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恋のほのお  作者: 桃山城ボブ彦
37/89

第36回~昭和43年8月14日「君はいずこへ」(5)

十五


「福村さん?」


 状況がなかなか飲み込めないこちらの独り言に近い呻きに、小男は笑みのままに反応した。


「波多野やったな。お前の友達のギターなあ、非常にええんや。学校をおちょくるだけのステージに使うんが勿体ないくらいにナ」


 福村さんの足取りは軽やかだった。それは、彼が軽量級のボクサーみたいな背丈と目方だからだけではない。七番教室に集まった学生が、壇上に寄越す視線を浴びていることを意識するからこその軽やかさに思えた。


「学校をディスコにする。これ程の嘲笑もないやろ、ええ? 波多野?」


 福村さんは満足気な表情を浮かべた。その瞬間に僕の胸には、今から行われようとしている「ゴーゴー大会」は彼が企んだものだという確信が沸き起こってきた。

 そして当然ながら疑問もあった。単純なことだ。前に芳村さんは、「福村はおべっかを教授に使ってる」と言っていたのだ。教授が体制で学生を反体制と単純に区別するにしても、その両方に色目を使っているであろうこの大学生の本心が僕は知りたかった。 

 なんにせよ情報量が多すぎた。石堂がギターを抱えて大学に入り込んだことを奇妙に思ったとたん、福村さんのお出ましだ。僕は口を開いた。もちろん、大学生の本心を最短距離で把握するためだ。


「でも福村さん、教授の……」


 言葉は最後までは出なかった。福村さんが笑みをたたえたままで僕に近づくと、肩を抱きかかえるようなふりをしながらで細い腕で首を締め上げはじめたのだ。華奢な身体には似合わない、万力でねじられるような威力が僕を襲う。


「ゲッ」


 思わず呻いた僕の目の前にはギョロ目のえびす顔があった。きっとまわりの学生からは、学生同士がふざえあっているようにしか見えないだろう。


「波多野くーん……余計なこと言うなワレ」


 福村さんは大声で親愛のこもった風に名前を呼び、それから低く小さな声で威嚇をはじめた。僕はもう声が出なかった。気管が圧迫されて、出したくても何も出ないのだ。僕のものではない長い赤茶けた黒髪が、しきりに目と鼻に違和感を与え続ける。


「石堂、今何時や」


 垂れ下がった二組の長髪のうち、僕ではない黒髪の持主が気の抜けた声でギタリストに時間を尋ねようとする。


「へえ…………一時の三十分ですわ」


「まだ『開演』まで時間あるな……ちょいと席外すで。この坊やにジュースでも飲ませたる」


「わかりましたで」


 親友の声の方向に身をよじりたいと思うのと、羽交い締めの苦しさから解放されるのは殆ど同時だった。ようやくに呼吸の自由を取り戻した僕は、息を整えるのももどかしく、石堂へと視線を向けた。言葉をかけるのが難しくとも、表情さえ確認できたら大抵のことがわかるくらいには付き合いは長いのだ。

 が、彼はぼんやりとした興味のなさそうな一瞥を寄越すと、またヤマハのギターの調弦に没頭しはじめるだけだった。

 しかし、僕は非難など出来なかった。こちらだってある部分で彼に白けている。ならば当然、彼にだってこちらを冷徹に見返す権利があるのだ。それは、お互いが声に出さなくても、腐れ縁から察せられるものなのかもしれない。


「さ、コーラやろがサイダーやろが飲ましたろ」


 福村さんの細い腕が、先ほどとは打ってかわった優しさで僕の右肩を包む。僕はその腕に抗わず、福村さんと連れ立って教室を後にした。ささいな事であっても、場所を変えた途端に饒舌になる連中はいる。この大学生に二面性があるかどうか、石堂とどう繋がっているのかは、今から場所を変えたうえで訊けばいい。


十六


「なんでも聞こやないか」


 B号館から程近い、体育館と学生食堂に囲まれた広いコンクリート敷の広場に案内した福村さんは、コーラの自販機に五十円玉を二枚入れ、冷えた黒い飲み物を二本手に入れると、まるで今日明日の天気の話でもするように会話をはじめた。

 僕は手渡された黒い液体の入った瓶の表面をしばらくなぞってみたが、やがて機械の脇に備え付けられた栓抜で蓋を開け、そして質問を開始した。


「……この前、芳村さんが言うてましたで。『福村は共闘委員会にも教授にも媚うってる』て。共闘委員会の催しでドラム叩くのは福村さんの本心なのですか」


 それだけ言うと、僕はコーラを少しだけ喉に流し込んだ。炭酸飲料特有の、パチパチした泡音で口腔内が満たされてゆく。その響きを味わった後に、僕は相手の答えを待たずに問いを重ねた。


「それに、なんで石堂がおるんですか。アイツはギターを休んで久しいはずやし、それに……こことは何の関係もない高校生やないですか」


 福村さんはしばらく黙っていたが、やがて自らも栓抜きでコーラの口を開けると、中身を少しだけ口に流し込んだうえで口を開こうとする。栓を機械にかけなおす緩い金属音が響いた。妙な音だった。大学が機能を失っても、冷えた飲み物を運び入れる業者がいるからこその音だった。


「去年稽古つけたあたりからかな。やたらとアイツ、芳村を介して大学事情を知りたがっとってな。なんや学費値上げ阻止やろが反戦やろが、要は学生の闘争に凄い共感しとるらしいのや。せやさかいたまに部室に来さして練習させながら時局の話はしてやったが……お前に関係ないやろ」


「練習? アイツは五月には『合格まではギターやめる』言うてましたんやで?」


「そんなんは知らん。お前との練習はやらんいうだけの話なんと違うか。お前、去年の時点で大して上手くなかったしな」


 そう言うと福村さんはコーラをもう一口だけ口に含み、それからタバコに火を点けた。

 殴ってやりたい気分だった。それは別に、ギターの腕前をクサされたからではない。目の前の男が石堂とどこかで練習をしていて、それを知る由もなかったということが怒りの原因だった。彼と一番の親友と思っているこちらとの間に割って入るような行為は面白くないのだ。そして無論、些細なものだったとしても嘘をついた石堂だってぶちのめしたい。

 風が吹いて、『わかば』の煙がこちらへと流れてくる。その煙を僕は大げさに手で払った。その仕草を福村さんは冷めたような目の細め方で確認すると、風向きにあかしてもの凄い勢いでタバコの煙をふかしはじめた。


 僕は、自身が石堂にどういう感情を持っているのかがわからなくなっていた。まず、おケイに関しては嫉妬がある。肉体については劣等感がある。この二つをさ迷っている中に、僕でなく福村さんなんかとつるんでいたということへの新たな妬みが加わろうとしている。

 石堂の後をついて行ったのは間違いだった。そういった感情をぽつりぽつりと芽生えさせるだけだったら、麦わら帽子でも買って甲子園の見物でもしていた方がナンボかマシというものだ。

 それでも、やましい感情を傍らに抱え込んでいたとしても僕は彼の友人であるはずなのだ。使命感だけは残っているかもしれない。少なくとも、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()があるはずなのだ。

 煙が吹き込まなくなった。小男の咥えたタバコの火種がなくなったのだ。僕はそれを確認すると、意を決して喫煙者を見据えた。


「イシに、石堂に大学生にしか分からんような変な色をつけんで下さい。……アイツ、頭はええけど純粋やから、義憤のような感情なんぞ炊きつけられたらそこに真っ直ぐいき、参加しよ思いよるんです」


「それ、頭がいいとは言わんな。俺はあのノッポに色んな視点を与えてやってるだけや」


 新たな『わかば』を咥えた福村さんは、事もなげといった風体だった。風を避けたいのか、彼は学生食堂の前に据え置かれた屋根のあるベンチに座って火を点けると、細い手でこちらを手招きする。僕は誘いに応じたが、ベンチの横には座らずに、立ったままで彼が次に何を言うかを待とうとした。

 だが、こちらが期待するような言葉はそこにはなかった。石堂の話が出ないのだ。


「ところでなあ、波多野。すねっ齧りの学生風情がこんな風に学校を封鎖して『学費維持』なんて要求の貫徹など出来る思うか?」


「さあ……どうでしょうか?」


 拍子抜けの気分だった。こちらが聞きたかったのは、「彼が石堂をどう考えているか」、だけであってそれ以外はどうでもいいのだ。だが、そんなこちらの気持ちを知ってか知らずか、福村さんの言葉は脇へ脇へと逸れていく。


「共闘委員会はボケの集まりや。学長引きずり出して全学集会で吊し上げたら何とかなると思っているが、世間が見放すだけや。時間はかかるが学生は負けるわ、日本中の学校でな」


「なら、なんで運動をやっている連中に取り入るんですか? 芳村さんはあなたが教授の家でゼミやっている言うたはりましたで。勝算がないのがそんくらい分かっていはるなら、無理に運動している人らに混じる必要ないやないですか」


 僕が、福村さんという男が暗い、実に暗い嫉妬のみの存在だと分かったのは次の瞬間からだった。


「そらお前、面白いからやがな。熱血漢どもが挫折するところを間近で見たいからやがな」


 そう言うと彼は残っていた瓶底の液体を飲み干した。満足気なゲップが、言葉の幕間となる。


「日本人が近代社会で権力に起ちあがって勝った試しなんてないんやで。せいぜいが米の値段を下げさせたくらいや。なのに大学生ときたら暴力で政府を倒した経験を持つソビエトやフランスの真似が出来ると思うとる」


 そこで話を区切ると、福村さんは傍らのくず入れに瓶を放り込み、それから濡れた口を拭った。


「あいつらは負けるよ。今は義憤にかられた学生さん、くらいで世の中も許してくれるけど、こんな状況が長引いたら『ボンボンの遊び』や言われて見放される。安定した生活に忍び込むかもしれない異邦人に見えてくる。……老いた学長を集団で吊し上げて快哉を叫ぶ人間が世間にどれだけおる? 世の中はソッポ向くよ、いずれな」


「僕は言うたはること、よう分かりませんわ……。でも、そこまで予想されてるなら、なんで負けると思うてる連中にいい顔するんです? なんでそういった空間にイシを連れていくんです?」


「それはな、いくら見放されても俺らの世代は社会に入っていくわけや。政治にウツツぬかしても障害にならないマスメディアなんかにもな。ほんで長い時間かけて世間に取り入って『あれは正義の義憤だった』と主張し続ける。三十年後、四十年後になったらこんな先の見えた幼稚な反乱も、気付けば『美しい敗北』に上塗りされるんや」


 福村さんは腕時計を見やり、立ち上がった。どうやら「開演」の時間が近づいたらしい。


「その過程を体験しておけば、その時になって得意げに『美しい敗北』をウットリと語るアホをあざ笑うことが出来るやろ?『何言うとんねや、あれはただのボンボンの自己満足やったがな』、ってな」


 彼は僕の横をすり抜けると、足早にこちらから去ろうとする。最早こちらの存在になんて興味がないがないとでも言いたげに。僕はその身体を追わなかった。ただ、次第に小さくなる背中に一言だけぶつけるしかなかった。


「嫌な人ですね」


 人のいない中庭に響き渡るだけの大声だった。福村さんは足をとめてふり返ると、再びこちらに近づいてきた。

 長い髪が包んでいたのは笑顔だった。


「せやで」


 僕の目の前まで戻ってくると、彼はアゴをつきだすようにしてそう言った。


「石堂()のことについて言い忘れてたから戻ってきたわ。……俺はああいう何事にも才能のある爽やかな奴が嫌いでね。長い人生、一度くらい義憤ではどないにもならんことを知らしめてやりたい。それだけやな、アイツに思うことは」


 福村さんは百八十度足の向きを変えると、再びB号館へと戻ろうとした。

 咄嗟に僕は、そのなで肩を掴んだ。不意を突かれた顔には、ありありと怯えがあった。が、それでも年上を殴り倒すことだけは出来なかった。怒声を浴びせるのが精一杯だった。


「長生きできんよアンタは! いつかどこかでその卑屈さのままに倒れたらいいさ!」


 息があがってしまっていた。相手がどんなに嫌な人間でも、罵声を発したら緊張と興奮で次に何をするのかは気持ちが落ち着くまで分からないのだ。


「言いたいことはそれだけか、波多野?」


 こちらが興奮を鎮めようとする時間はまた、福村さんが怯えを払拭するに余りある時間でもあった。その表情にはもう二度と、恐怖は浮かんでこなかった。


「憎まれっ子なんとやら、いうてな。まあ、俺は当分は死にはせんやろなあ。ほな失敬」


 僕はもう、その肩を掴むことが出来なかった。ただただ呆然とするだけで、B号館へと福村さんの後をついて舞い戻る気力もなかった。本当に僕が石堂の友人なら彼のもとに走って、多くの学生の前で福村さんという男の本性を暴露するのがその責務だろう。あれやこれやとベラベラと喋りすぎる小男には隙が大きすぎる。五分の後に七番教室のコミュニティで転落させることは造作もないことのはずだ。


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 僕は一人ぽっちでだだっ広い空間にあるベンチにしばらく腰かけていたが、福村さんが去った方角から風にのって流麗なギターの音色と、重いドラムスの音が流れてきたのをみとめると腰をあげた。それがバニーズの『ライジング・ギター』であっても、今日だけは聴きたくもない代物でしかない。

 財布の中の五百円札を確認すると、僕はタバコの自販機で頼まれていた『ハイライト』を買い、大学の付属高校の方へと足早に歩き始めた。大学の敷地から一刻でも早く立ち去りたいという感情しかなかった。

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