第七十話 巡り逢う者達
幾重にも重なった大きな足音を響かせて、我らは森の奥深くへと歩を進めた。
鬱蒼と葉を実らせた木々の、その隙間から僅かに漏れる光を確認しながら、一歩一歩慎重に進んで行く。
時折聞こえる森の獣達の声が、今はどこか不気味に感じられた。
「しかし、森の民と戦って大丈夫なんだろうか?」
「我らの持てる最高の武器と最高の戦士を揃えたのだ、負ける事は有り得ん」
おどおどした様子で問いかける同胞を、族長は自信に満ちた態度で励ましていた。
不安に思うのも無理は無い、今まで我らはずっと森の奥に入るべからずという掟を守ってきたのだから。
「それに、強き異邦の友人もおる」
「……出来るだけ、頑張ります」
そう肩を大きく叩かれて、カムロはどこか気遣わしげな様子で控えめに頷いていた。
心なしか、何時もより元気が無いように思える。
「やはりお主は同行せんほうが良かったのではないか?」
これはあくまで我らと森の民の問題、何の関係も無いカムロに助けを請うのは心苦しい。
「心配してくれてありがとう、でも、世話になったアリムや村の皆が戦うってのに、俺だけ何もしない訳にはいかないよ」
その気持ちはありがたい、ありがたいが、今まで十分カムロには骨を折って貰っている。
正直な所、まだ最初に会った時の礼すら十分に出来ていないと思っているのだが。
「勿論本音を言えば、俺だって戦いたくないけどね」
浮かない顔で最後にそう付け加えるのを聞き、自分の中の迷いが言い当てられたような気持ちになる。
「そうじゃのう……」
わし個人の思い出もあるが、それ以上に仲間が傷つく事を怖く感じていた。
生まれてこの方、戦らしい戦を経験したことのない我らが、こんな争いに身を投じるとは考えた事も無かった。
「……今回の件、何か違和感を感じます」
と、カムロの後方を歩いていたマキヤが、含みのある様子で急に突拍子も無い事を言い放った。
違和感とは何ぞや? という表情で顔を見合わせるわしとカムロ。
少しの沈黙の後、マキヤはおずおずと話し出した。
「済みません、まだ確かな事は言えませんが、何か……その……流れが綺麗過ぎる気がするのです」
「誰かが、裏で糸を引いているって事?」
カムロの問に、躊躇しながら続けるマキヤ。
「そこまでは分かりませんが、注意しておいた方が良いかと」
その言葉に何かざわつくものを感じ、何か言葉を発そうとした、その時。
「そこまでだ、土の民よ」
我らの前に、ローブを身にまとう痩身の男が現れた。
金の髪と髭を地面に付く程に長く伸ばし、特徴的な長く尖った耳を持つその男は、紛れも無く伝承されてきたあの者達だった。
「あれが森の民!?」「本当に存在していたのか……」
覚悟はしていたものの、実際に目の前に現れた森の民を前に、我らの間に少なからず動揺が広がる。
「そこから先は我らの聖なる土地、立ち入る事は許されぬ。 もし押し通るというのなら、我らは黙ってはいない」
よく見れば、男の背後にも我らと同じく多数の群衆の姿が確認出来る。
どうやら彼らも、ここでの戦いを想定しているらしい。
「我らも争いは望んでおらぬ、只、貴様達がやっている事を辞めさせに来ただけだ」
森の民の指導者らしきその男に、自然と族長が皆を代表して話し始めた。
「何を言っている? 森の民が土の民に触れた事など、この幾千年の間一度も無い」
「お前達が魔物を解き放ち、我らを滅ぼそうとけしかけたのだろう!」
「そんな事は知らない、それより貴様達こそ、森の恵みを汚し、災いを呼び覚ましたではないか!」
「言うに事欠いて出鱈目を!」
言葉を重ねる度に双方の勢いは激しさを増し、出会ってから数分で既に掴みかからんばかりの剣呑な雰囲気が漂う。
周りで見守っている群衆にも、言いようのないピリピリとした空気が流れていた。
やはり、争いは避けられ無いのか……
不意にカムロを見れば、顎に手を当て、何かを深く考えこんでいるようだった。
この場を収める妙案でも考えているのだろうか?
と思ったのも束の間、なんとカムロは言い争う二人の間に進み出ていたのだ。
「ちょっと待ってくれ、やっぱりこの戦いは……」
予想外の行動に静止するという考えも浮かばず、呆気に取られたようにカムロを見ている事しか出来ない。
それは当の族長達も同様で、驚いた表情でカムロを見つめている。
「貴様何者だ? 土の民ではないようだが」
いきなり現れたカムロに、不機嫌さを隠さず問い掛ける森の民の男。
「俺はカムロ、旅の途中でドワーフの村に世話になっているものだ」
「余所者が我らの間に介入すると?」
「確かに俺はつい最近こっちに来て、まだまだ分からない事も多い、けどさっきの話を聞いて……」
「あんたも森の民に襲われたんじゃないのか?」
本題に入ろうとするカムロに、群衆の中から野次が飛ぶ。
その言葉を聞いて、あの夜カムロと一緒に襲われた際の光景が浮かぶ。
あの襲撃者は自分を森の民と名乗り、特徴的な長い耳を持っていた。
「確かに襲われたことは事実だ、でもあの時は夜で、それに相手はローブを深く被っていたから姿を詳しくは確認できなかった」
そこで一旦言葉を切り、周囲を見渡してからカムロは続ける。
「だから……」
いや、続けようとした。
「ええい、何をごちゃごちゃと! 皆の者、まずはこの者から葬ってくれようぞ!」
「邪魔立てするのなら、例え客人と言えど!」
突如興奮を露わにした族長と森の民が、一斉にカムロに襲い掛かったのだ。
目の前で始まろうとした惨劇に、頭の中が真っ白になる。
「カムロ殿、今だ!」
と、耳に研ぎ澄まされた刃のような、高く芯の通った声が届いた。
聞き覚えのないそれを疑問に思う暇も無く、カムロは瞬時に札をその手に握り。
「アリム、目を瞑っててくれよ!」
切羽詰まったその言葉に、訳も分からずただ従っていた。
そして。
「魔法発動! 真実の輝き!」
この森全体に響き渡るような宣誓と共に、目を閉じていても分かる程の眩い閃光が、周囲を包み込んで――
「一体何が起こったんだ……!?」
突然の出来事に、激しい混乱が頭の中を支配する。
ようやく少し落ち着き、ゆっくりと目を開けたそこには、異様な光景が。
「ぞ、族長!?」
先程まで族長と森の民の男がいた場所に、赤土色をした泥の塊が二つ存在していたのだ。
それぞれの大きさは丁度人一人分で、心なしか形は人のそれに近いようにみえる。
まさか、これは……
「彼らは術によって創り出された幻影に過ぎない」
呆然とする我らに、いつのまにかカムロの傍に立っていた少女が語り掛ける。
髪の色は青紫、年の頃はかなり若いように見えるが、凛とした表情がよく似合う美しい少女だった。
「相棒! スアレ!」
まだ状況を全く把握出来ないこちらとは違い、はっきりとカムロは誰かに呼び掛ける。
その視線の先にいたのは、森の民とも我らとも違った外見を持つ、桃色と赤の髪の少女の二人。
「二時の方向、あの高い木の上です!」
と、桃色の髪の少女が、我らの後方を大袈裟な動作で指差した。
「分かった! 殲滅の虐殺獄炎砲撃!」
それに答えるように、赤い髪の少女が叫ぶ。
次の瞬間、赤い髪の少女の口から、轟音を響かせて凄まじい火炎が吐出されていた。
只の少女がまるで魔物のような攻撃をすることに驚愕すべきなのだろうが、この数分で起きた出来事に翻弄され続けており、最早驚く余裕すらなかった。
その火球が向かったのは、一見何もないただの樹上。
しかし、瞬閃の早さで飛んだその火球は、障害物も存在しない筈の空中で何かに衝突し、大きく炸裂していた。
爆発の余波が伝わり、びりびりとした衝撃と熱気が肌を撫でる。
「ぐっ……! 傀儡術だけでなく、隠形術も破られるとは……!」
高い樹の上、靄が晴れるように次第に姿を表したのは、顔全体を覆う異形の仮面を身に付けた、黒衣の怪人だった。