第八十話 吹き荒れる漆黒の狂飆
ドの国の軍勢が去った後、俺達は誰も居なくなった平原を眺めていた。
「ごめんな、何か変な感じになっちゃって」
視界を埋め尽くす程いたあの軍勢が居なくなり、今は元の長閑な草原が広がっている。
余程慌てて撤退したのか、予備の食料や武具がそのまま残されていた。
「いや、遠からず奴らとはああなっていただろう」
ドの国の方向を見つめたまま、穏やかに話すイスク。
余り動揺していないように見えるのは、こうなることを予想していたからなのだろう。
「これからどうなると思う?」
「恐らくは、戦いになる」
「やっぱりか……」
この場は丸く収まったが、あの様子からして今すぐにでも戦いが始まってもおかしくない。
恐らくドの国としては、敗残兵等武力で脅せば直ぐに自分達の勢力に取り込めると考えていたのだろう。
もし無謀に歯向かってきたとしても兵力差は圧倒的で、戦いと呼べる戦いすら起こらないと。
「にしても驚いたぞ、お前がドの国に名を知られていたとは」
「ああ、俺も驚いてる」
以前マキヤさんに俺が有名だと聞かされた事があったが、まさか共和国にまで名前を知られているとは。
自分が思っているよりも、起こした行動の影響は大きかったのかもしれない。
と、そこで頭の中に、一つ思い付きが生まれた。
「イスク、貸して欲しいものがあるんだ」
思い付いた作戦の要点を纏めてイスクに伝える。
「別に構わんが……何故?」
こちらの頼みを聞いて、不思議そうに首を傾げるイスク。
「少し、思いついたことがあって」
ドの国の将軍達は、こちらの名前を聞いただけであそこまでの反応を見せた。
ということは、名前だけでなく実力についてもある程度知っているのだろう。
こちらの実力を十分警戒して、相当数の戦力を持って対抗するつもりに違いない。
なら、それを逆手に取れれば……
※
カムロ達が一時的な居住地としている場所から程近い荒野に、古びた堅牢な要塞が建てられていた。
その周囲は整地され、兵士たちが集う天幕が規則的に幾つも並べられている。
ここはかつてモの国がドの国に対して構築した要塞だったが、モの国崩壊に伴って放置されていた。
そこをドの国は新たな拠点にし、モの国攻略に向け着々と戦力を整えていたのだ。
夜半の静かで冷ややかな風が、軽く頬を撫でていく。
こうして馬に乗って風を感じていると、ここが戦場であることを忘れそうになるな。
「イスク様、本当に大丈夫なのですか?」
手勢は僅か数人、この兵力で取手に攻め入るなど、普通に考えれば自殺行為だろう。
だが、今はその無謀な作戦に賭けるしかない状況だった。
ここで奴らの出鼻を挫けなければ、いずれ圧倒的な軍勢で我らの元にドの国の軍勢が押し寄せるのは目に見えている。
「大丈夫だ……オレは、カムロを信じる」
と、俄に要塞の中が慌ただしくなり始めた。
「敵が現れたぞ!」
「例の召喚士か!?」
「いや、鎧の男が一人で……」
口々に内容の定かでない事を喚きながら、右往左往するだけの敵兵達。
明らかに統制は乱れ、起きた出来事に動揺しているのがはっきりと分かった。
「やってくれたか、カムロ!」
その光景を目にして、作戦の成功を確信する。
どうやらカムロの方は上手く行ったらしい。
今度は、オレ達の番だ。
「行くぞ、今こそ勝機!」
号令と共に高らかに長槍を突き上げ、一気に敵陣へ突進する。
混乱するばかりの敵兵に、我らの勢いを止められる訳もなく。
有象無象を蹴散らして、目的地である要塞の最上階へと特に手間取ることもなく到達出来ていた。
「我が名はガラーシャル・イスク! グの国の戦士として、貴公らに戦いを挑む!」
名乗りを上げて部屋に飛び込めば、目の前には予想通り、豪華な装束に身を包み鷹揚に椅子に座る男が。
この男が恐らくは、この部隊を率いるドの国の将軍だろう。
「馬鹿な、召喚士以外には有象無象しかおらんのではないのか!」
動揺した言葉を叫び、我先に部屋の出口へ逃げようとする武将。
「将軍!?」
その見苦しい様子に、側に控えていた側近と思しき者達が狼狽える。
我らを脅かす敵がこの様な情けない者だったとは、本来は喜ぶべきことだろうに、少し物足りない気分になる。
「ぜ、全軍撤退だ! 撤退を――」
「覚悟!」
撤退の言葉を言い終わる前に、振るわれた長槍によって将軍の首は体から切り飛ばされていた。
※
着慣れない鎧がぎしぎしと軋みを上げる中で、次々と襲い掛かる兵士達と戦う。
右手に握った黒剣はこちらの意思とは関係なく動き、突き、払い、薙いでいく。
あっちは上手くやってるかな……
敵がこちらの存在を認識し、その上で作戦を立てているのなら、召喚士以外の障害は想定していないはず。
元々イスク達を敗残兵の群れとしか認識されていなかったのなら、尚更だろう。
こうやって鎧に身を包んだ騎士が暴れまわれば、敵は未知の存在に動揺して混乱するに違いない。
その隙を突いて、イスクが一気に敵将を倒せば……
「頼んだぞ、導冥誘終刃!」
剣型の召喚獣にして、持つだけで全てを切り裂く力を与えてくれる黒い大剣。
全く武術の心得がない俺が大軍と戦えていたのも、この剣のお陰だ。
「救世断撃!」
技名を叫びながら剣を振り切れば、周囲数mに衝撃波が奔り、押し寄せていた敵兵が吹き飛ばされる。
と、握っていた黒剣が、鈍い光で点滅し始めた。
そうだ、確かこの剣には……
「召喚されてからこの魔物が三ターン以上場に存在した事により、覚醒条件成立!」
この剣は、多くの敵を打ち倒すことにより、更なる力を得ることが出来たのだ。
他の魔物を呼び出せないこの状況で、それは渡りに船と言えた。
「哮れ、絶鋭の顎! 八虐に剿滅の裁きを!」
祝詞が唱えられ、黒剣がその漆黒の輝きを増していく。
「覚醒召喚、クラス10、終極無限刃!」
新たに右手に握られたのは、元より更に巨大化し、最早こちらの身長を超える程の大きさを持った漆黒の大剣。
手に持っているだけで禍々しい闘気を発し、全く刀身が振るわれていないにも関わらず、伺うようにこちらを取り囲んでいた兵士達が次々と意識を失っていく。
これで戦意を失ってくれれれば有り難かったのだが、まだ数百人単位で残った敵兵達はこちらへの攻撃の手を緩める気はないようで。
一定の距離を保ったまま、次々と矢や魔力の礫が殺到する。
黒剣はそれらに自動的に対処し、刀身から発された瘴気が物理的な障壁となって全ての攻撃を防いでいた。
このままでもこちらに害はないが、これでは事態が進まない。
「恨むなよ……!」
ゴゴの国の連中と違って、彼らは自分が望んで戦っている訳ではない只の兵士だ。
ドの国の命令に従っているだけの彼らを、出来るだけ傷付けたくはなかった。
でも、被害を抑える為には、敢えて派手にこちらの力を見せつけるしかないのかもしれない。
一瞬の躊躇の後、覚悟を決めて黒剣を握り直した。
「救世乖離斬!」
全方位に発された黒い衝撃波が、全てを覆い流す暴風となって敵兵達を襲う。
その黒い風が去った後に、動くものは何も残されていなかった。