第九十八話 境界を超えて
「今の所は、順調……かな」
航海を始めて数時間、特に大きな問題も無く、船は悠々と大海を進んでいる。
時折波に船体が揺れるが、極めて小さなもので船酔いが起こってくる程のものでもなかった。
以前乗った木造船と比べれば、速度は言うまでもなく、快適さの面においても段違いで、ベルナルドの技術力には驚かされる。
「にしても、狭いよねこの船」
船の倉庫はかなり狭く、入り切らずにこの操舵室にも幾つか荷物が入り込んでいた。
操舵室自体もそこまで広いものではなく、荷物を置くと結構な圧迫感がある。
「まあ、一ヶ月分の食料と水を積み込んであるしな」
食料の分もあるが、一番場所を取っているのは動力室だろう。
船の体積のおよそ半分を占めており、もちろん中に荷物は入れられない。
ベルナルドの話によると、人造召喚獣と同じ動力が使われているらしい。
が、全く未知の技術であり、小型化などはまだまだ研究の途中だという。
そう言えば、今まで戦った人造召喚獣も、無駄に体の大きいものだったっけ。
「なぁ、こんな箱あったっけ?」
と、操舵室の片隅に置かれた大きな箱に目が留まった。
1m四方程だろうか、梱包がしっかりとされていないから、恐らく食料品ではないだろうが……
「ボクは知らないけど……」
相棒にも覚えが無いようだ、ということは、ベルナルドかアメリアが餞別に積んでくれたのだろうか?
もしそれなら言ってくれてもよかったのに。 なんて思いつつ、箱に近づいてみる。
「何だこれ、重い……!?」
中身を確認しようと席の近くまで運ぼうとしたが、余りの重さに持ち上げる事が出来ない。
一体中に何が入ってるんだ。 確かめるために箱を開けると、そこには。
「な、なな!?」
中に入っていた全く予想外のものを見て、思わず驚きの声を上げていた。
「ふぁ、もう着いたっすかね」
猫のように丸まっていたのは、呑気に寝ぼけて目を擦るアメリアの姿だった。
※
「勝手に乗り込むなんて、何考えてるんだ」
話を聞けば、俺達が船に荷物を積み込んでいる間に、こっそり空き箱を持ってきて中に入り込んでいたらしい。
「正面から頼んでも、乗せてくれそうに無かったし……」
流石に罪悪感を持っているのか、目線を左右に揺らしながら答えるアメリア。
開いていた席が無かったので、床に直接正座していることも相まって、いつもより大分殊勝に見える。
「そりゃ、当たり前でしょ」
「でも、本当にアタシも行きたいんすよ! 自分の知らないものを見て、もっともっと知識を深めたいんっす!」
呆れた相棒の言葉に、熱っぽく反論するアメリア。
その表情は真に迫っていて、単なるお遊び気分で付いてきた訳でもないようだった。
「けどなぁ」
しかし、このまま連れて行って良いものか。
お世辞にも戦闘力には期待できないし、只でさえ何が起こるかわからない場所に不安定要因を連れて行くのは……
「……ボクは、良いと思うけど」
ぽつりと呟かれた言葉に、思わず相棒の方を見てしまう。
相棒がそう言うとは思っても見なかった、いつもの相棒なら無碍に断る所なのだが、何かアメリアとの間にあったのだろうか。
「一生のお願いっす、どうかアタシをこのまま乗せて下さいっす!」
これ幸いと、続けざまに勢い良く頭を下げるアメリア。
「はぁ、分かったよ」
ここまで頼まれて断ったら、なんだか俺が悪人みたいだ。
それに、女の子の頼みは出来るだけ聞いてあげたい。
「本当っすか!」
アメリアはすぐに顔を上げ、満面の笑みを浮かべる。
「たーだーし!」
「は、はいっ!?」
こちらの大声に、アメリアはびくっ、と体を硬直させ驚く。
「勝手な行動はするなよ、遊びじゃなくて、命が掛かってるんだからな」
このくらい釘を差しておかないと、何をするか分からない。
悪い人物ではないと思うのだが、どうにも扱いきれないというか、予測できない性格をしている。
もう少し親しくなったら、こういう所も可愛いと思えるのだろうけど。
「了解っす!」
帰ってきた返事は凄く勢いがあったけど、何処まで信用してよいのやら。
まあ、悪意がある訳ではないのだし、研究に対する熱意は本物のようだから、そこまで懸念するものでもないかな。
「ご主人、そろそろ内海が終わるっぽいよ!」
と、海図を見ていた相棒が声を上げた。
流石にレーダーは着いていないので、こういうところは手動でどうにかしていた。
正確な位置は分からないが、一応の現在地は推測出来ている。
「何か見えてきたっす!」
「あれか……」
正面に見えたのは、かつて古代の王を葬り、現在に至るまで伝承として伝え続けられていた、あの大渦だった。
直径は50~60m程、中心が確認出来ないほどの広さで、激しい音を立てて水が流れ続けている。
しかも渦は一つだけではなく、隙間を作らないように均等に並んで発生していた。
間直で見て実感したが、この異常な光景は、明らかに自然に出来たものではないだろう。
やはり、大陸の外に出られたくない何者かの意志が働いているのか。
まだ渦に捕らえられてはいなかったが、それでも船体は徐々に引き寄せられている。
「しっかり捕まってろよ!」
操舵管を思いっ切り引き倒し、船を最大船速まで加速させる。
ここで迷っていても仕方がない、ここは一気に行くしか。
「ぐぅっ!」
「きゃぁぁっ!」
渦の引力が船体を揺らし、操舵管は制御を失ったように暴れ続ける。
体が四方八方に吹き飛ばされそうになるが、そこは席に備えられていた固定具で体を椅子に縛り付けてどうにか防ぐ。
席に座れていなかったアメリアが、悲鳴を上げながら操舵室の壁に体をぶつけているけど、今は構っている余裕が無い。
そんな混乱の中で、それでも精一杯の力で操舵管を握り続けていた。
「何とか、越えたか……?」
そんな状態がどれくら続いただろうか、実際には数分も経っていなかったと思うけど、感覚的には何十分にも思えていた。
揺れは次第に収まり、渦に入る前と変わらない穏やかさに戻っていた。
丁度二つの渦の真ん中を通ったのが幸いしたのだろうか、船に目立った損傷はなく、今のところ誰も怪我をしていない。
「い、痛いっす……」
目の端に涙を浮かべるアメリアも、深刻な怪我は負わなかったようだし。
なんにしても、これでようやく大陸の外に……
「ご主人、前!」
と一息付いたのも束の間、相棒が正面の光景を見て声を上げた。
「な、なんっすか、あれ!?」
目前の海原に、沸騰したようにボコボコと巨大な泡が幾つも浮かんでいたのだ。
それは次第に勢いと量を増し、船に伝わるほどの大きな揺れを伴い始める。
状況を把握するよりも早く、海の底から凄まじい勢いで何かが飛び出していた。
激しい轟音と共に、大量の海水を巻き上げて現れたのは。
「こんなものを用意するなんて、よっぽど外に出られたくないらしいな」
全長は7.80m程だろうか、何本もの触手を備えたその体は、一見巨大な蛸か烏賊のように見えた。
長い年月を経ているのだろう、赤く錆びついた鋼鉄の体が痛々しい。
丸まったサボテンのような頭部には、全周囲を見渡す幾つもの赤い目が爛々と輝いている。
「アメリア! 操舵を頼む!」
「ちょっ!?」
返事を待たずに、梯子を勢い良く登って天井の扉を開ければ、ツンと鼻に付く潮風が流れ込んでくる。
幸いな事に、まだ新品の船体は足を滑らす苔や藻に覆われてはいなかった。
「俺の先攻! 俺のターン!」
濡れた甲板を大きく踏み締め、異形の海神と対峙する――