第七十五話 亡国の草原
「……っ!」
一瞬の衝撃の後、目を覚ました俺が倒れていたのは、見知らぬ草原だった。
時の頃は夕刻、半分程沈みかけた日に照らされて、丁度膝の高さくらいに生え揃った細い草達が赤く染まっていた。
「ご主人、ここは一体……?」
同様に倒れていた相棒を起こしてみたものの、さっぱり状況が把握出来ない。
つい先程までいた原生林とは明らかに違っていて、あっちに行く前にいた砂漠とも違う。
「取り敢えず、周りを探索してみるか」
このまま立ち止まっていても仕方がない。
そう判断し、適当に方向を決めて歩き出す。
暫く歩くと、遠くの方から何事か話し声が聞こえてきた。
村か街があるのなら、何か情報が得られるかもしれない。
小走りで音の聞こえた方に向かえば、そこには。
木で作られた柵に囲まれ、簡素なテントが並ぶ村の入り口で、武器を持った男達が何事か言い争っている。
よく見れば、村を護るように立つ一人の女性を、十数人の男達が取り囲んでいるようだった。
女性の方はかなりの長身で、荘厳な中華風の鎧と長く太い槍が見事に似合っており、遠目から見れば精強な武人にしか見えない。
丹精な顔立ちと、長い黒髪を頭の後ろで無造作に纏めた髪型、何より鎧の隙間から覗く強烈に主張する胸部が、彼女が女性であることを物語っていた。
「たった一人に男が寄って集って、情けないな」
その光景を確認した瞬間、無意識に女性と男たちの間に割り込んでいた。
「あ……!?」
突如現れた乱入者に、一瞬その場の時が止まる。
勢いで飛び込んでみたが、ここからどうすべきだろうか、流石に生身の相手に召喚獣を使うのは避けたい所だけど……
そう考えていた所、痺れを切らしたのか男達の先頭に立つ一際厳つい髭面の男が叫んだ。
「何だこいつ、やっちまえ!」
男が手で指示を出すと、荒々しい外見の男達は一斉にこちらへ武器を向け襲い掛かってきた。
どうやら考えている場合では無いらしい。
怪我をしても、恨むなよ……
「俺のターン、ドロー!」
勢い良く札を引き、その中から一枚を取り出して構える。
「手札の魔法、物質合成を発動! 三体の炎属性魔物を素材に、新たな魔物を呼び出す!」
口上を唱えると同時に、空中に三枚の札が浮かび上がり、三角形の魔法陣を形作る。
「紅蓮の大神よ、古より燃え盛る炎を以て、末世を照らす篝火となれ!」
それらは朱い光を伴って激しく輝き出し、魔法陣の中で一つの形に溶け合っていく。
「召喚! クラス8、熱将烈覇 エンシェント・アグニ!」
光が頂点に達した時、魔法陣の中央に新しい札が創り出されていた。
その札を握り、同時に現れた双頭の火蜥蜴に指示を出す。
「劫火紅蓮炎熱……」
「召喚士!? くそっ、聞いてねぇぞ!」
しかし、火蜥蜴が攻撃を始める前に、男達は一目散に退散してしまった。
少し拍子抜けだが、無駄に戦わずに済んだと思えばまあいいか。
「ええと、大丈夫ですか?」
人心地付き、先程から変わらず立っていた女性に話し掛ける。
しかし槍を持った黒髪の女性は、全く緊張を解かずにこちらへ詰め寄ってきたではないか。
「貴様、召喚士か!?」
「あ、はい、そうですけど」
女性の凄まじい剣幕に多少気圧されつつ答える。
次の瞬間、女性は一言も発さずに、構えていた槍を勢い良く振り下ろしていた。
「ちょっ、待っ!?」
咄嗟に飛びのいて避け、直撃は逸れたものの、巻き起こった風圧で体が吹き飛ばされる。
まともに食らっていれば、俺の細い体など一撃で両断されていただろう。
「問答無用!」
尻餅を着きながら握っていた手札を見れば、幾つか召喚可能な魔物がいたものの、いずれもクラスは8以上。
駄目だ、こいつらじゃ威力が有り過ぎる。
彼女が何故急激な敵意を見せたのかは分からないが、事を不用意に荒立てるのは不味い。
さっき撃退した男達と違って、こちらはまだ話し合いが出来そうだし。
「覚悟! なっ!?」
こちらを庇うように飛び出して次の一撃を受け止めたのは、召喚したままだった火蜥蜴。
硬い鱗に阻まれ、叩き付けられた槍の穂先が弾け飛ぶ。
「くっ……! まだまだ!」
未だ戦意の衰えぬ女性が懐から取り出した短刀を振るう、そして火蜥蜴は、その巨大な爪を振りかざして半自動的に反撃を――
「駄目だ!」「止めて下さい!」
こちらが火蜥蜴に静止を掛けたのと、女性の背後から声が響いたのは、ほぼ同時だった。
「シィル……何故止める!?」
「見れば分かります、その方は私達を助けてくれました」
年の頃は俺と同じくらいだろうか、色素の薄い髪に柔和そうな顔立ち、吸い込まれそうな群青の瞳が印象的な少女だった。
服装は落ち着いた色彩の清楚なものだったが、どことなく前世で見た遊牧民の服装に似ている気がする。
「しかしこいつは!」
「あの方がその気になれば、既に姉様は死んでいてもおかしくなかったのですよ!」
シィルと呼ばれた少女は、可愛らしい外見に似合わない激昂した声で告げる。
「な……!?」
その言葉に、黒髪の女性は唖然とした様子で立ち尽くしていた。
※
案内されたテントの中は意外に広く、家財道具などを置いても十分に空間が有るようだった。
浅い知識しかないが、彼らのような遊牧民は、こういった形のすぐに移動可能な家に居住していると聞く。
「恩人に対して無礼な振る舞い、誠に申し訳ありませんでした」
中央の炉を囲んで腰を下ろすと、まずシィルが深々と頭を下げて来た。
「いや……気にしてない、と言ったら嘘になるけど」
助けに入った筈が行き成り襲い掛かられたのだ、流石に良い印象は持てない。
「姉様も、頭を下げてください」
「……ふん」
姉の方はまだこちらに対して不信感を持っているらしい。
さっきの会話からして、召喚士と何かあったのだろうか?
「あの、お名前は?」
「俺はカムロ、それでこっちが」
「相棒だよ!」
こちらが発言する前に、元気良く答える相棒。
「ええと、相棒……様ですか?」
相棒という名前に、シィルは少し戸惑っているようだった。
「本当はもっとちゃんとした名前があるんだけど、本人が」
「あれは長ったらしいし、可愛くないもん」
まあ、女の子の名前に暴君の大災害龍は無いよなぁ……
「は、はぁ」
困惑しながらも頷いたシィルは姿勢を整え、こちらへ向き直る。
「私はシィル、そして」
「……イスクだ」
礼儀正しく名乗るシィルと、相変わらず無愛想に答えるイスク。
長身痩躯で如何にも武人風のイスクと、小柄で可愛らしいシィル。
こうしてまじまじと見ると余計に実感出来るが、外見も性格も全く似ていない姉妹だな。
「えっと、色々聞きたい事があるんだけど、いいかな?」
「はい、何でも仰ってください」
未だ憮然とした様子のイスクが気になるが、取り敢えず話は出来そうだ。
「じゃあまず、ここはどの辺りなのかな?」
「ご存じ無いのですか?」
驚くシィルと、無言でこちらを睨むイスク。
いくら旅人とは言えど、現在地を全く知らないのは流石に不審がられるか。
「ああ、いや、色々あってさ……」
本当の事を言う訳にも行かず、適当に言葉を濁すしか出来なかった。
「ここは共和国の東部、かつてグの国と呼ばれていた場所です」
頭の中に地図が浮かべてみる、確か俺達が飛ばされた遺跡は、共和国の西部に位置していた筈。
グの国について詳しくは知らないが、共和国東部に位置し、丁度大陸の東端だったような。
どうやらこちらの世界に戻ってこれたようだけど、元いた場所からはかなりの距離があるな。
「かつて、って事は……」
「……ええ、既にグの国は滅びました」
「オレ達の国を滅ぼした召喚術士の分際で何を!」
と、激昂した様子でイスクが話に割り込んできた。
「滅ぼした? サモニスの召喚士が?」
「サモニスとやらは知らんが、オレは確かに見た、国を焼き払い跡形も無く消し去った異形の魔物と、それを操る召喚士の姿を」
話によれば、その魔物はたった一匹で国中を蹂躙し、元々はグの武将だったイスクを含め、誰一人として敵うものはいなかったという。
イスクやシィルは、辛うじて生き残った国民とこの草原に避難しているとの事だった。
グの国は完全に崩壊しており、かつての国土では先程追い払った野党の類が好き勝手に跳梁跋扈しているらしい。
「その魔物って、どんな奴だった?」
「あの時は皆混乱していて、詳しくまでは覚えていません。 ですが、とても大きく恐ろしい魔物だったことは確かです」
「何度か傭兵召喚士の操る魔物を見たことがあった。 しかし、あれ程悍ましく強大な奴は記憶に無い」
そこまで聞いて、俺の頭にある存在が思い浮かぶ。
たった一匹で戦況を変えうる程の圧倒的な力を持つ魔物、もしやそれは、サモニス城地下から奪われた伝説の召喚獣ではないかと。