第八十一話 進むべき道は
真新しく整備された通りのあちこちには露店が並び、がやがやと様々な話し声が聞こえる。
殆ど知識が無い状態での買い物は少し不安だが、思い切って屋台で串に刺さった焼き鳥のようなものを買ってみた。
タレの味が良く染みているのか、旨みがあって美味しい。
「ご主人、ボクにも!」
「ちゃんと二つ買ったから、がっつくなって」
もう一本の串を受け取った相棒は、口一杯にそれを頬張って喜んでいる。
砦の戦いから一週間程が過ぎ、取り合えずは平穏な時間が流れていた。
ドの国はこちらにカムロ・アマチ以外にも相当な腕の使い手がいると認識したらしく、無理に攻め入るより今は国境の守りを固める事に徹したようだ。
一先は大掛かりな戦の気配が去り、この街にもかつての賑わいが戻っていた。
心なしか通りを歩く人々の顔にも活気があるように見えるのは、気のせいではないだろう。
通りを暫く歩いて、街の中心にある大きな建物へと着いた。
この街の方針等を話し合う会議場の役割を担う為に新しく建設されたここは、それの役目に相応しい威容を備えた佇まいをしていた。
ハの字型をした屋根は鮮やかな紅いろの瓦で飾り付けられ、殆ど汚れの無い真っ白な壁からは、新築独特の妙に印象に残る匂いが漂う。
今日はここで重要な話があるようで、イスクから呼び出されていたのだ。
「イスク、話って……」
「よく来てくれたな、カムロ」
重厚な扉を押し入ったそこにはイスクだけでなく、それぞれ正装姿の男女が十数人、円卓を囲んでずらりと座っていた。
こんな大勢に迎えられるとは思わなかったので、少し緊張する。
「ここに集まったのは、かつてグやモの国で重要な地位に着いていた者達。 そして、新たに安住の地を求めてこの場所を訪れた者達だ」
戦乱は、共和国全土に吹き荒れていた。
イスク達だけでなく、各地で同様にそれまでの居場所を失った者達が現れていたのだ。
寄る辺を求めてドの国等の大国に流れ込んだ者もいたが、新天地を探してここのような全く新しい場所へやって来る者も、少なくなかった。
「ここ最近は、我らも随分落ち着いた暮らしが送れるようになった」
この場に並んでいる顔ぶれも様々で、いかに様々な場所から集まってきたかが分かる。
肌や髪色の違いに留まらず、服装や身に付けているものには色々な類が存在していて、臆面もなく見回しそうになる。
「今後のことを考えれば、ただ身を寄せ合う集まりではなく、我らも一つの国として纏まるべきではないかと思うのだ」
考えてみれば、今まで俺達はただその日を生き抜く為に互いに助けあっていただけだった。
これだけ様々な人達が集まったのなら、最早国としての単位の方が相応しいだろう。
「で、カムロ、お前に頼みがある」
イスクは彼らの言葉を引き継ぐように、こちらを真っ直ぐ見つめて言った。
「オレ達を率いて欲しい」
「え?」
イスク達の中心に立ち、皆を纏めて、これから先へ導いていく存在になる。
それはまるで……
「それって、王様って事か!?」
「平たく言えば、そうなるな」
つまり、この人達の頂点に立てということか?
言葉一文字一文字を反芻して再確認しても、それ以外の意味は思い付かなかった。
「いやいやいやいや、ちょっと待ってくれよ!」
余りに予想外の展開で、脳内の思考が追いつかない。
「お、俺が王様だなんて、分不相応にも程があるだろ。 グの国かモの国の王族に生き残りはいないのか?」
普通であれば、王様なんて地位にはそれに見合った条件を持つ者が付く筈だ。
「戦乱によって、国を治めるに相応しい血の濃さの者達は殆どが命を落としていてな」
「……その基準で言えば、俺には何の後ろ盾も無い」
あの事件で前世の記憶と、かつて使っていたデッキを手に入れるまで、俺はただの学生でしかなかった。
少なくとも、王だの皇帝だのと関わり合いのある血筋ではない。
「確かにそうだ、お前には家柄も血筋も無い。 だが、明らかに他の者とは違う者を持っている」
イスクが告げたその答えに続いて、誰からとも無く言葉が続く。
「力だ」
髭面をした武将風の男が。
「この戦乱の世において、最も重視されるべきは何の役にも立たない名前ではない」
大仰な帽子を被った理知的な女性が。
「皆の先頭に立ち、皆を率いて戦う力」
皆口々に、俺にはその力があると駆り立てる。
イスク達が欲しているのは、何も行政についてあれこれ支持する統制者というわけではなく、皆の先頭に立って戦うあくまで象徴としての指導者。
これまで凄まじい活躍を見せた俺ならば、その役目に相応しいと考えたらしい。
「確かに、俺に戦う力はある。 けど……」
人の上に立てば、今までのようにただ戦うという訳にはいかない。
大勢の人の命に対して、責任を負うことになるだろう。
「今すぐ決めてくれとは言わない、じっくり考えてくれないか」
こちらが悩んでいるのを察したのか、イスクは優しげな表情になってそう告げた。
「……分かった」
今の俺には、ただ頷くことしか出来なかった。
※
夕日が差す大通りをとぼとぼ歩いて家に帰り、おおよそ六畳間の屋内に明かりを灯す。
蝋燭のぼんやりした照明の中で、敷きっぱなしの寝床に無造作に寝転んだ。
さっき王様に誘われた奴の家にしては随分庶民的だけど、落ち着かない豪華な家よりもこっちのほうが性に合っている。
「ご主人は、王様になりたくないの?」
と、いつの間にか布団に潜り込んでいた相棒が話しかけて来た。
「俺にそんな大それた事が出来るとは思えないんだ」
ああまで俺の力を認め、求めてくれるのは嬉しい。
けど、皆の上に立って導くなんて、流石に無理じゃないのか。
そもそも、偉くなってふんぞりかえるなんて柄じゃないし。
このまま一人気ままに戦っていた方が、気楽で性に合っている。
「でも、エリスとかはご主人とそんなに歳が変わらないのに王様してたよ?」
確かに、エリスやミルドは歳若いながらも王として十分に働いていた。
まだまだ至らない所は有るかもしれないけど、少なくとも俺から見れば立派な王だった。
「エリス達は、親がそういう血筋だったしさ」
「そういう血筋じゃなかったら、王様になっちゃいけないの?」
「それは……」
何気ない一言で正鵠を射られて、思わず口ごもってしまう。
相棒の言う通りだ、別にやんごとなき血筋でなければ王様になっちゃいけないなんて決まりは無い。
「相棒は、俺に王様になって欲しいのか?」
「そういう訳じゃないけど……そっちの方が面白いかなって」
「面白い、か」
そんなふうに考えてもみなかった。
確かに、王様になるなんて普通じゃとてもできない経験で、やろうと思って出来るものでもない。
生まれ変わってから、こっちの世界で色々な事を味わってきた。
そもそも一度死んだ身で、今更何か躊躇することがあるだろうか?
と、窓の外から、絹を引き裂くような悲鳴と共に、何かが崩れるような大きな衝撃音が響き渡った。
尋常ではないその現象に、思索が勢い良く打ち切られる。
突然の出来事で何が何やら分からないが、大事が起こった事だけは分かる。
もしや、またドの国が襲撃を掛けて来たのか。
「ご主人!」
「迷ってる場合じゃない、か!」
相棒に急き立てられ、寝床から飛び起きた。
答えの出ない問題を考えて、ここでうだうだしてても始まらない。
とにかく今は、自分に出来る事をするだけだ。
そう気持ちを切り替えて家の外に出ると、待っていたのは凄まじい混乱。
大通りを埋め尽くした多くの人々が右往左往し、必死で何かから逃れようとしている。
人々が逃げてきた方向を見ると、そこに広がっていた光景は。
――黒い霧が、全てを飲み込んでいた。