第七十六話 月下の歌姫
分けてもらった食料で軽く腹ごしらえを済ませれば、既に丸い月が夜空に浮かぶ時分になっていた。
余っていたテントの一つを貸してもらった仮住まいで、相棒と共に慣れない寝床に転がる。
「これからどうするの?」
伏せた状態で体を半分程寄り掛からせた相棒を抱き寄せ、温かい鼓動を感じながらこれからについて話す。
「取り敢えずは、シィル達と一緒に行こうと思う」
「いいの、襲われたのに?」
少し不満げに顔を膨らませる相棒の頭を軽く撫でる、むず痒そうに軽く首を振るのが微笑ましかった。
まるで小型犬みたいだ、なんて言ったら怒るだろうか?
「あれは誤解だったみたいだし、一宿一飯の恩もある。 それに、気になる事もあるからさ」
「グの国を滅ぼしたっていう、アレ?」
「ああ、時期と力の強さから考えると、恐らく……」
行き当たりばったりで旅を続けていて、全く手掛かりもない所に突然差し込んだ光明だ、ここで逃す手はない。
例えそうでなかったとしても、困っているシィル達をこのまま見過ごすのは忍びなかった。
「まあ、ご主人がそれでいいなら良いけど」
「けど?」
指で体に軽く触れて円を描き、何か言いたげな表情をする相棒に問いかける。
「相変わらず、ご主人は綺麗な女の子に甘いよねぇ……」
皮肉そうに目を細め、少しからかうような口調で呟く相棒。
確かにそう言われればそうだが、あんまりと言えばあんまりな言い草に何か言い返そうと思った、その時。
「これって……?」
鼓膜の奥に、微かな旋律が聞こえた、気がした。
とても小さくてか細いそれは、何故だか心の奥を掴んで話さなかった。
「悪い!」
「ちょっ、ご主人!?」
驚く相棒を尻目に、テントを出て音の聞こえた方へ。
「シィル……だよな」
暫く歩いて辿り着いたのは、村の外れに広がる空き地。
一面に広がる草原が、月明かりに照らされてぼんやりと光っていた。
その中心、自然に土が盛り上がって少しだけ周りより小高くなった場所で、シィルはただ歌を唄っていた。
全く聞き覚えのない曲調や歌詞にも関わらず、その歌は何故か懐かしい気持ちを思い出させるようだった。
シィルの紡ぐ穏やかな歌唱が、この場所全体を優しく包み込んでいるような感覚を覚える。
まるで一つの絵画のような幻想的な光景に、思わず身を隠すことも忘れて見入っていた。
「!? 誰ですか!」
その結果は当然の帰結とも言える。
遮蔽物の無い場所にただ突っ立っていれば、見つけてくれと言わんばかりだ。
「あ、いや……覗くつもりは無かったんだけど……」
驚愕と敵意を込めた視線で睨みつけるシィルに、両手を上げ敵意がない事を示しつつどうにか弁解する。
「……貴方は」
俺の姿を捉えたシィルは、意外そうに目を見開いていた。
※
草原の片隅、草が生えずに少しだけ土が顕になった場所で、シィルと二人座り込む。
見上げれば、丁度真円の月が、雲の間から顔をのぞかせていた。
「ほんとゴメン、つい聞き惚れちゃってさ」
「いえ、怒っている訳ではないのですが」
確かにその言葉通り、シィルの声から怒気は感じ取れなかった。
「その……他人に歌を聞かせた経験が無いので……」
「意外だな、あんなに綺麗な歌なのに」
あれだけ上手な歌を唄えるのに、なんだかもったいないな。
もっと娯楽が栄えていた前世の世界だったら、アイドルか歌手としてデビューしていても可笑しくない腕前だった。
「本当にそう思いますか?」
自信無さげにこちらを向くシィルに、少し熱っぽくなった口調で続ける。
「正直音楽に関しては全くの素人だから、技能的な事は良く分からない。 けど、直感的に分かったよ、これは良い歌だって」
正直に言えば、曲調だけでなく、恐らく地元の言葉であろう歌詞の内容もさっぱり理解出来なかった。
それでも何故か、シィルの歌には惹き付けられるものがあった。
「なんていうか……水面に浮かぶ綺麗な月が、自然に頭に浮かんできたんだ」
どうしてそんな光景が思い浮かんだのか、自分でも良く分からない。
本当にただなんとなく、夜半の静かな湖に浮かぶ真ん丸い満月が、頭の中に浮かんで来たのだ。
「……そう、ですか」
俺の受けた印象が正鵠を得ていたのか、それとも全くの的外れだったのかは分からない。
シィルは、それに答えること無くゆっくりと俯いただけだった。
「シィル達は、何処へ向かってるんだ?」
慣れない話をして少し重たくなった空気を変えようと、別の話題を振ってみる。
「今の所は、モの国へ行こうかと」
モの国なら俺も知っている、確か共和国の中でもそこそこ大きな勢力を持っている国で、共和国内では穏健派として知られていた筈。
「元々私達グの国と親しかった国ですし、今の窮状を知ればきっと何らかの援助を差し延べてくれる筈です」
取り敢えずは隣国のモまで辿り着き、そこでグの国の生き残りを集う所から始めるとの事。
「そう言えば、共和国全体の状況ってどうなってるんだっけ」
ここまで聞いて、俺が共和国についてさっぱり知らないままだったことに今更気が付く。
マキヤさんからある程度の情報は得ていたが、あくまで表面的なそれでしかない。
「私も、大まかな事しか分かりませんが……」
「それで大丈夫、教えてくれる?」
自信無さげに話しだすシィルに、元気付けるように敢えて明るく答えた。
実際に共和国の中で暮らしていたシィルなら、少なくとも俺よりは知っていることがあるだろうし。
「帝国が現在のミルド皇帝になってから、他国と融和路線を取るようになった事はご存知ですか」
「ああ、それは俺も知ってるよ」
知ってるどころか間直でミルドが皇帝になるまでを見届けたのだが、流石に自分が当事者で関わっていたとは言えず、適当に頷くのみ。
こうして遠く離れた地でも帝国の情勢が話題に昇り、自分が関わった出来事の大きさに今更ながら驚く。
「確かそれで、共和国内部での勢力争いが激しくなったんだっけ」
「ええ……元々共和国と言う集まりも、急激に膨張する帝国への対抗手段という側面がありましたから」
あのまま帝国が戦火を広げていけば、いずれは共和国のみならず大陸全てを巻き込んだ大戦になっていたのかもしれない。
だけど、それを防いだ事がまた新たな争いを生むことになるとは、皮肉めいたものを感じてしまうな。
「共通の敵が無くなった事により、各国に顕在していた軋轢が表面化。 それらは争いの火種となって、共和国全土で一斉に戦いが始まろうとしていました」
そこまで話してから、シィルは一旦言葉を切り、思い返すように目を閉じて空を見上げた。
「私達グの国も戦に備えて軍備を整え始めた、その最中でした。 あの魔獣が都を焼き払ったのは」
「それって、どこかの国が召喚獣を使って攻めてきたって事?」
シィルの話からすれば、グの国でいち早く戦端が開かれたという結論に至りそうだが……
「分かりません、私が見たのは街を襲う魔物の姿だけでしたから。 あれは、占領する為の制圧などではありませんでした。 それこそ塵一つ残さず街の全てを消し去るような、苛烈で容赦の無い攻撃でした」
苛烈で容赦の無い攻撃と、為す術もなく消えていく命。
それはかつて俺が見た、あの地獄と同じ――
「……っ」
「アマチさん?」
「大丈夫、何でもないから」
顔に動揺が浮かんでいたのだろうか、心配そうなシィルに顔を覗きこまれていた。
慌てて首を振り、大丈夫だと取り成す。
まだ忘れられないなんて、意外に女々しい自分の気持ちが少し嫌になる。
「例えどんな目的があったにせよ、何故あのような行為が出来るのか、私には理解出来ません」
「俺も……そう思うよ」
激しい怒りを秘めたシィルの言葉に、俺は静かに頷くことしか出来なかった。