第13回~昭和42年10月8日「花のサンフランシスコ」(3)
七
その男と初めて会った時、この人キリストとちゃうか、と思った。無論、人格が似ていたわけではない。髪形が、である。僕は、生まれて初めて肩まで髪の毛を伸ばしている男性を見た。
「波多野に石堂、コイツが軽音楽部のドラマーの福村や」
学校終わりの制服のまま、芳村さんに連れられて大学構内のかなり奥まった所にある黄ばんだ壁の軽音楽部の部室に通された僕と石堂は、言われるがままに一人の男を紹介された。ジーンズに黒のタートルネックという出で立ちのその男は、男以外に人がいない部室の片隅の椅子に座り、背中を丸めてタバコに火を点けていたが、やがてこちらの方に体を向けると大きく煙を吐き出し、愛想をつくった笑みを浮かべた。
「ヨシやん、人使い荒いでェ」
「そう言うたるな。こいつら、ちょいと女の子の前でエエカッコせなあかんのや」
「らしいな。しかしヨシやん、これタダ働きかいな?」
「そう言わんでくれや。今度埋め合わせで門戸や夙川あたりの短大生集めたコンパに誘ったるさかい」
「へっ……」
福村さんは、「やれやれ」といった態でクビを何度か振った。
「ヨシやんの頼みや、付き合ったるわ」
テニスの練習がある、と芳村さんが早々に部室を出て行った後、残されたのは当然ながら三人だけだった。遠くからアメフット部だかサッカー部だかのランニングの掛け声が響いてくる中、福村さんは、咥えたタバコを傍らにあったコーラの瓶に放り込んだ。ジュッというすえた音がした後、彼はおもむろに立ち上がって、改めてギターを抱えて座ったままの僕と石堂の方をまじまじと見つめる。ギョロ目と肩までの長い髪に目がいくが、体つきは貧相で小柄な男だった。多分、目方は確実に五十キロもないだろう。
「自分ら、何を演りたいん?」
ギョロ目の福村さんは、こちらを試す様に下目遣いで問いかけてくる。
「日本の曲とエレキと交互にやったろ思うているんです」
「例えば?」
福村さんは、新しいタバコを咥えると素早くライターで火を点けながら更に問うてくる。
「日本のは『いとしのマックス』『青い瞳』、それから外国のやと『バラ・バラ』『ウィンディ』……」
「あと、『花のサンフランシスコ』です!」
突然、石堂が会話に割って入ってきた。その語気は、やたらと強いものだったが、その強さは分かりかねるものだった。そもそもの意図が見えないのだ。
前に話し合った時は、先の四曲で演奏をおさめる予定だったのに。
「『花のサンフランシスコ』か、今、ようけヒットしとるなあ」
こちらの戸惑いなど知らない福村さんは、それだけ言うとまた、タバコの煙に目を細めることに専念し始めた。
「最近この曲の歌詞の意味を知ったんですけど、これ、アメリカのヒッピー族の歌らしいんですわ。カッコええやないですか、『サンフランシスコに集って楽しくやろうや』なんていう平和讃歌は」
「ふうん」
「メロディーも綺麗やし場の雰囲気にもあう思うし、何よりも時流にあった平和の歌や。これも練習して披露したいんです」
僕にも語らなかった、「もう一曲」に関する石堂の熱っぽいスピーチに対して、福村さんのとった反応は極めて薄いものだった。代わりに彼は、「わかば」と銘うたれた小箱からタバコをもう二本出すと、それを僕と石堂の方へと差し出した。
「お前ら、まあ、吸うか」
石堂と僕は顔を見あわせた。お互いにタバコなんて吸ったことがないのだから当然だ。少しうろたえた僕は、意図をうかがおうと福村さんの方をおずおずと見る。彼は何も言わずに、僕と石堂の手元にあるタバコを見ると、アゴをしゃくって吸うように促した。
僕は諦めて福村さんからライターを借りると、タバコに火を点した。戸惑った表情の石堂も同じように続く。
次の瞬間、二人ともむせかえった。初めて意識的に煙を体内に吸い込んだ僕らは咳き込み、何とかイガラっぽい感覚を打ち消そうと躍起になる。石堂に至っては目にうっすらと涙まで浮かべている。
「石堂君やっけ? 自分、あれが明るい曲やと思うか?」
「はぁ、哀愁はありますが基本は明るい曲やと思うてますが……」
涙をなんとかぬぐって処理した石堂は、福村さんからの試すような質問に答えはじめる。
「ヒッピーたらいう連中が、恐怖と闘いながらあの歌を支持しているのは分かるか?」
「恐怖、ですか?」
「ヒッピー族が髪を伸ばして愛やぁ平和やぁ女やぁと気取ったって、あいつら大学行ってなかったら真っ先に徴兵されてベトコンの前に放り出されるんやで」
「そら、ベトナム戦争の当事国ですよって」
石堂の返しを福村さんは無視し、新たなタバコを箱からまさぐりはじめる。
「大学生やって、成績が劣等やったら徴兵猶予取り消されて召集や」
自動発煙装置のような福村さんは、何本目か分からないタバコを吸い始めると、長髪を掻きはじめた。
「あの歌は、そういう恐怖の中で、現実から目を逸らして今を精一杯愛しあっていたいという消極的な願望の曲や……。気楽にパーティーで唄ってナンボのヒット曲とはまた違うと俺は思うんやでぇ」
「しかし、そないに言われたら何も唄えなくなりますやんか」
石堂への追及を和らげようと、僕は傍らから反論を試みる。
「唄えないことはない……。ただ、平和なんて言葉を気安く使うたらアカン」
福村さんはタバコの煙を、壁に貼ってあるビートルズのポスターに向かって吐き出した。笑顔のジョン・レノンやポール・マッカートニーの顔に容赦なく紫煙が降り注ぐ。僕はふと、この部屋の黄ばみは殆どがこの男の喫煙によるものではないか、と思った。
「日本だって平和な世に見えて差別だらけや。二人とも、この軽音楽部の部室になんで俺しかおらんのか気にならんかったか?」
「はあ」
石堂が気の抜けたような言葉で返す。それを聞きとどけると、福村さんは少しだけ視線を逸らし、天井を見つめながらゆっくりしゃべり始めた。
「他の連中は他大の軽音楽部との合同公演でしばらく北陸や。主催の教育委員会だか新聞社だかからの申し出で俺だけ外されたんよ。薄気味悪い長髪のドラマーはお断り、ってな。それで他の連中がドンチャン音を出してる最中、この部の留守居役ってな訳や」
せめて、長髪といってもこちらと同じくらいでモミアゲと襟足を少し伸ばすくらいにとどめておけばいいのに、とこちらが感じた瞬間、福村さんはまた喋りはじめた。
「自分、切ればええのに思うたやろ。その通りや。アイビー気取った短髪にすればステージにも出られる。でも、それは別の話や」
福村さんは、再びコーラの瓶にほぼ灰だけになってしまったタバコを落とした。
「ヒッピー族は恐怖と偏見、俺もまぁ偏見を持たれている。でも、生き方や主義主張までは譲れないという強い思いを歌や格好にひそますことが出来たら、いつかは世の中も変わる。石堂君、安直な『平和』『反戦』への憧れやったらアカン。『花のサンフランシスコ』をオナゴの前で演奏したいならそこまで考えて取り組むべきや」
「ほな……別の曲にしますわ。俺、そこまで考えてギター弾けるかわからへん」
多分に私怨も入ってはいたが、曲に対する心構えを淡々と語る福村さんの長広舌に気勢を削がれてしまったのか、石堂は悄然として言った。
しかし、福村さんの反応は意外なものだった。
「いや、やろう」
そう言うと福村さんはスティックを手に取り、部室の奥にある練習場のドラムセットの方へと向かい始めた。
「あの歌、俺もメロディー好きやしな。理屈は練習の中で考えていけや」
ドラムセットに座り、椅子の高さを調整し始めた福村さんは、愛想ではない今日初めてといっていい笑顔を見せた。
「パーティーまで十日やったか? こちらも連中が帰ってくるまで一週間はある。ドラムの腕は並の並やが、いくらでもつきあったるで」
福村さんは、スティックでカウントをとる真似をして、僕らに早くアンプとチューニングをするように無言で促す。その姿を見て、僕らは慌ててギターを抱えたままヴォックスのアンプへと駆け出した。
八
DからC、そしてGからAと目まぐるしくコードを変えながら、四曲目に選んだ『ウィンディ』の演奏が終わった。初夏の陽光を思わせる軽快なリズムは、唄っても弾いても爽快感を醸し出してくれた。女の子達に軽く頭を下げた僕は、斜め後ろにいるであろう石堂の片を振り返る。彼は、「分かってる」とでも言いたげに一つ頷くと、やがて拍手の中を前へと進み出た。
「ええ、アメリカのジ・アソシエイションの『ウィンディ』聴いてもらいました」
石堂が担当している一曲演る毎の挨拶と曲紹介、その最後のものが始まろうとしている。
「大貫さんの提案で、ここまで誕生日祝いのエレキ演奏を僕、石堂とここの波多野クンでやらせてもらいましたが、早いもので次でオシマイですわ」
そう言うと、石堂は大貫恵子の方を見つめた。今日の主人公は、石堂に向けて満足そうに二、三、首を縦に振る。エクボのある笑みを浮かべている彼女は、今回の出し物に満足してくれたようだ。
「で、これからトリにやるのがスコット・マッケンジーの『花のサンフランシスコ』いう曲ですわ。これは最近ポピュラー・ファンの間では大評判の一曲でしてなァ。大貫さんはファンやからご存知やと思うけど、他にこの曲知っとる人おりますかいな?」
彼の問いかけに、二人ほどの少女がぎこちなさそうに右手を挙げる。
「ん……。いやはや、ポピュラー界隈以外にまで知れわたっとるとは、コイツは大したヒット曲やねぇ。なあ波多野クン」
淡々と曲紹介をしていくだけだと思っていた石堂は、いきなりこちらに話をふってくる。
「あ、ああ、せやな」
「皆さん、ごめんなさいねぇ~。波多野クン、オクテで女の子の前で一発話さなイカンとなったらいつもこんなんなんですわ。ホンマ、今まで度胸一つで唄ってきた根性どこいったんや?」
少女たちの笑い声が大貫家の居間にこだまする。司会役の石堂は最後の最後で、僕をダシにして笑いを取りにきた。不快といえば不快だが、大貫恵子も口を押えて笑っている以上、事を荒立てる必要はない。
僕は、ギターを抱えたままで軽くズッコケる素振りを見せ、彼のイチビリに乗ることにした。笑い声は更に大きくなっていく。
「ホンマにこのスカタン、長生きするでェ……。さて、『花のサンフランシスコ』ですわ。皆さん、アメリカのヒッピーたらいう連中知ってますかいな?」
石堂は、ソファや座椅子に座った少女達を改めて眺めまわす。直に、「知ってる」「聞いたことがあるワ」といった声がチラホラと出始める。
「夏くらいに新聞なんかでも取り上げられたさかいな。しかし、アイツら決して考えなしにケッタイな格好しとるんちゃいまっせ。奇抜なカッコして愛を叫ぶことが、彼らにとっての反戦なんですわ。言うたら非暴力の反戦運動家たちともいえますわな……」
今までの四曲とはうってかわった、石堂の長いスピーチの間に、いつしか少女たちのざわめきや笑い声は静かなものとなっていった。皆、彼の言葉に聞き入っているのだ。
僕は彼の傍らでギターを抱えたまま、その言葉を聞く。コイツにあって、僕に無いものといえば、人を引き付ける何かだろうな、などと思いながら。
「ほな、平和に暮らしている僕らも、戦争に連れて行かれる怖さと向き合いながら愛を言うとる連中の為に一曲やりましょか。『花のサンフランシスコ』です」
そう言うやいなやで、石堂はすっと後ろに下がり、曲に入るための今日最後の拍子をとりはじめようとする。その姿を見て、僕は慌ててグヤトーンを構え直すと、彼が「いち、にぃ、のぉ……」と拍子を数えはじめる瞬間に備えることにした。
それにしても、一曲唄う毎に何か理屈を披露しなければいけないとは、ややこしい季節である。