第九十二話 発端
数ヶ月越しでサモニスに帰ってきた俺を、サモニス上層部は一応歓迎してくれた。
共和国での大立ち回りはサモニスにも伝わっており、その点について言葉では賞賛を受けた。
しかし、目的であった伝説の召喚獣を奪還し損ねたことを理由に、結局俺の立場は前と同じ窓際のままであった。
無理難題を押し付けたつもりがあっさりと事態を解決して帰って来たのだから、処遇に困っているのだろう。
マキヤさんは、「隊長の功績が正当に評価されないなんて」 と残念がっていたけど、別に立場に興味の無い俺からすれば、変に出世するより気楽でいい。
帝国との戦いの後もこんな扱いだったし、別に処罰されたりする訳でもないのだから。
願わくば、このまま大きな争いもなく、呑気に日々が過ぎていけば良いのだけど……
※
城で簡単な公務を終えた後、市街の外れに借りた一軒家へと帰宅。
二階建ての洋風建築で、広さは三人で暮らすには丁度いいくらい、特に良い部分もないが、取り立てて悪い所もないのが気に入っていた。
久しぶりに再開したスミレと相棒は、別れの時間を埋め合わせるように和気藹々と一日中遊んでいたようで、その疲れが出たのか早々に寝付いていた。
二人を起こさないように夕食は外で食べてこようかと、家を後にしようとした、その時。
「誰だ!」
見知らぬ何者かの気配と物音を感じ、今は誰も居ないはずの自室の扉を開ける。
「そう騒ぐでない、器が知れるぞ」
窓から差し込む月明かりの中に立っていたのは、露出の多い扇情的な服装を身に纏う長身の美しい女性。
長い金の髪と、凛々しい顔立ち、豊かな双丘を持ちながらもそれが全体の調和を乱さない整った体型を持つ外見は、一見絶世の美女と言って差し支えないだろう。
しかし、近付いて確認してみれば、彼女が常人とは明らかに異なる特徴を備えている事が分かった。
頭部には飾りのように二対の小さな羽根が付いており、肌は明暗が反転したような青紫色、白目にあたる部分は漆黒に染まり、その中央には血のように真紅に染まった瞳が。
それこそM&Mに登場する悪魔か妖怪の如き姿と、何より彼女から発せられる圧倒的な威圧感に、心の内で思い当たる存在があった。
「まさか……!?」
「ほう、気付いたか」
共和国騒乱の元凶であり、サモニスに封印されていた伝説の召喚獣、至神創皇・瑞勾陳。
激しい戦闘の末に召喚札を回収していたが、サモニス上層部には撃破時に消失したと報告していた。
前世でカードを入手できなかった未練と、間近で見た圧倒的な力への興味から、どうしても手放すことが出来なかったのだ。
相棒と同じく意思を持つ召喚獣であることは知っていたが、こうして相棒のように人間となって目の前に現れるとは。
瞬時に思考を戦闘に切り替え、右手を山札に伸ばす。
が。
「我は敗者、勝者である貴様に逆らうつもり等無い」
どことなく自嘲めいた笑みを浮かべつつ、両手を挙げて降参の意思を示す瑞勾陳。
「だったら、何の用で……」
「まずは、礼を言おうと思ってな」
暫し瞑目した後、瑞勾陳は落ち着いた様子で話し出す。
「我を再び封じることなく、こうして自由の身でいさせてくれた事、感謝する」
「自由って言ったって、お前の好き勝手にさせるつもりは……」
目の前の存在によってどれだけの惨劇を引き起こされたのか、忘れる訳もなかった。
燃える街や逃げ惑う人々は、今も脳裏にはっきりと焼き付いている。
また人々に害を為そうとするのなら、容赦する訳にはいかない。
「分かっておる、今更大それた野望など抱かんよ」
ふっと、憑き物の落ちたような爽やかな笑みを見せる瑞勾陳。
先程まで感じていた威圧感はなく、どこか包容力すら伺わせるものだった。
「貴様が我の力を欲する時にのみ、我の力を振るう、それで良いのだろう?」
「あ、ああ」
本当に目の前の存在は、ついこの前死闘を繰り広げた相手なのだろうか?
あまりの物分かりの良さに、安堵を通り越して不気味なざらつきを覚える。
「それと、もう一つ。 貴様に警告しておく事がある」
不意に表情を顰める瑞勾陳。
「この世界を歪めた者達が、一気に動き出そうとしている。 恐らく我を目覚めさせたのも、奴らであろう」
「ちょっと待て、この前も気になる事を言ってたけど、どういう意味なんだ」
真実の世界だとか偽りがどうとか、何か俺の前世についても知っているような口ぶりだったが、戦闘の激しさで問い詰める暇がなかった事を思い出す。
「貴様に我がいくら説明しようと、自らの目で見ない限りは到底信じられんよ」
真っ白な歯を見せて、怪しげに笑う瑞勾陳。
惜しげも無く色気を振りまく妖艶な姿は、ハードボイルドな映画に出てくる悪女のようだ。
「それで納得できる訳無いだろ」
流石にそれだけでは断片的な情報過ぎる。 嘘を言っている口ぶりには思えないが、何がなんだかさっぱりだ。
「ふぅむ、どうすれば信用して貰えるのだろうか……」
顎に手を当て、目を細めつつ思案する動作を見せた後、瑞勾陳は不意にこちらへ手を伸ばした。
「な、何を!?」
唐突な動作に反応が送れ、されるがままに抱きしめられてしまう。
正面から豊かな双丘に顔を押し付けられ、意外に暖かな体温が直接伝わる。
「男という生き物は、女にこうされると喜ぶものではないのか?」
「いや、そうかもしれないけど……」
頭に血が昇って、照れているのか何なのか訳が分からない。
こちらとは対照的に瑞勾陳は何も気にしていない様子で、そのまま俺を抱きしめ続ける。
「であれば、何の問題もあるまい」
押し付けられる強さは次第に増す、弾力を持った膨らみの感触が心地良く、女性特有の甘い匂いが鼻孔をくすぐる。
このままずっと、穏やかな暖かさに身を委ねても……
「だ、駄目だってこういうのは!」
すんでのところで正気を取り戻し、瑞勾陳の体を突き飛ばした。
危ない所だった、こっちの世界に来て多少なりとも女性と触れ合った経験がなければ、あのまま魂まで取り込まれていたかもしれない。
「し、信用して欲しいのなら、ちゃんと言葉で伝えろ」
鏡がないので分からないが、今の顔は多分真っ赤になっているだろう。
その証拠に、まだ声は調子外れの上ずったままだった。
「……では、一つだけ教えよう」
一瞬だけ残念そうな顔をした瑞勾陳の表情が真面目に戻る。
「奴らの居場所、それは恐らくこの大地ではない、海を隔てたもっと遠くの場所」
「別の大陸って事か?」
「さあな、我の感じたままを告げたのみだ」
相変わらず答えになっていないというか、それだけの情報では全く分からないのと同じじゃないか。
怒りを告げようにも、既に目の前に瑞勾陳の姿はなく。 皮肉めいた笑みを浮かべ、掻き消えるようにして瑞勾陳は姿を消していた。
先程まで瑞勾陳が立っていた床に、四枚が一枚に合わさった大きな召喚札が残されたのみだった。