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恋のほのお  作者: 桃山城ボブ彦
14/89

第14回~昭和42年10月8日「花のサンフランシスコ」(4)


 大貫恵子の前でギターを弾きながら歌を唄う。そんな、ややこしくも面白い時間に終わりが来ようとしていた。見つめられる視線からくる、圧迫されるような感覚からは慣れることが出来たのだろうか。とりあえずコードだけはこの日一番でスラスラと押さえられる。終わればジュースを飲んで、サンドイッチでもパクつきたい。パーティーの最初にハムと卵を挟んだヤツを一切れつまんでから、全く何一つ口にできてないのだ。

 アメリカの一都市に集う人々への優しい眼差しをもった歌詞の最後の曲が始まる。高校生でも楽に訳せるような英語で構成された『花のサンフランシスコ』が反戦歌かどうかは、とりあえず僕にとってはどうでもいいことだ。どことなく捻くれた福村さんの言動を参考にしたような石堂の曲紹介は、女の子達に何かの感銘を与えたかもしれないが、僕にとっては面白いものではなかった。

 僕は単に演奏を楽しみたいだけで、そこに女の子の視線が加わったらのならそれだけでよかった。歌を唄うことにそれ以上何か大層な理屈が必要だとは思わない。


 曲は、太平洋岸の街での「優しい人々」との触れ合いを、これまた優しい目線で薦めてくる。しかし、スコット・マッケンジーの穏やかさを思い出す余地などない。五曲目ともなると、流石に声がかすれはじめてくるのだ。ノド飴でもポケットに忍ばせておけば良かった、と思ったが唄い出してから考えるようじゃもう遅い。かすれた声が、本家のスコット・マッケンジーみたいな渋さを出してくれることを祈るばかりだ。

 もう、女の子の顔を見て反応を気にする余裕もなかった。練習の疲れが全身をめぐっている。三十分や一時間のステージを、笑顔のうちに音程を外さないでやりくりするプロのバンドや歌手はどれだけ凄いのだろう。いや、金を貰う以上は当然か。

 石堂はどうなのだろう。『花のサンフランシスコ』にはギターのソロを挟む展開はない。しかし、相変わらずに彼のギターは冴え、リードをとらなくても、これでもか、とばかりにリズムを刻んでいる。

 石堂が福村さんから何か影響を受けたかは、ギターの音色からは分からない。



「『花のサンフランシスコ』のサビの一節、歌詞がええよな」


 パーティーを明日に控えた最後の練習の後で、そう言うと福村さんはタバコを僕と石堂に勧めながら、紫煙をくゆらせた。


「国を、世界を愛でかえる、そんな決意があそこには隠されとる……」


「ええですよな」


 石堂は胸ポケットからマッチを取り出し、目を細めて深々と吸い込むと長髪の男に答えた。


「何か、新たな感覚で平和を掴みとろうという気概がありますよな」


「それや石堂。アメリカも日本も変わりがない。()()()()()()()()()()()()平和を掴まなあかんねや」


 満足そうな表情を福村さんは浮かべた。しかし、その笑顔も彼が石堂から僕へと顔を動かすと同時にだんだんと消えて行った。


「まあ、お前らのリズムはようなった……本番でも頭の中では俺のドラムがなってる感覚でやれ。そうすりゃそこまで演奏は崩れん……」


 リズムだけを評価した福村さんのギョロ目が、僕の視線とかち合った。


「後は軽い軽い波多野の唄に、せめて現実の重みが加わったらええんやがな」


「はあ……」


 また嫌味だ、と僕は思った。この数日、レッスンが仕上げに近づいてきていると感じる度、福村さんは石堂のギターだけは褒め、こちらの唄については陰に陽にクサしていた。多少なりとも彼の言う思想的なことを理解するフリをしているであろう石堂と違い、特に反応を示さない僕は腹立たしい存在だったのかもしれない。

 もっとも彼は、「キーは合うてるんや」とは言ってはくれた。「キーは二の次や、心がこもっとらん」との言葉を添えながら、ではあったが。


「まあ、タバコもろくに据えない波多野のボンには難しい注文や思うけどな」


 それが、十日余り続いた練習での福村さんが発した最後の言葉だった。そして福村さんは言葉に上乗せするかのように、ズボンの尻ポケットに放り込んだ『ホープ』を取り出して手のひらの上で手持無沙汰にいじるこちらの姿を認めると、突然甲高い声で笑い始めた。


 アハハハハハハハハハ


 それは妙な笑い声で、笑う理由は遂に明かされなかった。もっとも、単に僕を小馬鹿にしているだろうということだけはわかったが。

 僕と石堂は、京都の自宅に帰るという福村さんの白いコロナが日のとっぷりと暮れた大学前の一直線の坂を下っていくのを見送りながら頭を下げた。


「特訓もしたことやし、ハタ坊、明日は気張らんとアカンな」


 車がS字カーブへと右折して見えなくなった後、二人して家路を辿り始めると石堂はポツリと言った。


「ああ、キーを外したりコードとちったらスティックやコーラの空き瓶やら投げつけられたんや。嫌でも上手くなるわいな」


 僕は彼の呟きに反応する。ただ、壁で瓶が砕け散り、その破片を箒で集める度に、福村さんが軽音楽部の北陸巡業を外されたのは、単に髪が長いからというだけではなさそうだとは思ったが。少なくとも、キーをしくじる度にドラムセットの奥からゴルフ・クラブを振りかざす男はなかなかいないだろう。


「そう言うなや。厳しいけど、高校生の練習に付き合うてくれはったんや。文句言うたら罰当るでぇ」


 石堂の声は極めて明るかった。


「唄うことの心構えを僕らに問うてくれたんや。思想や。ポピュラーでもロックでも、唄には思想が必要なんや」


 僕は何も答える気にならなかった。練習で立ちっぱなしだったこともあるが、足どりの重さだけが気になり始めていた。予想に反して、この大男は、福村さんの言葉を決して聞き流していた訳ではなかったのだ。

 石堂とはそこの角で別れるが、もちろん明日も会う、高校卒業までも毎日一緒だ。いや、ひょっとすれば学部は違えど同じ大学に入るかもしれない。


 なのに、何で寂しさを感じてしまうのだろう?


十一


「二人とも凄く良かったわ」


 拍手の中で演奏を終えて、ソファーに座りこんだ僕にサンドイッチの皿をすすめながら大貫恵子は笑顔で言った。傍らに座っている、胸のラインを強調したサーモンピンクのブラウスとスカートを穿いた彼女の笑顔は、少しはにかんだものだった。


「いやあ、下手の横好きやけど楽しんでもらえなら良かったわ」


 汗をハンカチで拭いながら、僕はサンドイッチと冷めたポテトフライをつまみはじめる。


「どこが下手なんよ。あんだけ上手いこと唄ってからに……。それにしても家やと四六時中アンプで音を出すわけにもいかないのに、どこで練習してたん?」


「知り合いのそこの大学生にナ、少しの間やけど大学で特訓つけてもらったんや」


 コショウの効いたポテトフライは冷めていても十分に美味しく、これをいくつか頬張りながら僕は答えた。


「ふうん」


「エラいスパルタやったでェ。大学生は違うなァ」


 芳村さんや福村さんの名前はあげなかった。石堂を別にすると、この女の子の前で自分の口から他の男性は面白くないという感情がある。()()()()()()()()


 もっとも、「別格の存在」である石堂が今どうなっているかといえば、部屋の片隅で女の子に囲まれてギターの腕前を褒められてはニヤついているのだけれども。南海の渡辺ばりのカーブの握りを覚える苦労に比べちゃギターのコードなんて簡単なものですわ、とか、ぼかぁビートルズの誰よりも背丈がありましてなあ、何とか言っている弾んだ声が聞こえるが、まあ、とりあえずどうでもいい。


「そうそう。波多野クン、もうそろそろ夕方でしょ?」


 今度はコールミートにでも手を出そうかと考えていたこちらに対し、大貫恵子はいきなり時間の話を持ち出す。


「そろそろパパがゴルフから帰ってくるんだけどね」


 ああ、そういうことか、と思った。「一度くらい連れて来い」とは言ってみたものの、年頃の娘の下に男が二人もいたら、本音は気が気ではないのかもしれない。で、娘の方が空気を読んでその前に帰っておいて、と言っている、そういうことなのだろう。

 しかし、声を潜めた彼女の次の言葉はこちらの読みとは違うものだった。


「今更やけど、二人が酔っ払いを退治してくれた時のお礼がしたいんだって。だから、よければ石堂君と一緒に家で晩御飯を食べて行ってよ」


「それはそれは」


 僕は、両手のひらをテレビのコマーシャルフィルムでの俳優が常にそうしているように、大げさに彼女の方に向けて、「驚き」のポーズを作ってみせた。


「喜んで居残りしまっせ。僕も石堂も」


「良かった!」


 提案が受け入れられたのが嬉しい、とでもいったように彼女はその小さな口元で手を合わせた。コールミートを口に運びながらその仕草を見ていた僕は、さて、女の子達に囲まれて相変わらずアホみたいなニヤケ面を浮かべている石堂に、この申し出をどうやって伝えたものか、と思った。


十二


 七時前になって大貫恵子のクラスメイトがそれぞれの門限を気にして帰っていく中、演奏したアンプの後片付けを理由に僕と石堂は大貫家に残った。彼女が母親の手伝いで食堂へと食事の支度に向かっている間を利用して、それぞれのアンプを前庭の芝生の上で自転車の荷台に縛りつけていると、傍らの屋根付きガレージへとメルセデスのクーペが入ってきた。

 クーペのハンドルを握っている白髪の紳士は、ジャケットを羽織らずにシャツを腕まくりして作業をしている僕と石堂をみとめると、やがてこちらにむかって静かにほほ笑んだ。

 ゴルフ帰りの大貫恵子の父親だった。


「さて……君たちが石堂君と波多野君だね? 遅くなったけど先日は娘がお世話になった。礼を言うよ」


 居間の背もたれ付きの座椅子に深々と座り葉巻をくゆらせた大貫恵子の父親は、ソファーで緊張して両手を膝の上で重ねている僕と石堂に向かって、灰皿の中で吸い始めた葉巻をすりつぶすと頭を下げた。


「あのお転婆にもこんなボディーガード達が常日頃いてくれるのなら安心だ……。二人ともエレキが好きだとか。いつの時代も流行りのものを追いかけるのは楽しいもんだよ。これからもジャンジャンやりなさい」


 芳村さんが言うところの「繊維商社の社長」は、新しい葉巻を手に取って切先をカッターで切り落としながら、目の前で固まっている男二人を覗き込み、微笑みかけた。ロマンスグレーのゆったりとした髪に、紺のセーターとゴルフズボンという格好の父親は、六十前後くらいの歳だろうか。上背が特にあるわけではないのにやたらと大きく、そして若々しく見える。


「もちろん、落第しない程度にね……。僕だって今は髪も白いものばかりだけど、こう見えて戦争前はミナミでタップダンスといえば大貫、ってくらいに鳴らしたもんだよ。アステア気取りでね……。フレッド・アステアって分かるかい?」


「れ、『恋愛準決勝戦』は観たことあります」


「ほう」


 話が映画の話題となったので、僕は石堂からの目配せを受けておそるおそる喋り出す。こういう時、映画研究部なんぞにいて、古い映画を名画座で観ていたのが役に立つ。


「若い子がアステアを知っているとはね」


 新しい葉巻をくわえながら、恵子の父親は嬉しそうに笑いだす。


「高校の映画部にいたもので……。あの役者、ダンスにキレがありますね」


「そら、そうよ。僕はすっかり夢中になって、親の呉服問屋に洋品部を設けてしまったくらいだからね」


 男は愉快そうな顔のまま椅子にもたれこんだ。が、やがて腰を浮かすとテレビの前へと歩みを進める。


「失礼、話の途中だが七時のNHKニュースの時間だ。商売柄、見ることが出来る時は目を通すようにしているのでね」


「どうぞ! どうぞ!」


 石堂が両手でテレビの方向を指し示し、男性に向かって受像機を点けるように促す。「悪いね」という言葉とともに父親は僕らの前を横切りテレビの前へと移動すると、やがてスイッチを捻った。しばらくの後、原稿を読み上げるアナウンサーの顔が画面いっぱいに映し出される。


~七時のニュースです~


 応接セットまで戻ってきた恵子の父親は、再び座椅子に座ると画面を見つめはじめ、僕と石堂もそれに付き合って同じようにカラー画面へと視線を向けた。


~佐藤首相は本日より南ベトナムを含む東南アジア諸国歴訪へと向かいましたが、その際、羽田空港においてこれに反対し、阻止せんとする反戦学生デモ隊による騒擾がありました~


「今、ビフテキの付け合せのマッシュドポテトを作っていて……」


 その時、夕食を作る母親の手伝いが一段落したのか、エプロンをつけた大貫恵子が夕飯の支度の進捗状況を伝えようとしたのか居間に入ってきた。

 次の瞬間に画面は東京のスタジオから取材映像のビデオテープへと変わっていく。ただ、それが夕餉前のくつろいだ空間にふさわしい映像かは分からなかった。


「何よ、これ」


 そう言った彼女の視線の先のカラーテレビに映し出されたものは、空港に通じる橋の上で警官隊と衝突した学生達が両側から挟み撃ちされたのか、警棒に追われ進退窮まって次々とドブ川へと落ちていく光景だった。狭い橋の上で暴走し、警官も学生も関係なしに次々と轢いていく警備の車だった。デモ隊によって放火され、燃え上がっている警備車両だった。


~この騒ぎの中、××大学生が警備車両に轢かれて病院に運ばれましたが死亡しました~


「酷い。何でこうなんの」


 彼女は眼を大きく見開き、両手で口を覆った。


「安保の時もそうやったが……何でこうなってしまうんだろうね」


 先ほどまでの上機嫌な雰囲気を一気になくしてしまった大貫恵子の父親は、そう呻くように言うと力なく葉巻を持ちあげた。


~次のニュースです~


 画面の向こうのアナウンサーは淡々と事実のみを伝えると、羽田の件は忘れたかのように再び原稿に目を落として新しいニュースを読み上げ始める。


「……なあハタ坊」


 暴動そのものといった態のカラー映像の後、大貫家の居間に気まずい沈黙が流れる中で僕の横に座っている石堂はこちらを見つめた。


「激しくやってもこれや。と、なると平和のうちに物事を進めることはもっと無理やわ……更に激しい形を取らなきゃ、世の中は変わらんのかもしれへん」


 答えるべき言葉が見つからない僕は、少しだけ首を捻るとやがて目を瞑った。夕方に唄った、「優しいサンフランシスコの人々」が影もなく消えて行こうとする。そして、当然ながら視界からは、大貫恵子も、その父も、石堂だって消えていく。

 石堂はさっき、「花のサンフランシスコ」をどういう気持ちで演奏していたのだろうか。


「なあ、ハタ坊……」


 発言を促す石堂の声が再び右耳から聞こえる。それでも僕は何も答えなかったし、言えなかった。ただただ、暗闇の中で行ったこともないサンフランシスコの街と、そこに暮らしながら戦争での死に怯えながら精一杯愛を唱え、決して暴力では問いかけない若者たちの群れに想いを馳せた。

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