第六十九話 憧れに近付くように
エルフの里の作法をいつ覚えたのか、スアレが慣れた手つきで淹れたお茶を一口飲んで、ディーレットさんは話し始めた。
土の民、遥か昔からこの地に住まうと言う点では、我らと同様の種族と言えよう。
だが、その性質は我らとは正反対でな、体型や性格、得意分野に食べ物の好みまで、一つとして一致する所は無かったという。
敢えて例を挙げるなら、我らは弓術や魔法に優れるが、彼らは鈍器の扱いや鍛冶に優れ、我らは細く長い髪と流麗な体を持つが、彼らは太く広がった髪と縮こまった体を持つ、といった所だろうか。
そんな彼らだが、今より数千年前までは我らと共にこの地に暮らしていたらしい。
里の古い伝承によれば、まるで性格の違う者同士ながら、それなりに上手く生活出来ていたという。
互いが互いの得意分野を活かして、それぞれの足りない部分を補い合う良い共生関係を構築していたとか。
この里の周りにも、彼らが立てた巨大な建造物が幾つも連なっていたそうだ。
「それって、まさか……」
そこまで聞いて、レラがハッとしたように目を見開いた、歴史に詳しいレラだから、ボクには分からない何かに気付いたのだろうか?
一旦会話を中断し、もう一口お茶を飲んで、ディーレットさんは話し続ける。
しかし、その関係は長くは続かなかった。
例え母なる大地を汚しても果ての無い繁栄を得ようとする彼らと、あくまで自然から齎される恵みの中で暮らして行くべきだと主張する我らは、次第に反目し合い、それはやがて武力を用いた対立に繋がったのだ。
拮抗した力を持つ者同士の戦いは凄惨さを極め、数ヶ月もしない内にそれぞれの半数以上が命を落としたと言う。
長く続いた戦いの余波で森や地は傷つき、罪の無い獣達にも甚大な被害が出たそうだ。
そして、両者共に争いの無意味さに気付いたのは、戦いが始まってから一年も後の事だった。
最早共に歩く事は無いと悟った両者は、その生活圏を大きく離し、互いに交流を持たない事によって戦いを回避する事にしたのだ。
それから幾千年、彼らの住まう地が森の恵みのない痩せ果てた荒野に変わっても、彼らは我らが住む森に手を出すことは無い……筈だったのだがな。
※
「最も、私自身は彼らに対して敵意を抱いた事は無かった。 伝承の中でしか会った事の無い者に、感情を抱く方が難しいからな」
話し終えた後、そう言って軽く笑うディーレットさん。
確かに、自分が生まれるずっと前の事を聞かされたからって、それで見たことも無い人を憎んだりは出来ないよね。
「でも、あれが本当にその土の民って人達の仕業なら」
スアレがおずおずと会話に参加する。
今日ボク達が見た光景は、明らかに人の手が入っている事を思わせるものだった。
森が好きなエルフの人達があんな事をするとは思えない、ということはやっぱり……
「恐らく、里の上層部は黙っていないだろう」
「それって、もしかして」
一層深刻な表情になったディーレットさんの言葉に、ボクは思わず反応していた。
「戦いになるやもしれん、と言う事だ」
まだご主人がどうなったかすら分からなくて、そもそもボク達があっちに帰れるかどうかも怪しいって時に、更にそんな大事に巻き込まれるなんて。
……ご主人なら、こんな時なんて言っただろう?
何時もみたいに根拠の無い自信がバレバレの、それでもすっごく頼りになる顔で、『大丈夫、なんとかなるって』とか言うんだろうな。
どんなピンチだってご主人がいれば全然恐くないのに、今のボクにはさっぱり勇気が沸いて来ないや。
「そんな顔をするな、お前達にそこまで付き合ってもらうつもりは無い」
「ディーレットさん……」
情けない事に、ボクの気持ちはすっかりディーレットさんに見抜かれていたらしい。
優しい顔で諭すように言われてしまって、ただ俯くことしか出来ない。
結局この日はそれでお開きとなって、ボクはもやもやした気分を抱えたまま寝付けない夜を過ごすことになった。
※
次の日、またいつものベジタブルな朝食を食べていると、不意にボクの耳にざわざわとした沢山の人が騒ぐ声が届いた。
「里が騒がしいな……」
ディーレットさんもそれに気づいたようで、窓の外から様子を窺おうとした、その時。
「大変だ! 土の民が……!」
突然、ディーレットさんとは別のエルフ族の人が、部屋に駆け込んできたんだ。
「既に里の付近まで」
「まさか……奴らの方からだと!?」
そのまま二人は、大声で少しの間言い争っていた。
内容はよく聞こえなかったけど、どう考えても良い知らせでは無さそうだ。
「……この里に、土の民の軍勢が迫っているらしい」
「そんな……!」
顔を青ざめさせたディーレットさんから聞かされたのは、心の何処かで予想はしていたけど、敢えて考えないようにしていた可能性。
「ここは我らが戦う、お前達は逃げろ」
「それは……出来ないよ」
ディーレットさんがボクを、ボク達を気遣ってくれているのはとても嬉しい。
嬉しいけど、そのお願いを聞く訳にはいかない。
昨日一晩中考えたけど、ボクの頭で考えつく答えなんて、最初から一つしかなかったんだ。
「我らと関係のないお前達に頼る訳には……!」
「ううん、関係なくなんかない」
そこでボクは振り返って、レラとスアレを見る。
「ね?」
「そうだね」「はい!」
ボクの予想通り、二人共ここで逃げ出すなんて微塵も考えてない表情だった。
「何故そこまで……命を落とすかもしれないのだぞ!?」
本気で心配してくれてるディーレットさんの気持ちが嬉しくもあり、その気遣いを裏切ってしまうのが申し訳なくも思う。
でも、やっぱりボク達の気持ちは変わらなかった。
「お世話になった人を見捨てて逃げ出したら、ボクの一番大切な人に、もう胸を張って会えなくなるから」
こんな時ご主人なら、例え向かって来る敵がこっちの何十倍でも、何百倍でも関係なく、迷わずにディーレットさんの味方をしていた筈だ。
勝てるかどうかとか、自分が死ぬかもなんて微塵も考えない。
それがご主人の悪い所でもあるんだけど、ボクはそんなご主人が好きだ。
だから、ボクもご主人みたいにやってみる……!
「私も同じです、旦那様なら、絶対に途中で投げ出したりなんてしませんから」
「……私は二人と違って直接は戦えないけど、なにか手伝えることはある筈、だよね」
みんな同じ思いだった、すっかりご主人に影響されちゃったみたいだ。
「みんな……馬鹿だね」
「ふふっ、相棒ちゃんに言われたくないよ」
「スアレはメイドですからね!」
なんだか可笑しくなって、ボク達三人は顔を見合わせて笑い合っていた。
「ふぅ……分かった。 だが、無理はするなよ」
そんなボク達の様子に呆れてしまったのか、それとも感心してくれたのか。
ディーレットさんの顔にも、いつの間にか穏やかな笑みが浮かんでいたんだ。