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恋のほのお  作者: 桃山城ボブ彦
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第26回~昭和43年6月25日「恋よ恋よ恋よ」(中)


 冷房の効いた百貨店をにいることは、蒸し暑さ避け以外にどれだけの効用があるのだろう。ひとしきりエスカレーターで大丸の売り場を上に下にと歩き回っているうちに、ほんの少しだけだが歩き疲れた感覚を覚えた僕は、そんなことを考えるようになっていた。

 大体はおケイのせいだろう。この女の子は石堂への贈り物を、あれでもないこれでもないとあちこちの店で五分、十分と検討するのだ。それはある時はベルトであり、またある時はボタンダウンのシャツだった。挙句の果てには一気に地下の食料品店売り場で洋菓子の詰め合わせを眺めたかと思ったら、一気にエレベーターで屋上まで上がっていって造花を手に取ったりする。


「な、おケイ。石堂(あいつ)に結局何を贈ったるつもりなんや」


 買うでもなしに屋上の花屋の前に屈んで、造花の色々を見つめている大貫恵子に僕は横から声をかける。


「うーん。色々まわっているうちになんかアイデア出ると思うたんやけど、なかなか出ないもんやねえ」


「しかし、もう入って一時間半もたったでェ」


「波多野君はせっかちやなあ」


 おケイは花を見つめることを止めて、こちらに振り返った。ほんの少しだけ、戸惑いか苦笑まじりなのか、呆れた感情を隠しているかのようなぎこちない笑顔がそこにあった。


「洋品にするか花にするか、それともハンカチなのかお菓子なのか、こういうのは考えているうちが楽しいんよ」


「そんなもんかね」


「そうよ。プレゼントなんて渡すのは一分で終わっちゃうけど、考える時間は無制限やからね」


「うーん、そういうもんか。ほな、まだまだ考えないと僕らアカンなあ」


 恵子はふたたび大丸の屋上をゆったりと歩き回りはじめる。その後ろ姿を目でなんとなく追いながら、二人で予算四千円はなかなかに大した額だと改めて僕は思う。何せLPレコード二枚分なのだ。評判のローリング・ストーンズとアニマルズのLPを買ったとしてもお釣りがくるのだ。エリック・バードンの横顔をあしらったアニマルズの新譜は、今もっとも僕が欲しいレコードでもあるのだ。

 しかし、それだけの金額をもってしても祝いの品に換えようとするとなると、本当に高価なモノには手が届かないし、手軽なモノだと持て余してしまう金額になってしまう。


「な、おケイ。贈り物て難しいなあ」


「何言ってんの。だから探して選ぶのが楽しいんやないの」


 確かに、楽しい。しかしそこには石堂への感情はもはやそんなになく、少女の傍に数時間佇む権利を得ているからでしかないのだが。恵子は僕の本音など知らない。知ったら戸惑い、()()()()()()()()だけだろう。

 屋上から国電の元町駅の構内がチラと見えた。折しも特急だか急行だか、クリーム色に朱の入った電車がゆったりした速度で西へと走り去っていくところだった。

 言葉は用意できなくても、おケイを掻っ攫って博多か宇野まで列車に乗ったらどんなにか僕は落ち着くだろうか、という思いが頭をよぎった。宇野ならまあ三時間、博多なら八時間か、要はただただ側にいられたらいいのだ。先のことは知らないし、言葉は無くてもいい。この建物以上に密閉された空間にこの子といられたならそれだけでいいのだ。終点まで乗ってしまっても、途中で降りてもいい。道中の広島でも終点の博多でもそれぞれ低迷しているチームとはいえプロ野球は観られるし、そう考えたらまあ、悪いことはない。



「アカンなあ……。波多野君、もう一回紳士服売り場にいこ?」


 彼女の声が、こちらの駆け落ちの妄想を打ち切った。どうやらおケイは、花にはそこまでの面白さを感じなかったらしい。


「そうか、なかなか決まらんもんやなあ」


「そんなん言うてからに」


 エスカレーターの乗り場まで戻ってきた時、恵子は機械の手すりに手を伸ばそうとしている僕の前に回り込んで、冗談半分なのかもしれないが少し不満そうな表情を投げてよこした。


「波多野君、大丸来てから全然贈り物のアイデア出してくれへん。考えすぎてデパート通り過ぎた割に……ホンマに真面目に考えてる?」


 僕はエスカレーターに乗りこむのを一旦諦めて、彼女をとりなすことにした。そのような不満が出るのは当然で……僕はこの一時間半の間、おケイの真横に佇む以外は全くに何もしていないのだ。

 しかし、本音は別のところに隠している以上、そこを言い繕う言葉がない。僕は仕方なく、余りに凡庸な言葉で彼女の疑問に答えることにした。


「せやな……レコード売場でロックかポップスのLPなんかどないや? アニマルズの新しい録音が評判ええらしい」


「何言うてんの」


 おケイは「冗談も程ほどに」といった態で僕の背中を軽く右手で叩いた。


「石堂君、志望校京大やったはずよ。LPなんか贈ったらあの人絶対に聞き惚れて勉強せんようなるわ。そんなんしたら友達として責任問題や」


「ほな、とりあえずデパート出て楽器店で楽譜なりピックなり、弦やファズってのも……」


「尚更まずいわあ。ギターの練習中断してまで勉強している石堂君が、徹夜でギター弾いてもうたら京大アカンやないの!」


「うーん」


「うーん、やあれへんよ。波多野君、シッカリしてぇな」


 口調に棘はなくても、おケイの言葉は僕を責める。僕はなんとなくそれを聞きながしながら、ようやくエスカレーターへと乗り込んだ。彼女もそれに続く。

 ゆっくりと階下へ下っていくエレベーターの中で、少しだけだが考えていることの整理をしてみる。この子の前で「しっかり」とした立居ぶるまいをすることが出来るのが理想だ。しかし、それはやはり、出来ないのだ。野球好きの人間をいきなり後楽園のマウンドに立たせて、「長嶋と王を打ちとれ」と指示したところで何もできないのと同じことだ。修練がなきゃ、この晴れ舞台だってせいぜいがどのジャケットを着ようか、と思案するくらいの準備しか出来ない。

 それに、だ。なかなかに気分が上向いてこない根本はもう一つある。


 すなわち、なんでここまで()()()()()()()()()()()()()()に時間を使わなきゃならないのだ? ということなのだ。 


 恵子の近くに長くいられることは嬉しいことだが、結局のところ目的は石堂へのプレゼントだ。大体が、五月に僕が誕生日を迎えた時なんて、小さなクッキーの小箱くらいだったじゃないか。それを二人あわせて四千円の買い物ときた。こちらの提案も石堂の勉強を案じて一蹴された。広い大丸の中を巡り続ける時間と距離が伸びていくことは、彼女の石堂に対するある種の感情の比例ではないのか?

 疑念は頭の中で膨らんでいく。それは、あまり愉快なことではない。少なくとも僕は「性善説」なんて言葉にほど遠い人間なのだろう。



 延々と続いた買い物は、エスカレーターを降りた瞬間にあっさりと終わった。恵子が、ネクタイ売り場をみとめると、そこで黄色いネクタイとハンカチーフを買い求めたのだ。


「大学にも入るんやし、ネクタイの一本くらいあった方が便利やと思うんよ」


 こちらからワリカン分の紙幣と小銭を受けとりながら、そう言って彼女は表情を緩ませた。それは長い長い贈り物への熟慮から解放された笑みなのか、果たして石堂の驚く顔を想像してのものなのか。


「波多野君、黄色いうたら石堂君の好きな野球の阪神のカラーでしょ?」


「ああ。しかしおケイ、派手違うか?」


「そりゃ、派手よ。これを毎日締めていたらあの人大したアホや。でも、ここぞというところでお洒落するには、応援するチームの素敵な色やん」


 デパート・ガールがやって来て、お釣りの入った皿と商品の入った手さげ袋を恵子へと差し出す。礼を言って受けとったあと、ファッションの話が再開される。


「大人になるとね、服だコートだと大きな部分でオシャレをするより、時と場合では小物類でキメるのが粋な場合だってあるのよ」


 流石に衣料会社の社長令嬢なだけはあるな、と僕は思った。

 デパート・ガールの「ありがとうございました」という声に送り出されながら、手さげ袋を右手にした女の子が先頭に立つ。そして僕たちはデパートの出口へと歩みを進め始めた。


「ピーコック革命てな具合の話とは違うんかいな?」


 巷で最近耳にする、「男性のファッションを派手に」とかいうキャンペーンの名前を僕は口にする。


「ピーコック革命て、あんなん、うちのパパもそうやけど、繊維会社が派手なプリントのシャツやジャケット売りたいだけの話。本当にオシャレな人は地味な無地のスーツでも小物でキマっちゃうんよ」


 エレベーターを待ちながら、彼女はそう結論を出した。ファッションに関しての話題なんてのは彼女相手では分が悪い。僕は黄色いネクタイに関する興味をもつことをそこで打ちきることにした。

 しかし、彼女の行動がそうはさせてくれない。


 紙袋からネクタイの入った祝い用の包装紙を出すと、彼女はそれを僕の前にかざした。エレベーターが到着したが、彼女には乗り込もうとする気配がない。一台見送った後に、彼女の同意を求める嬉しそうな声が僕を襲う。


「なあ波多野君、石堂君ホンマにこれで喜んでくれるやろか?」


 そんなことは知ったことではない。しかし、全くに返事をしないことには様にならない。僕は、今日何度目かの、味気ない言葉を発する。恵子に話しかけられて、なんの喜びも感じなくなっていく空しさを意識しはじめなければならなかった。


「喜ぶやろ、そりゃ」


 僕はハッキリと今日のこの買い物に対する違和感と不安が何であるかが分かった。


 石堂への嫉妬だ。


 エレベーターを一台やり過ごしてまで、今日の買い物に嬉々とした期待を語り続ける恵子をみる程、複雑なものはない。 

 勝負を出し抜いてなどいなかったのかもしれないな、と思った。勝負なんて始まる前から結論が出ていたのだったら、僕は一人でかなわぬ未来に思い悩んでいただけのバカにすぎない。

 いや、悩むバカであることは別にいい。当たり障りのない言葉の裏に、勝手な願望で友人の一人に疑念をひそませ、もう一方に嫉妬する自分の見苦しさだけが問題なのだ。

 エレベーターの扉が再び開いた。機械の中から恭しい会釈と共にエレベーター・ガールが現れ、僕たち客を中へと招き入れはじめた。一日に何百回と会釈をするであろう彼女達も、本心では別の感情を持っているのだろうか。

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