第八十六話 晦冥の訪れ
「なんで……!? なんで王様が死んでるの!?」
「罠があるとは考えてたけど、これは流石に想定外だな……」
始まろうとした戦いを止めに王宮に忍び込んだ俺達を待ち受けていたのは、ド国王の死体。
余りに予想外の出来事に、俺も相棒もただ戸惑うばかり。
「この街に来て貰えるだけで助かったのだが、まさかのこのこ王宮まで来てくれるとは。 手間が省けたぞ」
そんな俺達の背後から響いたのは、鋭利な刃を思わせる低い男の声。
「お前……いや、お前達はド国の者じゃないのか!?」
歳の頃は三十代ほど、長い鍔の付いた帽子を被り、見覚えのある意匠の施された緑色の中華服を着ていた。
蛇の様な細い目が、冷徹にこちらを観察している。
「いつそんな事を言った? 貴様が勝手に勘違いしただけだろう?」
こちらを嘲るような響きで言い放たれた言葉にはっとさせられる。
確かにそうだ、一言も何処の国に所属しているなんて聞いていない。
だとしたら、彼らは一体何の為にこんな事を?
「一体何を企んでる!」
「私に構っていて良いのかね?」
質問には答えずに、男は俺が入ってきた扉を指差した。
「いたぞ! 侵入者だ!」
ボルテクスの効果が切れたのだろう、進入を察した衛兵達がここに集まり始めていた。
この状況では、俺が王を暗殺したと思われるのは確実だろう。
「こんな時に……!」
振り返ったとき、既に男の姿は無く。
「これは……!? 王が!?」
余計な事を考えている場合ではない、一先ずここから逃げ出さなければ。
殺到した衛兵が目の前の光景に動揺している隙に、扉の外へ駆け出す。
「俺のターン、ドロー!」
一目散に走りながら札を引き、中庭に待機させていたボルテクスの背に飛び乗った。
「頼むぞ!」
「何をしている! 他の者はどうした!」
「それが……」
背後の喧騒を耳にしながら、王宮から一気に飛び出す。
鳥人の背に乗って上空へ急上昇した、その時。
「街が……!?」
目の前に映ったのは、優美な城下街が真紅の業火に包まれた光景だった。
火の手は街全体に広がっているようで、目に映る全てが赤く染まっている。
炎が燃え広がる焦げ臭い匂いが鼻の奥を突き、思い出したくも無い記憶が呼び覚まされる。
「あの時と同じ、ってことは」
生じた不快感を振り払い、ボルテクスに命じて街中を飛行する。
目的の人物は、以外にすぐ見つかった。
「燃えろ、全てを燃やし尽くせ!」
炎に包まれた建物の上に居たのは、以前出会った赤い中華服の男。
ラメイスト襲撃時と同様に、男は目の前の惨事を楽しむが如く炎を操っている。
「性懲りも無く、お前達は!」
その罪悪感の欠片も無い行動に、一瞬で怒りが爆発した。
「自分の札全てを墓地に送る事で、この札は条件を無視して召喚出来る!」
前に続いてこれ程の非道、自分の手で決着を付けなければ気が済まない。
「霊冥へ導く深淵なる魂よ、罪深き者達の命を糧とし、我に勝利を! 召喚!」
「クラス8、漆闇の誘冥杖!」
口上を唱え終われば、巨大な宝石をあしらえた漆黒の魔杖が左手に握られる。
「運命の審判!」
怒りを込めて魔杖から放たれた黒い魔力弾が、男が咄嗟に作り出した炎の壁を突き破って炸裂する。
「やはり、俺では勝てねぇか……」
「このまま一気に!」
吹き飛ばされ地面に倒れこんだ男目掛け、止めとばかりにボルテクスを急行させた。
が。
「だが、俺一人では無理でも!」
「我ら四人ならば!」
「ぐぁっ!?」
背後から鋭い矢を一気に飛ばしたのは、先程王宮で出会った緑の服の男。
不意打ちを受け、ボルテクスの体に飛来した矢が数十本突き刺さる。
そのままボルテクスは光の粒子と化して消え、足場が無くなった俺は咄嗟に地面に着地。
「うふっ、お待ちしていました」
「ちぃっ!」
着地際を狙い、続けざまに振るわれた女の鞭撃を後方に飛び退いて回避。
「そこ、危ないよ」
と、聞き覚えのある少年の声が聞こえた。
「な……上から!?」
上空から轟音を立てて落下し地面に突き刺さったのは、見覚えのある白磁の巨大な塔。
咄嗟に後転してどうにか回避出来たものの、取り落とした魔杖がまともに塔の直撃を食らって潰れる。
「この塔は……!」
「多少供物の数が足りないのでな、貴様を代わりに使わせて貰おう!」
続けざまに起きる予想外の出来事に、思わず回避が遅れた。
「何を……!? がぁっ!」
緑服の男の立つ地面から一瞬で生え伸びた植物の細い蔓で拘束され、身動きが取れなくなってしまう。
蔓はじわじわと締めあげる強さを増し、その度に体から何かが失われていく感触を覚える。
「……これで蘇るんですね、我らの主が」
「主……?」
女の呟いた言葉で、記憶の扉が不意に開く。
奪われた伝説の召喚獣、四人の下僕、そして一つの……
頭の中に取り留めもなく単語か幾つも思い浮かぶが、意識が朦朧として考えが纏まらない。
「このまま命を……!」
蔓の拘束は更に強さを増し、止め処なく襲う痛みすら感じられなくなるような倦怠感が体中を包み込む。
このままでは……
「カムロー!」
と、定まらない感覚の中で、鼓膜に誰かの声が響く。
雄たけびを上げて突進したイスクが長槍を振り翳し、拘束していた触手が切り裂かれる。
支えるもののなくなった体は、そのまま宙に投げ出された。
「何っ!?」
「大丈夫か、カムロ!」
俺の体が地面に叩きつけられる前に抱きかかえ、心配そうに呼びかけるイスク。
どうやら、街の異変を見て駆けつけてくれたらしい。
「伏兵を潜ませていたか」
「……どう考えたって罠が有るのに、何の備えもなく来るわけがないだろ」
ああもあからさまに誘導されれば、流石にそれが罠だと気付く。
事前にイスクとド国に見つからない程度の手勢を潜ませていたのだ。
しかし、敵の罠はこちらの想定以上だった。
「ふ……それもそうだな」
「だが、俺達の目的は達した!」
「ありがとうございました、あなたのお陰ですよ」
「楽しみに待っているがいいさ、破滅の時をね!」
高揚した様子で好き勝手に言い放ち、男達は転移魔法で姿を消した。
後に残されたのは、不気味に点滅する塔のみ。
「カムロ!? しっかりしろ、カムロ!」
敵がいなくなって安堵したのか、気を張ってどうにか保っていた意識が次第に失われていくのを感じる。
イスクの呼び声が耳に響く中、ゆっくりと視界は闇に覆われて――