第七十三話 出会いは別れの顕れ
ドワーフの村から所要時間は大体二、三時間程、穏やかな木漏れ日が差す森の中を暫く歩けば、エルフ族の里に辿り着く。
幸い道中魔物に出くわす事も無く、時折森の中を眺める余裕すらあった。
ここ最近の魔物騒ぎの原因を退治したことで、この森にも平穏が戻ったのだろう。
あの戦いからおよそ一週間が過ぎ、ドワーフエルフ双方共に、それなりの落ち着きを見せていた。
未だに互いの偏見こそ消えてはいないものの、今回の一件が計らずしも相互理解を進める切っ掛けとなったようだ。
こうやってドワーフ族であるアリムがエルフの里を訪れる事が出来ているのも、その表れだろう。
「こんにちわー」
「貴公がカムロ殿、隣がマキヤ殿だったな」
里の入り口で出迎えてくれたのは、銀の髪に褐色肌、長い耳が特徴的な美しいエルフ族の女性。
この人が、相棒達を助けてくれたディーレットというエルフ族らしい。
「そして……貴方が?」
「わしの事を、覚えておられだろうか」
おずおずと俺の背後から進み出て、ディーレットさんを見つめ話し掛けるアリム。
その顔は緊張に強ばっていたけれど、同時に確かな喜びも交じり合っていた。
驚いた事に、アリムがかつて助けられたというエルフ族の女性は、なんとディーレットさんその人であった。
ディーレットさんは昔から里の周りを見回る役職だったらしく、その時に迷っていたアリムを見つけたそうだ。
今回相棒達と遭遇したのもその見回りの最中だったそうだから、なんだか奇妙な縁を感じてしまうな。
ディーレット邸に入ってからは、レラやスアレ達と久しぶりの会話に。
積もる話は数あれど、こちらの脳内は心ここにあらずというか、話すどころではなかった。
というのも……
「何はともあれ、カムロくんが無事で本当に安心したよ」
「あ、ああ」
隣に座るレラは、時折腕を組んだり肩に触れながら、とても楽しそうに話している。
喜んでくれるのは嬉しいのだが、さっきから距離が近いような。
腕を組んだ時に時偶柔らかい感触があり、色々心臓に悪い。
「隊長、お茶が入りましたよ」
「ありがと……うっ!?」
お茶を持ってきたマキヤさんは、丁度レラと反対側の隣に腰掛けた。
心なしか椅子が近いというか、今明らかに位置を調整していたような。
清潔感のある爽やかな香りが鼻をくすぐり、艶やかで長い髪が丁度頬に触れて、面映い。
「ええと、二人とも何かあったのかな」
「別になんでもないよ」「何もありませんが」
妙に息の合った返答をして、二人はそのままの位置に座り続けていた。
レラがこうやってからかって来るのは何時もの事だけど、マキヤさんまでどうしたんだろう?
今日は機嫌が悪いんだろうか。
「旦那様、肩などこっていませんか?」
と、何時の間に移動していたのか、スアレが丁度背後に立っていた。
香水を付けている訳でもなかろうに、花のような甘い香りが漂って来る。
「いや、別に……」
「そうですか、スアレに任せて下さい!」
断ったつもりだったのだが、スアレはこちらの返事に食い気味で答えると、そのまま勢い良く覆い被さったではないか。
「上から……!?」
一瞬の出来事で避ける間も無く、顔は柔らかくて丸い二つの物体に挟まれていた。
頭上から押し付けられるふくよかな双丘、心地よい弾力を持つそれに、全く抵抗出来ずされるがままになってしまう。
圧迫感や息苦しさや前が見えない不安感より、このまま包まれていたい気持ちが勝るとは、恐るべしスアレ。
「ふふふ、久しぶりの旦那様です!」
「ご主人のバカ……」
そんな恥ずかしいやら嬉しいやらしっちゃかめっちゃかな気持ちの中で、相棒が呆れたように呟いていた。
おかしい、俺に落ち度は無かった筈だ……
※
スアレが作ってくれた食事を終え、ディーレット邸のテラスで一休み。
青々と生い茂った森の中で、翠に光る神秘的な結晶の輝きを見ていると、なんだか心が落ち着いてくる。
と、背後に近付く気配を感じて振り向けば、そこにはディーレットさんと話を終えたらしきアリムの姿が。
「今回の件、お主には本当に感謝しておる」
心に溜まっていたものが無くなったからか、どことなく晴れやかな顔で話すアリム。
「いいって別に、当たり前の事をしただけだし」
「それで、じゃな」
そこで一旦言葉を切ったアリムは、こちらに向き直り真剣な表情で話し出した。
「原因が無くなった事で、恐らくわしらで手に負えんような魔物は出てこんようになるじゃろう。 じゃが、もしもと言う事もある、そんな時に戦えるものがおれば、皆もわしも安心出来ると思うのじゃが……」
その言葉に返答しようとするものの。
「あ、いやそれだけではなくてな」
早口で喋り続けるアリムに、口を開く時分を逃してしまう。
「その、ほんの少しの間じゃったが、家に誰かがいるというのはとても暖かかった。 多分あれをもっと大きくしたものが、家族の温もりというものなのじゃろうな」
目線を少し落とししみじみと語るアリム。
その顔はやはり可愛らしい少女のものにしか見えなくて、本当はかなり年上だということを忘れそうになる。
「……って、そんな事が言いたいのではないんじゃが」
一人で百面相を繰り返すアリムに、こちらが話し掛けようとした、その時。
「ああ、もう面倒じゃ! 頼むカムロ、お、お主さえ良ければなのじゃが、このまま村に留まってくれんか! 村の皆も、いや、わし自身が一番それを望んどるんじゃ!」
少し潤んだ瞳でこちらの眼をまっすぐに見つめ、そうはっきりと宣言したアリム。
心の何処かで予想はしていたのかもしれないけど、ここまで直接的に言われるとは思わなかった。
アリムの真摯な気持ちが、心の芯に伝わる。
けど……
「ごめん、俺にはやらなきゃいけない事があるから」
暫しの沈黙の後口から出た言葉は、その頼みを断るもの。
ここ最近の騒ぎですっかり忘れかけていたが、そもそも俺達はサモニスから盗まれた伝説の召喚札を取り戻す任務の途中であった。
もしそれが無かったとしても、やはりあの世界が、サモニスが、生まれ変わった俺の故郷であり、帰るべき場所なのだろう。
だとしても、アリムの気持ちを裏切ってしまったことは事実。
自分をここまで頼ってくれた人を裏切ってしまったと考えると、胸の奥がきりきりと痛む。
「そうか……いや、お主が気に病むことはないのじゃぞ」
「ありがとう、アリム」
黙ったまま余程申し訳無さそうな顔をしていたのか、アリムにそう元気づけられてしまっていた。
「ふ、礼を言うつもりが、いつの間にか逆になってしまったわい」
「はは、そうだね」
何だか可笑しくなってしまい、俺達は互いに笑い合っていた。
二人で並んでテラスの縁から景色を眺めつつ、話題は自然と俺達の去就について。
「何時ここを去るつもりなのじゃ?」
「まだ分からないけど、そんなに遠くの事じゃないと思う」
前々からあった推測が、スミレの話と蛭子の存在によって確信へと変わりつつあった。
スミレがここから帰る事が出来たのなら、恐らく俺達も……。
「そうか、その時は言ってくれ、村の皆で盛大に送り出してやろう」
「料理の数は程々にして欲しいけどね……」
思い出されるのは、歓迎会の際に出てきた明らかに許容範囲を超えた料理の数々。
「ふふ、善処しよう」
そう穏やかに笑ってくれるアリムに、心の中でもう一度感謝を告げていた。
※
その夜、ディーレット邸の一室に泊まることになった俺は、相棒と共に寝床に付いていた。
実用性重視で若干寝心地の悪かったドワーフ族のそれとは違い、エルフ族の寝具は羽毛のようにふかふかで、とても心地よいものだった。
「なぁ、相棒」
「どしたの、ご主人?」
同様に横になり、腰にしがみついてこちらを上目遣いで見つめる相棒。
ほんの一、二週間ぶりなのに、こうやって一緒に寝る事を随分久しぶりに感じてしまう。
「レラから聞いたよ、色々頑張ったんだってな」
「ふふーん、惚れ直した?」
「直した直した」
「ぶー、言い方が適当だよ!」
なんだか照れくさくて誤魔化してしまったけど、相棒の頑張りについて俺は、心から感心していた。
外見と言動からまるで歳の離れた妹のように思っていたけれど、思っていた以上にしっかりとした心を持っていたらしい。
「ねぇご主人」
「ん?」
と、不意に相棒は深刻な口調になり、こちらをくりくりとした瞳で見詰めながら。
「今回はギリギリ大丈夫だったけど、本当に寂しかったんだからね」
そうか細い声で告げた。
「ああ、俺もだよ」
「……だから、もう絶対、離れないでね」
恐らく、こちらが思っている以上に不安で、想像も出来ない程心細かったんだろうな。
その不安を解消するには、口先だけの言葉じゃまだ足りないよな。
「じゃあ、指きりでもするか」
「うん、するする!」
子供っぽい気もするけど、偶にはこういうのもあり、かな。
すっかり上機嫌になった相棒を見ていれば、そんな気持ちなんてすぐに吹き飛んでしまったし。
ゆっくりと、互いの気持ちを通い合わせるように、小指と小指を絡め合う。
「指きりげんまん」「嘘付いたらカード百枚のーますっ」
「「指きった!!」」
大きな声で口上を重ね、勢い良くその指を解いた。
「カード百枚って何だよ……」
勢いで指きったと言ってしまったが、相棒は針千本の所に妙な改変を加えていた。
針を飲むよりも妙に現実味があるというか、やろうと思えば出来ないでもない所が絶妙に嫌だな。
「へへー、ほんとに飲んでもらうからね!」
けど、久しぶりに見る相棒の眩しいまでの笑顔を見ていたら、抗議する気なんて無くなってしまった。
それを肯定とみなしたのか、更に上機嫌で満面の笑みを浮かべる相棒。
ただ笑い合う二人の声が、明かりの落ちた部屋に響いていた。