第八十三話 一時の平穏
初夏の爽やかな日差しを受けながら、人々で賑わう大通りをぶらり歩く。
「カムロ様、おはよ!」
「お、カムロ様じゃねぇか! 元気か!」
「いつももご苦労様です」
顔を覚えてくれたのか、行き交う人々から挨拶を交わされるのが少し嬉しい。
イスクの頼みを受け、皆の纏め役になって一週間程が過ぎた。
今の所基本的な仕事はこういう見回りだったり、召喚獣を使って色々雑用を手伝ったりと、これまでやって来た事と変わらない。
帝国のそれらとは違い、こっちだと上に立つ者との距離がかなり近いようだ。
王様というよりも、族長とか酋長の方が近いのかもしれない。
一応肩書きは新しく出来たエ国の王だけど、就任の時以外はそれ程王っぽい行事もしてないし。
あの時は色々大変だったなぁ……
礼儀作法とか全く分からないから徹夜して丸暗記しなきゃならなかったし、変に堅苦しくて終わってから暫く全身の間接が痛んでたし。
「どうした、カムロ」
「王様って言っても、いきなり変わるもんじゃないんだな」
隣で護衛しているイスクが話し掛けて来た。
正直護衛は必要ないと思うのだが、形式的なものと言う事で押し切られてしまった。
の割りに人員はいつもイスクしかいないので、護衛として意味があるのかどうかは疑問だけど。
「不満か?」
「変に堅苦しいのより気楽でいいよ」
別に偉くなりたかった訳ではない身からすると、この緩さが心地良かった。
「そうか、お前ならそう言うと思った」
ふっ、と柔らかい笑みを浮かべたイスクの顔を見て、普段の凛々しい雰囲気との落差に少し見惚れてしまう。
「どうかしたか?」
「……いや、なんでも」
こうして穏やかに話が出来るなんて、最初の頃からすれば随分打ち解けた。
最もあれはただの誤解だったのだから、今の状態の方が普通なんだろう。
これからどうなるかはまだよく分からない、動きを見せないドの国は小国を次々併合して勢力を伸ばしているし、この街を襲った中華服の女についても不明のままだ。
けど、こうして頼りにしてくれる人がいる以上、出来る事があるのならそれを全力でやる。
……盗まれた伝説の召喚獣探しの方も、忘れないようにしなきゃだけど。
※
そんなイスクから提案を受けたのは、見回りが終わり自宅で休憩していた所。
今の所、家は前の六畳間のままだった。
一応王様らしい家を立てる計画はあるらしいのだが、街の再建が最優先という俺の意思で、今まで済んでいた家を多少改修する程度に留まっていた。
「宴会?」
「ああ、ようやくこの前の蝗騒ぎから復旧し始めた所だし、ここらで一つ宴でも催して皆を元気付けようと思ってな」
机を挟んで向かい合い、胡座で寛いだ様子のイスク。
「へえ、いいじゃないか」
大変な時にも関わらず皆昼夜を問わず頑張っていたし、報いるのは当然だろう。
「そうか、もう計画は出来ているから、お前の許可があれば一両日中にでも出来る」
「こっちとしては、反対する理由もないよ」
手回しの良い事に、既に事務方と相談して色々話は付けてあるという。
「シィルも是非歌いたいと言ってくれたし、明日は盛り上げるぞ!」
まだ宴まで時間があるのに今から張り切った様子のイスクを見て、少し微笑ましい気分になっていた。
――この時までは。
※
暫し後、問題なく宴は開催された。
公には俺の就任記念とからしいけど、実際はイスクの言った通りだと思う。
宴会は街の殆どの人が参加しているらしく、大きな学校のグラウンド程の結構広い中央広場に溢れんばかりの人が集まっていた。
「おうカムロ! 楽しんでるか!」
「イスク、どうしたの……?」
皆々が好き勝手に騒ぎ立てる中、念の為に見回りをしていた所、やたら上機嫌なイスクが肩を何度も叩きながら話し掛けて来た。
「お前も飲め!」
「いや、酒飲めないんだけど」
「何辛気臭い事言ってるんだ、まあ飲めって!」
そう言って無理矢理杯を押し付けるイスク。
体が近づき、イスクの体から漂うアルコール特有のツンとした香りが鼻の奥をくすぐった。
「イスク、かなり飲んでるよね」
「たった樽一つくらい飲んだうちに入らんさ!」
樽一つって、一体何リットル飲んだんだ。
「ぐぇっ!?」
「ははは、楽しいな!」
いきなり腕ひしぎを掛けられ、二の腕で十字型に首を抱え込まれてしまった。
酔っているせいで力の加減が効いていないのか、締め付ける強さが半端ではない。
同時に、鎧を脱いで軽装になったイスクの胸部、その柔らかな膨らみを押し付けられて、息苦しさと心地よさで変な気分になり掛ける。
と、少し離れた所で、軽食を摘んでいるシィルの後姿が目に入った。
「シィル、助け」
実の妹の仲裁なら、この状態でも聞いてくれるかもしれない。
そう望みを託し、呼び掛けたのだが。
「ふゃ? 何ですかぁ?」
助けを求めたシィルは、既に出来上がっている状態だった。
そうか、こっちには未成年飲酒禁止なんて法律は無いし、シィルも飲む時は飲むんだ。
「カムロさんものみまひょうよ~」
紅潮した顔のシィルは、呂律の回らない口調で話しながらこちらへ垂れかかってくる。
「いや、だから……」
「オレの酒が飲めないのか!」
迂闊に話しかけて、酔っ払いが二倍に増えてしまった。
どうすればこの事態を打開出来るのか……
「そうだ、相棒!」
最後に残された頼みの綱は、やはり相棒しかいない。
相棒の馬鹿力なら、未だに首を締め付けて離さないイスクもどうにかしてくれる筈。
「ご主人?」
「助けてくれ、相棒!」
一縷の望みを託し、食べ終わった皿を数十積み上げてもまだ食欲旺盛に場内を食べ歩いていた相棒に呼び掛けた、が。
「うへへ、ご主人~」
こっちへよたよたと歩いてきた相棒も、酒の魔力に囚われきっている状態だった。
「お前もか!?」
相棒は完全に酔いが回っているようで、最早まともに話が出来るとは思えない。
「何だかとってもいい気分なんだ~」
「おお、お前もいける口か!」
「みんな飲んでますし、カムロさんもぉ」
集まった酔っ払い達は同調し、それぞれ好き勝手に騒ぎ出した。
色々抱きつかれたり酒を飲まされかけたりと、ここ最近で一番の苦戦をどうにか潜り抜ける。
ようやく開放されたのは、それから数時間が経っての事。
「……酷い目にあった」
酔い潰れて眠りこけた三人を安全な場所に寝かし付け、夜風に当たって気分を落ち着けようと街外れへ。
広がる草原の中で気ままに佇む、少し火照った頬に当たる涼しげな風が心地いい。
「お疲れみたいですね」
と、不意に背後から呼び掛けられた。
「お前は!」
穏やかに揺れる草花の中で、そこだけに黒い靄が掛かったよう。
恐らくは、彼女の不穏な雰囲気がそう錯覚させたのだろう。
「何しに来た?」
「あなたを勧誘しに来たんです」
こちらの敵意を気にも止めず、臙脂色の旗袍を着た女性は話し出す。
「私達と一緒に、もおっと楽しく戦いませんか?」
冷ややかに浮かべられた笑みは、こちらの魂を食らう死神の如く。
青白い顔が、月明かりに照らされて不気味に光っていた。
「……断る」
「あれ? 女の子と見れば誰でも味方すると聞いたんですけど?」
どういう噂が広まっているのかは知らないが、まるで見境のない好色家みたいな風評だな。
以前似たようなことを言われたような気がするけど、そんなに女好きに見えるのか……?
「もし君が本当に困っていて、本当に俺の助けを必要としているのなら、俺は全力で君を助けるよ」
今までだってそうだった、心からの頼みなら断る理由なんてない、持てる最大限の力で助けるのみ。
けど。
「でもそうじゃないのなら、たとえ君みたいな美人が相手だって、戦う」
「うふっ、美人だなんて、嬉しいです」
軽く微笑んだ彼女の笑顔からは、相変わらず感情がまるで見えない。
本当は何を考えているのだろうか、もしかして、何も考えてはいないのだろうか。
「でも残念、断られちゃいましたから、今日は帰りますね」
「待て!」
まるで霧が貼れるように、姿が次第に薄れていく。
以前と同じように、転移魔法で逃げるつもりなのだろう。
「私に会いたければ、ドの国まで来て下さい。 そこに、貴方の欲しい物もありますから」
彼女が消える直前に告げた言葉。
それは、新たな戦いの先触れだった。