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恋のほのお  作者: 桃山城ボブ彦
19/89

第19回~昭和45年5月17日「白い蝶のサンバ」(前)


 いつ雨が降るともわからない天気の中、定刻通り「ひかり十三号」は十一時十分に新大阪駅へと到着した。万博会場へのバスが通じている国電茨木駅に向かって慌ただしく乗り換えていく人々の群れの中、僕はホームのベンチに座ると大きく伸びをした。三時間余りの旅はそれなりに身体にこたえるのだ。

 大体、東京から大阪までが三時間というのを「おそろしく速い」と言う人の感覚がよく分からない。初めて僕が東京に行ったのは中学三年の修学旅行の時で、その時には既に今と同じ時間で新幹線は走っていた。そりゃ、それ以前の八時間だか九時間だかを要していた時代を経験している人にしたら「夢の超特急」なのかもしれないが、そんな時代を知らない以上何を感じるでもない。単にあって当然の代物で、長旅は長旅だ。


 名古屋から、そして東京から日帰りでこの日曜日だけで万国博を見物しようという強行軍の連中を見送りながら、僕は「わかば」を胸ポケットから出してくゆらす。石堂との約束の十二時までは五十分弱もある。大阪駅前への距離を考えると、すぐに動いたら時間を持て余すし、かといってお茶でも飲むほどの余裕もない。結局、一本吸ったら国電ではなく地下鉄線に乗り換えるのが賢明だろう。待ち合わせ場所である曽根崎の旭屋書店本店は、国電大阪駅からよりも地下鉄梅田からのがナンボか近い。サッサとついて立ち読みでもしておこう。

 タバコを足で潰す。そして僕はショルダーバッグを肩からぶら下げると、地下鉄乗換口に通ずる階段へと歩きはじめた。

 二月ぶりに会う石堂の顔が頭に一杯になった。僕がそうしたのだが、彼の顔のイメージは頬を腫らせて鼻血を噴き出しながらうつむいている時のままだ。



 約束の二十分前に書店のガラス戸を僕はあけた。新刊コーナーで筒井康隆を手に取ってパラパラと眺めてから文庫本の場所に向かうと、見慣れた大男がいた。彼は彼で、こちらの気配に気づいたのか開高健を書棚に戻し、ふり返った。


「よう来たな、ハタ坊」


 ぎこちない作り笑いで、石堂は僕を迎えた。


「まあな……」


 歯切れの悪い言葉でこちらも応じる。


「何時まで、いるんや?」


「最終の新幹線までは粘れない……。()()()()()()()もあるからな。だから、お前との話が済んだらデパート回ってさっさと帰るさ」


「そうか、まあ、そらそやな」


 僕らは並んで書店を出ると、曽根崎からお初天神の方へと南へ歩き始めた。昼からでも営業している店は、この辺りならナンボでもあるはずなのだ。ただ、彼は僕の顔を昔のように覗きながら歩こうとはしないし、こちらも彼を見上げようとはしない。曇り空の下、こちらの空気も重かった。


「ハタ坊、飯にする? 酒にする?」


 それでも石堂は、前を見据えながら問だけをこちらに投げかける。


「両方」


 漢字にしたら二文字にしかならない返事で僕は答えた。


「ん、せやな。それがええやろな」


 商店街の中で最初に目についたホルモン焼屋に僕らは入った。値段の安さと、景気のいい煙だけに惹かれて入ったのだ。席に通され、ビールの中瓶二本ともつ焼き二人前を注文すると、いくら店が騒がしくても世界は僕と目の前に相対する石堂だけの空間になる。


「さて……何から話そか」


 しばらくの沈黙の後、それに耐えかねて言葉を切り出したのは僕の方だった。


「そやなあ。まあ、本題にいく前に最近起こった話からにでもしよか」


 石堂は一拍の間を置いて、こちらの瞳をじっと見つめると口を開き始めた。


「この前の電話では言わんかったが、芳村さんから連絡があってな。先月の終わりに福村さんが死んだそうや」


「福村さんて、いつぞや僕らの練習に付き合ってくれたあの福村さんか?」


 遠い遠い過去の名前だったが、それでも「わかば」を箱から取り出そうとする僕の手元はとまる。


「せや。なんでも雨の晩に六甲のドライブウェイでスピード出し過ぎてカーブ曲がりきれんとガードレール突き破ってお陀仏になったらしい。あれでも大学院に進んで弁護士目指していたらしいが、気の毒な話やて」


「ほうか……」


 長髪の中からギョロ目でこちらをイビリちらしてきた福村さんの暗い横顔がチラリと頭をよぎった。が、僕はすぐにタバコを口へ持っていく作業を再開する。程なくして店の小母さんが蓋の空いたサッポロ・ビールを二本テーブルに置いて行った。

 おケイの話だけでも重っ苦しくなりそうなのに、この上より重い話まで繰り出されたらかなわない。


「時間が経ったんやな」


 咥えタバコで僕はコップを取り上げ、石堂の目の前に置くと静かにビールを注ぎ、それから自分のコップにも注いだ。


「俺らが今年で二十歳やろ。そこいらの年を乗り切れないで退場していく人も、周りでチラホラ出てくるんやろな」


「ハタ坊は案外に冷たいなあ」


 ビールの入ったコップを軽く宙に上げ、「乾杯」のポーズをほんの少しとって口元に持っていった後、石堂は淋しそうに笑った。


「俺からしたら歌への構えを説いてくれた大事なお人やて」


「僕はああいう能書き垂れる人は苦手やった。しょっちゅうこちらにあたり散らしたな」


「そう言うなハタ坊。それでもお前やってあの『花のサンフランシスコ』の背後にあるものは福村さんから教わったはずや。なんと言おうと、おケイの前であれを唄った時、お前の唄には深みがあったよ」


 僕は黙ってビールを煽る。冷蔵庫の奥底で冷やしていたのか、よく冷えたアルコールが喉奥にしみた。

 一口では間違っても酔わない。でも、一時の蜃気楼のようなヒット曲だった「花のサンフランシスコ」を懐かしく思い出すには十分な量だった。あれ以降、スコット・マッケンジーの名前など聞いた試しがない。きっと、命がけで愛しながら生きている連中を世に紹介する為だけに世間に出てきた男だったのだろう。


「ああいう機会があったから、俺は今でも『活動』していくキッカケを掴めたんや。だから、福村さんがいなくなったのは辛い」


 石堂の言葉から「活動」についての話が今日初めて出たのを、僕はもつ焼きが目の前に置かれていくのを眺めながら黙って聞いていた。


「なあイシ……」


 コップに残ったビールを一気に飲み干しテーブルに置くと、僕は彼の目を見上げた。


「お前、まだそんなんしてくすぶっとるのか?」


「くすぶってなんかおらん。堂々と来月の安保の更新阻止に向けて奮闘しとる」


「安保ねえ。それは学業おっぽり出してまでのめり込まなアカンもんなんか? 学生の正道を踏み外しとるよ、イシは」


 石堂は少し不機嫌な表情をみせたが、お互いのグラスにビールを注いだ。そして、自身のカバンから「ピース」を取り出すと、深々と吸い込んだ。


「ノンポリのハタ坊には相変わらず分からんやろうな。でも、スチューデント・パワーで政府に圧力をかけるのが最良の手段なんやて」


「政府に圧力ねえ……」


 僕は再びビールを口にした。ホルモンを焼く熱気の中で、ビールは確実に温くなってきている。


「そんな栄ちゃんの政府は相変わらず大多数に支持されてるけどな」


「そこを啓蒙していくのがこちらの使命や」


「へっ!」


 思わず嘲りの声が出る。脂身の多いもつ焼きを頬張ると僕は嘲りの先を続けた。


「アルバイト以上の金も稼げんすねっ齧りが『啓蒙』などと大それた言葉使うな。厚かましい」


「なんとでも言うてくれや。でもな、ハタ坊。そうすることが結局、この国を守るということに繋がっていくんや」


「国やとぉ」


 僕は手酌で三杯目のビールを用意すると、それをまた呷った。


「去年のあの日、新宿で自分の精神すら守ることが出来なかったくせにほざくんじゃねえぞイシ!」


 安っぽいプラスチックのテーブルに、僕はビール会社の銘柄が入ったこれまた安っぽいコップの底を叩きつけた。コップは割れない。それでも店内に大音量だけが響き渡り、喧嘩かと色めきたった店内の酔客の視線を二人は一身に受ける。



「おいおい兄ちゃんら、喧嘩ならもっと派手にやらんかい!」


 どこかからそんなヤジが飛ぶが、僕は顔を石堂に向けたままで声の方向へと右手を斜めに突出し、その声の主を制する。すると、それ以上のヤジは飛んでは来なかった。今度は逆に店の中は静まり返る。きっと、息をひそめて推移を見守ろうとしているのだろう。深酒をしない昼間の酔客の行動には一貫性がなく、あまり定まらないようだ。こちらはこちらで、爆発しかけた感情をおさえるためにも、次はアルコール以外を口にした方がいいかもしれない。

 静寂の中、石堂の顔は強張っている。それを確認すると僕は新しい「わかば」に店のマッチで火を点けた。有線放送のスピーカーから、森山加代子の「白い蝶のサンバ」が流れていた。喧騒で気づかなかった曲が、沈黙を利用して一気に店内を席巻する。蝶々のような女の子の物語が耳を襲う。


 僕は瞬間、全てを忘れた。何故だかしらないが店のやかましさが戻ってくるまでの僅かな時間でも歌に聞き入ってみたくなったのだ。

 この曲で久しぶりに表舞台に出てきた森山加代子が、坂本九だったかとコンビを組んで流行っていたのは、もう十年も前だろうか。僕も石堂も十かそこいらの時で、テレビの画面の中の坂本九が、ええ、なんだったっけか、「ステキなタイミング」を唄っていたのを真似したっけ。

 タイミング、なんて言葉の分からなかったあの頃は、なかなかにいい時代ではあった。森山加代子は尚も唄う。


 曲が終わる頃、ようやく店のざわめきが戻った。森山加代子は僅かな隙をついてフルコーラスを唄い、消えて行った。タイミングが良かったのだろう。


「それを、たえられなかったことをハタ坊、言うてくれるなや……」


 長い長い、といってもせいぜいが数分だが、の間を置いて、石堂はようやくに口を開いた。僕はタバコを片手にその言葉に聞き入る。

 石堂は卑怯だと思った。おケイが僕の前から姿を消したのは、彼があの日おケイを守りきれなかったからではないことは、二人ともよく知っている。彼がこの前話したことだけが全ての真相のはずだ。


「頼むから言うてくれるなや……」


 石堂はこちらに視線を合わせようとしないまま、呻くようにもう一度言った。

 僕は黙って、うつむいてしまった彼を見つめた。コイツ、酔いの中で今更ながら悲劇のヒーローを気取ってるんじゃないやろな。だとしたら、僕は事実のみを彼に告げたらいい。

 しかし、それは出来ない。その事実を口にした瞬間、多分僕は嗚咽がとまらなくなってしまうだろうから。


「言わんよ。もう」


 それだけ言うと、僕は灰皿を手元にたぐりよせて火を消し、手を挙げると新たなビールを一本だけ注文した。

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