新たな録音って言い方は変かもしれないがね! そいじゃ次のリクエストは……おっ、いいねぇ! うんざりするほどの名曲で、ボビー・ヘブの『サニー』!”


「中田、お前が頼んだのはこれか?」


 そう確認すると、花柄のシャツのポケットにマッチ箱をしまいこんだ髭面がゆっくりと頷いた。


()()()()()()()()()()()()()()()()



 もう、『サニー』が巷で流れだしてどれくらいの季節がすぎたのだろう。春に、秋に、テレビで、ラジオで、喫茶店で、、おケイの家で、石堂の部屋で、大学で、僕は耳が炎症をおこしそうな程にこの曲を聴いてきた。望んだのではない。哀感しかないような黒人歌手の歌声は、それ程にまであちこちで求められている。ヒット曲ですら、ひとつの季節をまたいだ頃には消え去っていくのが常だが、大ヒットをしたわけでもない『サニー』は、いくつ季節がうつってもひっそりとどこかに佇んでいる。日本人好みのメロディーのせいだろうか。ちょっと前は、日本のバンドがLPを録音したら決まってこれが入っていたという時代だってあったのだ。


「ビートルズ以外で唯一好きなポピュラーでな、これ」


 リクエストが採用されたのが嬉しいのか、中田は満足気だ。念のための酔い覚ましの水を飲みながら、僕も耳を傾けた。

 控えめなドラムロールの後、お馴染みの泣き出しそうな声が響く。楽器もコーラスも歌声も、何一つとして激しい自己主張をしない。淡々とした哀愁のみがそこにあるだけだ。


「本当に、いい。心が洗われる」


「まあな」


 絶賛の言葉を続ける中田に、僕は控えめな賛同を送った。確かに寂しさの反面、人の心を鷲掴みにする曲ではあるのだ。だが、名曲の不気味な魅力を全力で受け止めることは、いいことなのだろうか。


「うん。やはり『サニー』はえがった!」


 曲が流れ終わった後、中田は柏手をうつように両手を一回強く叩いた。


「そりゃな……しかしなんでこれが『僕らの』曲なんだ? さっぱりわからない」


 選曲の良さには同意しても、彼がそういう念押しをしたことの意味を知りたかった。名曲は名曲だが、ただのマイナー調のメロディーに過ぎないじゃないか。


「あ……。そうか、波多野はこの曲のことをあまり知らないらしいな。歌詞程には単純なラブ・ソングではない……」


 アゴ髭に指を這わせながら中田はそう言うと人懐っこく目を細め、お冷を二つ注文する。


「これは……だから『サニー』は波多野、ボビー・ヘブがケネディと自分の兄のために作った曲だよ」


「えっ」


「ケネディが殺された日の夜、兄貴も強盗だかに殺されたんだよ。このお方」


 彼は氷がすっかり溶けたウイスキーを口にした。


「敬愛する存在を一日で二人も喪ったんだね。だから、悲しみを癒すためにこの曲を書いた」


「なるほどなあ」


 僕は感心した。ただのポップ・ソングにそういう背景があるとは知らなかったのだから当然だろう。


「しかしまあ、僕がさっきケネディの話をしたから、お前もこれを選んだんだなあ」


「それは違う。波多野、それだったら『お前の曲』だが『俺らの曲』にはならない」


 中田は諭す様に手のひらをこちらにかざした。だが、優しげな仕草と違い語気にはこちらの言を否定しようとする鋭さがある。


「『サニー』とは人名でも陽光でもない。目の前から去って行ってしまい、もう取り戻せなくなった人々のことなんだよ。だからこの歌手は去った人々への感謝の言葉だけの歌詞を書いたんだ。なあ波多野」


 そこで彼は話を中断した。そして彼の細い左の一指し指がまず僕を指し、それから彼自身を指した。


「前をみすえようとする気があるのなら、まずは去って行ってしまった連中への感謝が必要だと思わないか」


「それは……」


 何かを言いかけようとした僕を気にかけず、彼は続けざまに喋りつづける。


「僕の場合はセクトに行ってしまった親友だ。お前の場合は……ターから聞いた分だと大貫さんと石堂君。あと、さっき話していたクズの人」


「石堂や福村さんまでもか……」


 僕はうかない顔になった。だが、中田はテーブルに身を乗り出すと「そんな顔するな」と、穏やかな声でたしなめる。


「何年かを一緒にいて、まあ楽しい瞬間だってあったはずさ。それに一緒に過ごすということは、相手がお前を受け入れてくれていた訳だからなあ。波多野、そこいらに思いをもっていけよ」


 中田は残っていた酒を一気に空けた。


「それが、お前が先にいきたいのなら必要な儀式だ」



 中田は、店を出て雑踏の中を西新宿に向かおうとする僕に新宿駅までついてきた。彼は彼で、これから荻窪の下宿近くの焼き鳥屋でアルバイトが控えているらしい。一回食いにこいとは言われたが、僕は笑うだけにしておいた。髭と長髪の人間が焼き方をするとなると、ちょっと食欲がわかない。


「ところで中田、今日は吾妻さん学校に来てなかったな」


 別れ際に東口の改札前でそう話しかけると、彼はジーンズからパスを出しながら少しため息をついた。そして、答えになっていない返事をよこす。


「俺は……二人のいい道化になりたいねえ」


「どういうことだよ」


 僕は問いただしたが、彼の口からは分かりやすい言葉はかえってこない。


「坊ちゃん。お嬢様も、先に進むための儀式にちょいと出かけられているのであります」


「知ってるが言えない、ってとこだな。中田」


 国電から吐き出されてきた人波にまきこまれながら、中田は口元を少し緩めた。


「悪い話ではないのよ。でも、それはターの口から言わなきゃいけないことでもあるのよね」


 突如として、「普段の」口調に戻った中田はそこで会話を終わらせると、こちらに片手を挙げて改札口を通り抜けて行った。


「心配しないで。火曜にはあの子、シレっと学校に戻ってるんじゃない!」


 奇妙な女言葉に、何人もの乗降客がいぶかしげに振り返る。もう、彼はピエロだった。


「あの子の汽車、月曜の五時半に上野駅へ着く『はつかり』よ!」


 彼は改札の向こうから叫ぶと、ホームへの階段の先に消えていった。

 そして、僕はそんな友人の姿を黙って見送ると、西口へと向かうために地下道へと進んだ。アルバイトの時間だった。

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