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恋のほのお  作者: 桃山城ボブ彦
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第27回~昭和43年6月25日「恋よ恋よ恋よ」(後)


 大丸を出ると会話があまりなくなってしまった。よくない感情というのは、言葉にしなくても雰囲気に滲み出る場合だってある。当初の用事は終わってしまったことにくわえて、相手にも何故かはしらないがこちらが白けているのが伝わっているかもしれない以上、話しかけることへのためらいがあった。何を口にしても言い訳になり、それを恵子に見透かされるような予感がある以上、僕には言葉を発する度胸がない。

 バス、タクシー、市電にマイカー、様々な乗り物が午後の強くなった陽ざしを浴びながら通りを行きかう。商店の宣伝スピーカーが騒々しく鳴り響く元町を、日曜日のアベックや親子連れに混じって僕と恵子も歩いていた。ただし恵子が先頭だ。行くあてをなくしてしまったうえに、あまり上等ではない感情にとりつかれている僕は、どこにも彼女を導けないので自然とそういうことになってしまう。ミニスカートからのぞく白い足がせわしなく歩みを進めるのを眺めながら、僕は「嫉妬」とは何かに思いを巡らしてみる。


 大貫恵子が石堂のために多くの時間を嬉々として割いていく姿が、徐々に心をしめつけていったのが原因だとは分かっている。どう考えても、こちらへの贈り物を選ぶ時よりもきめこまやかな選択を今日の彼女はしているのだろう。「友達」として、彼女が石堂に惹かれていることを止める筋合いなどないというのは理屈として心のどこかでとどめているつもりだ。ただ、そこに友情以外の感情があったとしたら? いや、感情があっても、現に石堂は恵子に惚れている。そして、恵子も石堂に惹かれている。石堂との「大学までは休戦や」なんて協定の存在なんざあったところで、僕の心のうちを発露する場所など三人の中にはない。

 そのあたりが「嫉妬」の原因だろう。そして僕は今、そんな感情を抱いてしまった自分自身に、どうしようもない嫌悪感を感じるようになってしまっている。友人に対しての感情としては全くにろくでもないじゃないか。

 こういう悶えた気分になることは、芳村さんに言われた時になんとなくだけれど予想していた。だからこそ、僕は必死にそんな感情が自分にはないと去年の秋から思い込もうとしていたのだ。それを先月、石堂のアホに変化球二球で白状させられてしまった。そりゃ、白状した時は楽だった。犯人が刑事に自供してタバコをもらうようなんもんだから。でも、犯人はやがて裁判に引きずり出されて刑を受ける。

 僕だって、そうだ。親友が親友に惚れている姿を、やはり友人の一人として黙って、できたら微笑みなんざ浮かべて見ていなければいけない。二人の恋が実り、花開く間、想いは隠さねばならない。それが単純にして難しい僕への「刑罰」だ。十八になったばかりの僕にそれが出来るか?


 僕は前を見据える。紙袋を両手で胸元に大事そうにかかえて、少し前かがみに歩いていく恵子の後ろ姿が視界にひろがる。それを少し見つめると、僕は一つため息をついて決心を促すことにした。

 

 それでもやらなければならないのだ。演じなければならない。それだけが、三人の関係にヒビをいれない唯一の方法じゃないか。恋が実ることよりも大事なことって、あるはずじゃないか。

 先を進む恵子が横断歩道の手前で立ち止まり赤信号を確認する、そして僕へと振り向くと行く手をしばし阻まれたのにガッカリしたのか少し苦笑した顔を見せた。僕もそれに対し、同じような表情を彼女におくった。前の二時間の無愛想さを挽回し、僕はこれから「俳優」になるのだ。深呼吸を一つする。少しだけ、海から風が涼しさを運んできてくれて、覚悟を労ってくれた。


「どないしたん? いきなり深呼吸なんかして?」


 女の子にしては背の高い方だが、それでも百六十センチくらいしかない恵子は僕に近づくと、少し身体をよじるようにして上目づかいにこちらの表情をうかがおうとする。ただ、そこにはもう、先ほどまでのこちらの言動に対する違和感を気にするような雰囲気が感じられない。少なくとも僕はそう感じた。多少の笑みを見せたのがよかったのか。


「いや、色々()()()()()()()()()()、思ってな」


 そう言うと僕は、もう一度作り笑いを試みながら頭を掻いた。さりげなさを装っているつもりでそうしたのだが、もう一つ、ここしばらく床屋に行かないことで耳を隠すくらいの長髪を初めて試している以上、定期的に髪に触らなければむず痒くて落ち着かないのだ。おケイもそうだけど、髪を長く伸ばしても苦にした感じを見せない女の子達ってどれだけ偉大なのだろう。


「波多野君もワセダやもんねえ」


 納得したようにおケイはひとつ頷いた。その姿を見て、僕は奇妙な安堵感を覚えた。返事から察するに、こちらの真意がバレていない。おまけにその口調をみるに彼女はここまでのこちらの奇妙な行動に違和感を感じていないのだ。何故か気が楽になる。


「せやで。試験に数学ない以外はイシとおんなじくらい難儀な学校や」


 のんびりとした口調で僕は返事をかえす。その瞬間信号が青に変わり、僕たちは人の波に従って横断歩道を渡り始める。そして恵子は遥か遠い存在となってしまった。松原智恵子と彼女は顔だけでなく、触れられない対象という意味合いでも全くおんなじ女の子になってしまったのだ。



「そうだ波多野君、元町まで来たし雑誌を一冊買いたいんよ。いい?」


 目の前を進む恵子は来た道を戻ろうとはしなかった。南へと進路をとり、百貨店の程近くにある本屋まで歩くと、その中にサッサと入っていく。あわてて彼女に続いて店内に入ると、恵子は雑誌棚から今月号の音楽雑誌を抜き取っているところだった。


「なんや『ミュージック・ライフ』かいな」


 恵子の手元にはビー・ジーズの写真で飾られた「ミュージック・ライフ」の六月号がかかえられている。僕や石堂は雑誌とはいえカラー・グラビアから何からが掲載されて二百三十円もする「ミュージック・ライフ」を積極的に買いはしないが、彼女は毎月この音楽雑誌を買っているのだ。なんでも新譜の批評が掲載されているから、LPを買う判断に役立つらしい。三百七十円のドーナツ盤を買うかどうかで悩むときもあるこちらからしたらガイド・ブックにまで金銭を投じる姿には羨ましさがある。まあ、いずれいつものように回し読みで借りることになるのだが。


「うん…………今月号、勉強忙しくてまだ買うてなかったんよ」


 少し照れたような表情を浮かべながらレジスターで会計を済ませると恵子は外に出る。再び元町の路上に戻ったところで、僕は彼女に少しだけ冗談を言うことにした。


「どうせなら、ウチの本屋で買うてえな。おケイの学校の近くにも店があるんやさかい」


 こちらがふざけると、恵子はまた照れたような顔で少しだけうつむき、そして答えた。


「うーん、そら小林でもええんやけどね。こないして町にでた方が雰囲気だけでも楽しめるから」


「雰囲気?」


「ウン。神戸は外国が近いでしょ? せやさかい外国に関する本を買うなら外国が感じられるところで買うのが好きなんよ」


 それならレコードをいつも宝塚で買うのはなんでや、と僕は更に問おうとしたがやめることにした。下手な冗談を畳みかけるのは無粋だし、それに少しはにかんだようなおケイを見ているのが楽しい。何よりもこちらの歪な感情がバレていなかったことへの安心感をもっと堪能していたかった。


「外国かあ……」


 そうとだけ呟いた僕は、通りを行きかう人々に目を向けた。確かにこの街は外国人が多い。白人の船員や家族連れ、中華系の商人が休日独特の穏やかな足取りで緩やかな坂を登り降りしている姿が飛び込んでくる。そういえば、アメリカン・スクールも中華学校もこの街にはあるんだっけ。

 外国を身近に感じられるのは面白いことだ。それは、たとえ目の前にいる少女が外国よりも遠い距離のところにいるのだとしてもやはりそうなのだ。もう僕は、この街の雰囲気に程よく溶け込んだバタ臭い顔の女の子の横にしばらく佇むことが出来たらそれでいいのかもしれない。


 恋なんてもってのほかだ。


 本屋での用事をすませても、おケイは駅へと向かおうとしない。大丸前の交差点まで戻ると今度も元町の駅でも三宮の駅でもない方向、すなわち元町の商店街を西へと進み始める。そういえば、「ウインドウショッピングがしたい」とか言うていたっけ。すると僕はまだまだ立ちっぱなしということか。大丸以来の歩き疲れた感覚が蘇ってきた。心の葛藤はおさめても、肉体的な疲労はなかなか誤魔化せないようだ。

 しかし、肝心の恵子には買い物の意図はどうやらなかったようだ。「歩いてばっかりだし、冷たいものを飲んで休もうよ」とこちらに提案すると、洋風せんべいで有名な菓子店の喫茶部へと僕をいざなった。こちらの疲れを察したのか、自身も少し歩きすぎたのかはしらないが有り難い申し出ではある。


「ね、波多野君、早速今月号の『ミュージック・ライフ』読まない?」


 席に通され飲み物を~おケイはチーズ・ケーキもだが~注文した後、彼女は座っていたソファから身をのりだすと、魅力的な誘いをおくってきた。


「買ったばかりでええんか?」


「そんなん言うて、結局一週間もしたら石堂君と波多野君に貸んやから同じことやん」


 笑いながら恵子は書店の紙袋を丁寧に開けると、中から雑誌を取り出した。ビー・ジーズやモンキーズ、ビートルズの鮮やかなグラビアや来日の噂、それからゴシップなどが所狭しと飛び込んでくる。彼女の白い手は素早くページをめくり続けていたが、やがて巻末に近いモノクロのページで動きを止める。


「あ、やっぱり。そろそろ載ると思ってたんよ」


「何のページや? そこ?」


「ほら、『ザ・タックスマン』!」


 嬉しそうな声と共に彼女はページを見せる。それは、外国のグループばかり扱うこの雑誌の中で唯一、日本の新人バンドを紹介するコーナーだった。彼女の指は「ザ・タックスマン」と名乗る五人の男の子の写真を指し示す。


「京都出身でこの春にデビューしたばかりなんやけどね、そろそろデビュー曲がヒットするかもしれへんのよ」


「ふうん。まあ、タックスマンなんて名乗るいうことは、みんなビートルズのファンなんやろなあ」


 僕はそうとだけ言うと腕を頭の後ろで組み、椅子へともたれかかった。ビートルズの曲「タックスマン」からバンド名をつけたとなると、ビートルズ贔屓の連中だろうという察しはついたが、外国ではない日本のバンドの話題なんてどうでもいいことだった。


「あ、波多野君、日本のバンドやからどうってことないや思うてるでしょ」


「ん……いや……」


 不味い反応だったな、と思った。恵子は洋邦問わずに音楽を聴くが、僕や石堂は全くに日本のバンドには興味を持っていなかった。その無関心さが自然に態度に出てしまったのだ。せっかくもやもやとした感情を隠し通せたのに、こんな些細なことで躓いてはバカもいいところだ。

 しかし、おケイの反応は意外なモノだった。


「いいんよ。石堂君や波多野君は海外のにはお熱だけど日本のグループの話は全然せえへんから何となく分かっていたわ」


 笑いながら彼女はページを閉じた。そして、雑誌を紙袋に戻すとあらためてこちらの顔を正面から見据えた。その態度を見て僕は、慌ててくつろいだ姿勢を改め、何となくだが背筋を正した。


「でも凄いと思わへん? また関西からグループが出たんよ? タイガースもリンドも、この前のオックスもみんな関西から飛び出て日本中の人気者やん?」


「確かになあ、タイガースの人気は凄いからなあ」


「ウチらとほとんど年のかわらへん男の子たちがギターもってテレビに出てくる時代になったんよ! 波多野君も負けてられへんよ?」


「うん……」


 喜色ばんだ恵子の声に僕は圧倒されるしかなかった。同世代がバンドとして世に出るようになったのだから負けずに勉強を、とのメッセージなのかな、と思った。それとも純粋に同世代の活躍が楽しいのだろうか。それにしても「ヒット・パレード」あたりに出るのと早稲田に入るのならどちらが難しいのだろう?


「タイガースなんてもう、全国の女の子の間じゃあ()()()()()()()()より有名なんじゃないかしら?」


「いや、流石にそれはないやろ」


 注文していたレモン・スカッシュが運ばれてきたので、シロップで味付けをしながら僕は苦笑いを浮かべた。しかし、おケイも負けてはいない。彼女はアイス・ティーをストローで一口飲むと「タイガース論争」に躍り出る。


「だって野球の方なんて全然優勝しないでしょ? パパが嘆いていたもの。『ここ最近は毎年3位ばかりで嫌になる』って」


「それは……」


 野球のタイガースには村山も江夏もバッキーも、投手ならキラ星のようにいる! と叫びたかったが、野球を解さない恵子には何のことかさっぱりだろう。でも、確かに阪神は弱いのだ。ジャイアンツの王や長嶋のようなホームラン打者が少ないので点が取れない。だからいくらピッチャーが奮闘してもここ数年は六チーム中の三位がいいとこでしかない。でも、黒人の強打者であるカークランドが入った今年ならあるいは……。


沢田研二(ジュリー)の勝ちね。野球の方は弱いんだもん」


「阪神」タイガースに想いを馳せるこちらを横目に、恵子は一方的に論争をふっかけた挙句、同じくらい強引に話を打ち切った。野球と音楽の異業種を比べるという不毛な議論だったけれども、久しぶりに僕はこの女の子と「話をした」という感覚に満たされた。


「ああ、それでええよ。残念ながら野球のタイガースの負けや」


「物わかりのいい人って好きよ」


 目の前に運ばれてきたチーズ・ケーキを満足そうに見つめながらおケイは笑った。一メートル先のエクボに僕も笑い返してはみる。全くに関係のない話題の中ではあったが「好きよ」と言われたことに心の中で妙な感慨を覚えた。

 楽になりたい僕にとって、余りに重苦しい一言だった。目の前でおケイがフォークを操ってチーズ・ケーキを切り崩している。ふと、その小さな食器で彼女が僕の心をえぐってくれたら諦めがつくだろうか、と想像する。いや、フォークなんて使わなくてもこの少女は既にこの午後だけでも僕の心を削りたいだけ削っているのだ。

 無邪気さって、なんて残酷なのだろう。でも、「俳優」たらんとするならばこれくらいで動揺してなるものか。僕は少しだけ口を緩めると、レモン・スカッシュをストローでかき混ぜ、そして口に含んだ。甘みの足りない酸っぱいだけの味だった。



 恵子とは西宮北口の駅で別れた。万が一石堂とあったら誤解されるから、という論法を僕はまた持ち出したのだ。


「本当に、気にしぃなんやから、波多野君」


「念には念をってヤツや。僕はバスで帰るよ」


「分かったわ。……今日はありがとうね」


 そう言うと彼女の姿は今津線のホームへと消えて行った。僕は片手をあげて見送り、その姿が見えなくなったのを確認するとやがて改札口を通り抜けて外に出た。ただ、それはバスのロータリーに近い改札ではなく西宮スタジアムに程近い別の改札口からだった。バスに乗る前にやらなければいけないことがあった。

 改札口を出ると、整然とした通りの向こうに阪急西宮スタジアムの威容が浮かび上がってくる。しかし、今日は野球には用がない。それに、大体ブレーブスは遠征中だったか。

 僕は球場まで続いていく商店街の中からレコード店を見つけると、吸い込まれるように中に入っていった。宝塚のそれとは違う埃くさい店内のレコード棚から目当ての一枚を探し出してレジスターの女の子へと渡す。五百円札を差し出し、いくらかの釣銭とドーナツ盤の入った紙袋を受け取りながら、どうも僕は素直な人間ではないなという思いが頭をよぎる。


 心配していたように石堂に会うこともなく帰宅した僕は、部屋に戻ると服を着替えもせずに買ったばかりのレコードを取り出し、ジャケットを眺める。そしてため息と共に「ザ・タックスマン/恋よ恋よ恋よ」と書かれた盤面をステレオにかけた。

 上手とも下手ともいえない無骨なエレキギターの音色が六畳間に響き渡る。続けて、やたらと情に訴えてくるようなボーカルが唄いだす。「恋してる気持ちだけはある!」といった内容を繰り返すだけの二分間が過ぎていく。


「おケイも困った一枚を紹介してくれたもんやなあ」


 僕は苦笑するしかなかった。こちらが今、叫びたくても叫べないことを京都のグループ・サウンドが代わりに思いきり喚いているような気がしたのだ。日本のバンドも悪くないな、とも思う。リズムやビートが劣っていても、歌詞が染み渡っていく速度だけは外国のグループ以上なのだ。


「恋よ…恋よ…恋よ…」


 タイトルを呟くと、針の上がったステレオを横目に僕は六畳間に寝転んだ。こういう曲を聴いてしまうと、果たして「俳優」を全うできるのかという自信が揺らいできてしまう。あお向けになった顔に、強い西日が差しこんできて思わず目を瞑る。ただ、目を瞑らなきゃいけないのは西日だけではないはずなのだ。

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