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恋のほのお  作者: 桃山城ボブ彦
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第12回~昭和42年10月8日「花のサンフランシスコ」(2)


 甘酸っぱい薫りの中で少女達に見つめられて緊張するという環境以外は、要は、特訓と同じだと思えばいいのだと気づくのにそこまでの時間はかからなかった。石堂のギターが特訓の時以上に正確なのだ。おかげでこちらは演奏にあわせて唄えたら問題はないということになる。バックがトチったらどうしよう、などと考えなくてもいいのだ。

 二週間のうちに石堂は巧くなった。ギターソロでのミスも段違いに減ったし、ユニゾンでこちらの歌唱にあわせてコーラスをする余裕まである。彼が弦の張り替えまでするほどに、何かにとりつかれたかのように練習に打ち込んだ理由は、僕自身がよく知っている。


 まず、僕と石堂は「いとしのマックス」から入った。今をときめく荒木一郎の曲だ。グヤトーンのキーを押さえながら、僕は夢中で唄う。

 もちろん、石堂のファイトを指をくわえて見ていたわけではない。僕だってギターの練習が終わったら、夜遅くだろうがなんだろうが、必死に発声の練習を大学の裏にそびえる甲山で行ってみたりもした。それは、ひそかに山道を「散策」しあっている大学生のアベック達の目を気にしながらのものだったけれども。人目を避けて山道まで歩きに来ている連中の、更にその目を避けて唄を練習するのは滑稽だったが仕方がない。勉強と練習を終えた夜遅くに自宅でレコードにあわせて唄うのは、流石に近所に気がひける。


 二曲目に選んだブルーコメッツの「青い瞳」で展開される北国の恋の顛末を唄い終わる頃には、僕は大貫恵子をはじめとする女の子の表情を読み解こうとする助平心を持てるくらいに落ち着いていた。最初のうちはエレキ演奏に慣れない顔をしていた恵子以外の少女達を、聞いたことがある日本の曲でまずは楽しませるという判断は間違ってはいなかったみたいだ。当初は関心のない素振りのなかでお義理で顔をこちらに向けていた彼女達が、すっかり感心したように時折うなずいたりささやきあったりしている。

 しかし、ここからが問題なのだ、と、僕は思った。今までとは話が違う。三曲目からは洋楽をやることになっている。日本語の歌詞の暗記と洋楽のそれとの難易度は段違いだ。日本の曲だと忘れても、その直前の歌詞からある程度の察しをつけてヤマカンで誤魔化すことも出来るが、外国のものだとそうはいかない。忘れる、すなわち沈黙になってしまう。僕は、何分か後に英語詞がスラスラ出てこずに、恵子をはじめとする少女たちの戸惑いと憐みが混ざった視線を一身に受ける己の姿を想像した。白けた空気の中でギターを抱えたまま、脂汗を流しながら立ち尽くしている自身の姿は、どう考えてもおぞましいものだった。

 赤いメガネ、ボブ、そして長い黒髪。助平心もどこへやら、拍手が鳴る中で、緊張が、僕の前から少女達の顔の輪郭をぼんやりとしたものへ変えていく。


「ハイ! 『いとしのマックス』と『青い瞳』を聴いてもらいましたぁ。今をときめく荒木一郎とブルコメのイカしたヒット曲ですねぇ!」


 突然の大声に僕は虚を突かれた。声の方を振り向くと、この場の司会者の役割をも兼任している石堂が、日本の二曲が終わったところで再び曲紹介のスピーチを始めようとしている。


「んじゃ、ここからは世界のエレキ・ヒットと参りましょう。今度は一気に三曲、演りますよ! ほな、まずは『バラ・バラ』ですわ! 唄とセカンド・ギターの波多野クン、用意はよろしいか?」


 曲と曲の合間、少女たちのおしゃべりが再開されつつある中、石堂はそう言うとこちらを笑いながら見つめてきた。彼の笑顔は、口だけでなく目元も緩んでいる。作り笑いではなく、呑気ないつもの表情だ。そういえば、さっき彼は「堪忍して唄え」と言っていたっけ。

 石堂の笑顔の意味を「演りとおせ」との励ましだと、好意的に解釈した僕は、彼に向かって首を縦に振った。


「よろしい、よろしい」


 僕の返事に対して、即座に彼はウインクを寄越してくる。どうやら、こちらの予想通りらしい。


「ほないきますわ! 『バラ・バラ』!」


 石堂が赤いギターで前奏を奏でようと、ゆっくりと体を反らしていく。この曲の前奏はあってないようなホンの一瞬のもので、リード・ギターが鳴るやいなやで僕自身がEのキーを押さえながら唄に入っていかなければならない。


「いち、にぃ、のぉ……」


 右隣から、曲に入る拍子をとる野太い声が響く中、僕は咄嗟に今までやって来た特訓の事を思い出した。

 そうだ、そうなのだ。色々あったが、あれだけ後押しされたなら、絶対に大丈夫なはずなのだ、と信じながら。



「波多野やないか。お前、こんな夜遅くにここで何しとんねん。もう十時やぞ?」


 その日も、いつものようにギターの特訓を終えた後に明りをもって山に分け入っての唄の練習を終えた僕の耳元に、聞いたことのある声が電灯の光とともに飛び込んできた。歌詞カードを慌てて隠し、声の方へと姿勢を向けると、そこには見知った顔が懐中電灯を片手に不思議そうな表情を浮かべて佇んでいた。


 芳村さんだ。


「あのなあ波多野。お前、女連れ込んで乳繰り合うんやったら、ここからも少し仁川の方まで山登っていった方が人に見つからんぞ」


「芳村さん、とんでもない誤解ですわ。女やのうて歌の練習ですわ」


 僕は、自分の懐中電灯で声の主を照らした。光の先にいる、七三に分けた頭髪に黒縁メガネの芳村さんは、相変わらず怪訝な表情を山道の真ん中で浮かべている。


「歌の練習やて? お前と石堂がまだエレキ頑張ってるのは知ってたけど、ついに本格的なボーカルものにまで手をつけはじめたんか?」


「はい……。ちょっとやむにやまれぬ事情で人前で一発やらなアカンことになりまして」


「やむにやまれぬ、か。おもろそうやな。波多野、練習終わったなら、帰りながら事情をお聞かせ願いたいなあ」


 芳村さんの要請に、僕は「はい」とだけ答えると、今いる茂みの中から山道へと足を進め始めた。


「ああ、船場の繊維会社の社長令嬢やね」


 大貫恵子の誕生日パーティーで五曲程演奏をしなければならないことになったと話すと、芳村さんはこともなげに答えた。「若者向けの衣料を扱う事については大阪有数の繊維商社だ」とも付け加えて。


「芳村さん、大貫さんの事を知ってはるんですか?」


「ウチの親父がそこの会社の顧問弁護士なんよ。そんな縁で、何回か家まで行ったことがある」


「せやったんですか」


 甲山から上ヶ原の大学へと降りていく坂の途中で、僕は芳村さんと大貫恵子の意外な接点を知った。知って、どうということはなかった。彼女が僕や石堂よりも裕福な育ちだという事は、着ているものやレコードの買い方などで推察できる話だったからだ。

 しかし、その情報は、僕や石堂が毎週のレコード店への同道と一回きりのプール、それから何度か家に招いたという事実以外は彼女についてなんの情報も持っていないということを浮き彫りにさせた。


「美人やろォ、あの子。なぁ波多野?」


「ホンマそうですねえ」


「お前や石堂がモーションかけるには手ごわい相手やな」


 唐突に、芳村さんの言葉は矛先を鋭くした。それは、単に女の子の誕生会に招かれた事への冷やかしの意味合いをこえた何かをたたえていた。


「そんなんじゃないですよ。芳村さんから見たならああいう美人、どうなんですか?」


 咄嗟に僕は話題を冗談のうちに打ち消そうと試みる。少なくとも、僕は今の時点で()()()()()()()()()()()()()()()()()


 しかし、それは無駄だった。僕の傍らで、こちらと同じように懐中電灯で足元を照らしながら山道を踏みしめていく芳村さんは、こちらの企みには乗ってはくれなかった。


「話を逸らすなや波多野。お前も石堂もあの娘と知り合って半年やろ? それからだらだらとま、半年間三人で遊んでいる。そういう関係続けているうちにいつか、お前らは否定しても、『無意識』のうちにすでに惚れてしまうんよ。それに俺は年下には興味がない」


「そういうものですかね?」


「まあ、これはあくまでも俺の経験だがね。親友同士が一人の女の子を奪い合っても、結末はまあ、大抵不幸になる」


「まさかまさか! 僕とイシに限ってそないなことは!」


「だといいがね」


 芳村さんは、ため息を一つついた。そしてそれきり長い間黙りこくってしまった。形容しがたい不安を煽るだけ煽っての沈黙だった。

 革靴が砂利道を踏みしめる音だけが続いていく。


「ところで芳村さん、こんな時間に一人であないなところで何してはったんです?」


 街灯も整備され、道幅も広い深夜の大学構内にまで戻ってきた時、ふと僕はこの大学生に質問をした。それは、先ほどの底意地の悪い発言への意趣返しだった。


「一人やない」


 芳村さんは街灯の存在のため、最早必要なくなった懐中電灯をショルダーバッグに収めると、こちらの方を向き直った。


()()()()()()()()()


「へぇっ?」


 僕は素っ頓狂な声を出した。彼の言葉の意味が分からなかったのだ。


「ああ、もう! お前ホンマ鈍いなあ。狙った女の子口説きに連れ込んでフラれて先に帰られたいう話や!」


 芳村さんは『お手上げ』のポーズをとると、大きな仕草で何度もそれを繰り返しはじめた。


「あ……すんません……」


 僕は、素直にこの年長者に対して謝罪の姿勢をとる。とりながらしかし、どことない安心感が溢れてくる気がした。何のことはない、さっきのこちらへの発言は、自分がフラれた苛立ちからのものにすぎないと感じたのだ。

 大体が『狙った女の子』だなんていうが、いつか交際していた女子大の女の子はどうなったのだ。自由恋愛ばかりに惚けるから、とっくに別れてしまったのだろうか。

 再び、二人の間に長い沈黙が横たわった。


「それにしてもや。波多野、お前あんなところで練習しても効果ないぞ」


 気まずい沈黙に嫌気がさしたのか、大学正門前にひろがっている夜露に濡れた芝生を通り過ぎ、お互いの家がある上甲東園に近づいた頃に、芳村さんは言った。


「お前が家で夜遅うに歌うのは無茶やわな。そして山にはレコードもエレキも持ち込めない……ポータブルプレーヤーあるなら別やがな」


「仕方ないですよ。ポータブルプレーヤーもないし、それしか方法がない」


「波多野、悪手やで。バックにメロディーもないのに歌の練習だけしたところで、歌詞は覚えてもキーは滅茶苦茶のままで改善でけへんよ。このままやとお前は当日、調子っぱずれで赤っ恥かくで」


「ほな、どないしたらええんですか?」


 僕は問うた。キーが合わない可能性がある中で細々とやっている練習を、論理的とはいえ、否定されるのはあまり納得がいかない。


「そう突っかかりなさんな。ウチの大学の軽音楽部のヤツに話をつけとくさかい、明日学校が終わったら四時には石堂連れて二人で大学の中央芝生まで来いや」


「大学の音楽部で練習させてくれる言いはるんですか?」


 こちらが確認すると、芳村さんは大きく頷いた。


「俺、軽音楽部に顔が効いてな。法学部の福村っていう暇なドラムと仲ええんよ。そいつは、今誰ともバンド組んでないから練習相手探しとってな」


 僕はこの夢のような提案を、口を半分ばかりポカンと空けながらぼんやりと聞いていた。

 俄かには信じられない話だった。芳村さんの申し出が実現できるとなったら、唄もエレキも同時に練習でき、おまけにバックでドラムまで叩いてもらえるのでリズムさえモノにできるかもしれないのだ


「芳村さんすんません! よろしくお願いします!」


 人気のない大学の正門前で、僕は芳村さんに向かって思いっきりよく頭を下げた。そして、家へと向かって駆け出して行った。明日の朝の石堂に話した時、芳村さんからの提案とはいえ、この絶好の条件に彼がどんな表情をするかと想像しながら。



 やたらと景気のいい楽曲である、今年の春先に大ヒットしたナンバーである「バラ・バラ」を僕は何とか唄い終わった。二分余りをほぼ全て「バラ・バラ」と繰り返すだけの単純な歌詞で構成されたドイツの曲だが、英語詞といえばれっきとした英語詞だ。石堂のギターにも初めて、ミス・トーンが無かった。先の二曲で腕がこなれてきたのだろうか。

 演奏が終わって、僕は客・席・を一礼しつつ見渡す。石堂のギターにミスがないことは自分の耳でわかる話だが、こちらの歌唱が聴くに耐えるものだったかは、少女たちの反応からでしか窺えない。

 ふと、大貫恵子と目が合った。部屋の中央に据えられた大きなソファーに友達を従えて座っていた彼女は、やがてゆっくりと、しかし力強く拍手を始める。それにつられて周りの少女達も拍手を盛んに送り出す。

 前の二曲以上に、音量のある拍手だった。


「凄いじゃない波多野クン! 英語なのに全然ミスはしないし聞き取りやすかったわ!」


 大貫恵子は素晴らしい笑顔を浮かべると、この小さな小さなコンサートにおいて、初めて僕に向かって言葉を発した。手放しでの称賛を浴びながら僕は、残りの二曲についての緊張でいっぱいだった。

 まだ、『任務』は半分しか終わっていない。それでも、再び彼女と目が合ったなら、ほんの少しだけゆっくりと口を緩めた笑みを見せよう、と思った。

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