分量と書きたいもののが一致しない 言い方が難しい 正確には、本当に書きたいものを書きぬけているのかが判断できないということだ
文字数の分量がそのまま作品の満足度と一致するというのは、私は、嘘だと思う。……否、私が解っていないからなのだろうか?
書きたいものは、書きたいものだ。きっと、私は、今のところ、書きたいものの私が用意出来るだけの私の心の中の範囲で私は、書きたいものをただ書き連ねているだけだ。分量は、その書きたいものが教えてくれる。それは、書きたいものの設計図だからだ。
……詩を書いている時もそうだった。絵を描いている時もそうだった。……小説を書いている今もそうなんて、私は、怒って良いと思う。私に、怒りを感じても良いのだと思う。
いつまでたっても、私は、書きたいものを書けない。
それは、文字数とか書きたいものの設計図をとかそんなことじゃない形で、”ちゃんと書きたいものを書くという満足度の尺度で”それに見合った分量分を、文字数と形で変換させたい。
それは、何だろうと思う。私は、意味を考えて
それはとても、哀しいと思う。
出来ないことは嘘だと思う。
出来ないというのは嫌だと思う。
だから、それは哀しいと思う。
満足度の尺度をスイッチをちゃんとそろえたい。
私は、ちゃんと、取り組みたい。
いつまでもいつまでも、こんなんじゃ嫌だ。
嫌じゃないと思うのは、嘘だと思う。
それは、哀しいと思う。
だから、ちゃんと出来るようになりたいんだ。