第九十一話 壮途
王宮の自室から窓の外を見れば、倒壊した町並みを立て直す人々の活気にあふれた様子が見えている。
あれから随分周辺の情勢も落ち着いて、最近ではオレ達軍の出番も少なくなった。
酷い怪我を負ったカムロもようやくまともに動けるようになり、最近では王宮内を歩き回れるようになったようだ。
元気になったのなら、今回の礼も兼ねてまた宴会でも開いてやろうか……
「姉様!」
と、部屋に飛び込んできた影に思索が中断する。
「どうしたのだシィル、そんなに慌てて」
余程取り乱しているのか、大きな呼吸音と共に肩を揺らすシィル。
普段の様子とはまるで違った姿に、只ならぬ気配を感じる。
「か、カムロ……様が!」
「まさか……!?」
途切れ途切れの言葉で状況を理解し、即座にカムロの居室へ。
辿り着いたそこに、既にカムロも、小さな同行者の姿もなかった。
「侍従が部屋に来た時には、もう……」
恐らく、誰にも告げずにここを去ったのだろう、その全く未練のない様子は、あいつらしいと言えばあいつらしい。
が、せめて一言くらいは別れの言葉を告げてくれても良かったのに、と女々しい気持ちが沸き上がってしまう。
「すぐに捜索隊を!」
「いや、いい」
片手を上げ、俄に慌ただしくなり始めた家臣達を静する。
「しかし姉様!」
納得行かない様子のシィルが服を掴んで食って掛かる、オレはその手を跳ね除けることもせずに、ただ呟いていた。
「あいつは、自分の役目を終えたんだ」
「……何か、ご存知なのですか?」
こちらの気持ちを察したのか、手の力を和らげるシィル。
そして、脳裏にあの日の光景が浮かぶ、あいつが王になることを引き受けた、あの日の。
※
「約束ってのはさ、俺が辞めても、そのまま放っておいて欲しいんだ」
「な……!」
聞き用に取っては無責任とも取れる発言に、どう反応していいかわからず絶句する。
「あ、いや別に仕事の途中で投げ出したりとかはしないよ、けどさ、俺はもう必要ないだろうって時が来たら……」
誤解されると思ったのか、すぐに言葉を付け足したカムロ。
いい加減な態度で引き受けたわけでないことは分かったが、それならば余計に疑問が湧く。
「何故だ? 王の立場を自ら放棄するなど」
普通の人間であれば喉から手が出る程渇望するであろう立場を、カムロはあまりにもあっさりとその手から離そうとしている。
「……正直に言えば、怖い」
逡巡したように暫し瞑目した後、帰ってきたのは予想外の答え。
「王様なんて立場になって、人の上に立つのが当たり前だと思うようになるのが怖い、他人に命令してもなんとも思わなくなるのが怖い」
戸惑う私の前で、堰を切ったように話し続けるカムロ。
「自分が変わってしまうのが、どうしようもなく怖いんだ」
真剣な顔で告げるカムロの言葉に、嘘偽りは感じ取れない。
この男は、どこまで高潔で、どこまで純粋なのだろうか。
あれ程の力を持ちながら、全く野心も奢りも抱かずにいられるとは。
「幻滅したろ? 結局我が身が可愛いだけなんてさ」
「そんな事は無い」
自嘲めいた笑みを浮かべるカムロを、思わず庇っていた。
「……分かった。 お前の願い、聞き届けよう」
「ありがとう」
本当に心から感謝の気持を伝えてくるカムロを見て、言葉を詰まらせてしまう。
礼を言いたいのはこっちの方だというのに。
「じゃあ、取り敢えず帰ろうか!」
そんなこちらの思いを知ってか知らずかか、カムロは脳天気な態度を取っていた。
既に、オレは別れの気配を感じ取っていたのかもしれない。
ここで別れを頑なに拒否するような、そんな女らしい態度を取っていれば、それからの出来事も大きく変わっていただろう。
けど、オレにそんな器用なことは出来なかった。 武人として、真摯な態度には真摯に答えることしか――
※
燦々と降り注ぐ日差しの中、がたがたと揺れる馬車の音だけが耳に届いている。
馬車はのんびりと街道を進み、時折段差や小石を越える振動が体に響く。
偶然テムブールまで行くという行商人の一団に出会った俺達は、護衛を引き受ける代わりに馬車の荷台に同乗させて貰った。
丁度荷物の影になっている場所を確保できたので、日に日に強さを増す夏の太陽からすれば割と快適な旅路となっていた。
このまま行けば、一週間程でテムブールに到着するだろう。
そこからサモニスまでは、もう目と鼻の先だ。
「暴君の煌燿龍、自分の生命力が千以下の時、直接手札から、または自分場上の暴君の大災害龍を覚醒させて召喚できる……か」
手の中にあるのは、裏面が書き換わったままの相棒の札。
あの時の事を相棒に聞いても、なんかぶわーってなったらぐわーっとなって…… 等と要領を得なかった。
まあ、結果的には生き残れたんだから、気にしても仕方ないか。
「ねぇねぇご主人、僕の背中には乗らないの?」
寝転んでいた相棒が、体を起こして抱き付いて来る。
積んであった牧草の匂いが移ったのか、少し生臭い。
「まだ傷が痛むんだ、ごめんな」
あの戦いの後、朦朧とした意識の中でどうにか相棒に拠点まで運んでもらい、それから数週間は寝床から一歩も動けなかった。
治療してくれた医者の話では、生きているのが不思議なくらいの酷い怪我だったらしい。
今は服で隠しているけど、体のあちこちにはまだ生々しい包帯と傷跡が残っている。
一応日常生活を送れる程度には回復したとはいえ、まだ激しい運動は無理だ。
「だったら、もう少しあっちに残ってても良かったのに」
「あのままいたら、離れられなくなっちゃうかもしれないしさ」
諭すように相棒の頭を撫でる。
頬を膨らませたままの相棒は、まだ王様に未練があるみたいだ。
「別に、王様のままでも良かったんじゃないの?」
「俺にそんな大層な役目は相応しくないって」
ただ召喚獣を使った戦いが上手いだけで、政治や経済に着いて詳しい訳でもない。
戦時ならともかく、これからの共和国を纏めていく為に、無駄に大きな力を持った存在は逆に混乱を引き起こしかねない。
「それに、元々柄じゃない」
「結構さまになってたと思うけどなぁ」
相棒にそう言って貰えるのは嬉しいが、やっぱり性に合わないというか、人に命令を出す立場なんてむず痒いし息が詰まる。
「まあ、ご主人がそれでいいならいいけどさ」
「けど?」
いつもは余り執着しないのに、珍しく心残りを見せた相棒の様子を見て、思わず言葉尻を聞き返していた。
「あのままあそこにいれば、美味しいもの食べ放題だったのになぁ……」
結局それが本音かよ……
本当に残念そうに答える相棒の顔を見て、なんだか微妙な気持ちになってしまう。
相棒らしいと言えば相棒らしくて、そこがまた可愛いのだけど。
「後は、これをどうするかだな」
「伝説の召喚獣?」
荷物入れから取り出したのは、ちゃっかり回収していた四枚の召喚札。
元々これを取り戻す為に共和国までやってきたのだから、素直に返すべきなのだが……
「やっぱり、使ってみたいなぁ……」
一人のM&Mユーザーとして、一人の召喚術士として。
あれだけ強力な力を目にすれば、それを我が物にしたいと思うのは必然だった。
「えー、別にボクがいるからいいじゃん!」
「いや、相棒に不満がある訳じゃないんだけど……」
戦力だけでいえば、相棒を含めた今の召喚獣達でも十分戦えるだろう。
けどこれはそういう問題ではないというか、俺の収集欲とかつての未練も関わってくるし。
「ご主人の浮気者ー」
「うーん……」
責めるような相棒の視線を受けつつ、馬車が目的地に到着するまでの間、俺は札を持ったまま延々と悩み続けていた。