第八十九話 巨魁出現
決戦には似つかわしくない鬱々とした曇天の空を見上げ、誰ともなく呟く。
「もうすぐ、か」
先行して進軍を開始しているイスク達が、そろそろ敵の軍団と遭遇した頃合いだろう。
イスク達が敵の集団を引き寄せている間に、俺が単騎で敵の本体を叩く。
小説通りならば、元凶の召喚獣を倒せばこの事態は収拾出来る……筈。
「カムロさん!」
と、背後から涼やかな呼び声が。
「見送りに来てくれたのか、シィル……!?」
振り向いて目にしたシィルの姿に、開きかけた口が思わず止まる。
記憶では肩まであったはずのシィルの髪は、耳に掛かる程度にまで短く切り揃えられていたのだ。
「これ、お守りです」
静止したままの俺に、おずおずとシィルは細い紐状のお守りを差し出した。
色取り取りの糸が何本も編み込まれているらしく、鮮やかな模様が映し出されている。
「私達に伝わる風習で、つ……女の人は戦に向かう男の人に、自分の髪を結った魔除けを渡すんです」
「ありがとな、大切にするよ」
俺の無事を祈るために、わざわざ自分の髪を切ってお守りを作ってくれるなんて。
その心遣いには、感謝の気持ちしかない。
「か、必ず生き残って、無事で……!」
「大丈夫、死ぬ気は無いさ」
潤んだ瞳を向けるシィルの頭を撫で、慣れない笑顔をどうにか作ってみる。
安心してくれたのか、シィルは無言で頷いてくれた。
「よし! 行くぞ、相棒!」
「……うん」
気合を入れて戦場に向かおうとした俺を、相棒が何故か半目で見つめていた。
※
ぐんぐんと上昇する相棒の背に乗り、雲を突き破ってオロス山の頂へ。
高い山だとは聞いていたが、この高さだと1000mをゆうに超えているかもしれない。
「あれか……!」
小説の挿絵で見たものと同じ、不気味な神殿が山頂には鎮座している。
神殿の周囲には、警護らしき蠢く無数の黒い兵士達の群れが。
本命と戦う前に消耗してはいられない、ここは……
「一気に突っ込むぞ!」
急降下した相棒の体が、黒い兵士を巻き込んで神殿の外壁を突き破る。
激しい振動と轟音が響き渡り、神殿の部屋を幾つか突き抜けた所で相棒の体は急停止した。
結界だろうか、暗色をした半透明の壁が奥への侵入を拒んでいるようだ。
「相棒、大丈夫か?」
もうもうと立ち込める煙の中、倒れ込んでいた体を起こす。
静止した反動で振り落とされたものの、受け身が上手く行ったのかそこまでの痛みは感じていない。
「ちょっと痛かったけど、全然大丈夫」
人間の姿になって、服に付いた汚れを払う相棒。
体に目立った外傷はなく、こちらも無事だったようだ。
「寒いな……」
相棒に乗っているときは感じなかった寒さが体に染み渡る。
言った所でどうにかなる訳では無いのだが、思わず呟いてしまう程寒い。
一応イスク達から冬用の防寒具を借りてそれなりの対策をして来たけど、ここまで寒いと余り意味が無い。
乗っている間は相棒の体温のお陰かむしろ暖かかったのだが……
「でも、行くしかない!」
寒いからって気持ちまで縮まらせてはいけない。 自身を奮い立たせるように気合を入れた。
煙も晴れ、辺りを見回せば、正面には巨大な扉が。 高さはこちらの身長をゆうに超え、数十mはざらにあるだろう。
これが、先程相棒がぶつかった結界を作り出していたのか。
結界の存在を意識し慎重に扉に近づくも、予想していた衝撃はない。
拍子抜けしながら扉に触れれば、全く力を入れていないにも関わらず扉は動き出す。
重厚な扉は唸り声の様な軋みを上げながら、ゆっくりとその口を開いていた。
扉の奥には、外から窺えるよりも遥かに雄大な空間が広がっていた。
全体の大きさはドーム球場程だろうか、半円状の天井には一面おぞましい絵柄の油絵が描かれていた。
苦悶の表情を浮かべる人々、燃え落ちる街、無機質に殺戮を繰り返す黒い影……
見るだけで気分を陰鬱なものにさせるそれは、邪悪な存在に捧げる宗教画の如く威圧感を放っている。
「誰も、いない……?」
当然あると思っていた出迎えは無く、部屋の中に人気は感じられない。
不思議に思いながらも、周囲を警戒しつつ部屋の中央へ。
中央に鎮座する階段の付けられた四角錘状の構造物は、頂上に長方形型の足場が存在していた。
いつかドキュメンタリーで見た、遥か昔何処かの文明が築き上げた生贄を捧げる祭壇を思い出す。
階段を登ろうと足を掛けた、その時。
「よく来たな、異界の召喚士よ」
地の底から響くような、重厚感を持つ声が脳裏に直接届いた。
辺りを見回すが、誰の姿も確認できない。 しかし、周囲の空気が一変した事は感じ取れた。
肌を突き刺されるようなピリピリとした緊張感が、異様な雰囲気を伴って空間を満たす。
「戦いに来たのだろう? 我の元へ来るがいい」
声色だけでそれとわかる鷹揚な態度で、声の主は俺達を導く。
「ご主人……」
「行くしかない、だろ?」
ここで立ち止まっている場合ではない、今この時も、イスク達は必死で戦っている。
戸惑う相棒の手を握り、二人で階段を登っていく。
十数分程掛かって辿り着いた、祭壇の頂上には。
「待っていたぞ、貴様と戦う時を」
黒い兵士と同様の、人の形を辛うじて保った黒い影が。
「お前が、召喚獣……?」
目の前に現れたその姿は、俺の記憶するそれとはまるで異なっていた。
書籍の付録として大々的に売り出された魔物の見た目は、はっきりと脳裏に焼き付いている。
「いや、これは仮初の姿にすぎない。 それは貴様も良く分かっているだろう?」
「何故それを……」
こちらの心情を読んだかのような黒い影の言葉に、心がざわつく。
「我も貴様と同じ、真誠の世界より来るもの」
真誠の世界……? いきなり何を言ってるんだ。
まさか俺と同様に、この魔物もあちらの世界からやって来たのか?
様々な考えが頭に浮かんでは消え、思わず動きが止まる。
「虚誕の世界を毀つ為に、貴様の力を貰う!」
どうやら魔物は、最初からこちらと会話する気など無かったらしい。
意味不明な言葉を発した黒い影は靄が晴れるように掻き消え、眼前に黒い兵士の群れが現れた。
「ご主人!」
一気に高まった不穏な空気を察し、目で合図をした相棒が山札に戻る。
気になることはあるが、今はここを切り抜けなければ。
「俺のターン、ドロー!」
裂帛の気合で札を引き、目前に迫る敵と対峙する――