第六話 鋼の帝国
見渡す限りに立ち並んだ灰色の建造物、空に幾つも突き出した無骨な煙突から流れ出すモノクロの煙が、本来あるべき青空を覆い隠している。
ドルガス帝国の首都ドルガルズ、大陸でいち早く工業化の波に乗ったこの都市は、ドルガス帝国の躍進を支える基盤となっていた。
その都の外れ、廃墟が並ぶ人通りも疎らな区画に、一際異彩を放つ建物があった。
窓一つ無い壁の色は極彩色に彩られ、周囲の落ち着いた色彩見比べると、まるでそこだけ別の国が出現したようであった。
その怪しい建物の玄関には、『帝国軍最新軍事技術研究所』と書かれた小さな看板が掲げられており、ここが軍の施設であることをかろうじて示している。
カムロが帝国軍の奇襲を退けてから数週間後のある日、この研究所の一室をある客人が訪れていた。
「フン、相変わらずここは薄汚いな」
無骨な鎧に身を包んだ大男は、部屋のあちこちに散乱した書類を乱暴に踏みつけて渋い顔をしていた。
2mを軽く超す身長と、常人の倍程はある肩幅、何度も削られた岩を思わせる凶相も相まって、明らかに常人とは異なった威圧感を放っていた。
鎧の男の名は、グレン・フォン・ドルガス。
かつては小国だったドルガス帝国をたった一人で大陸を二分するまでに急伸させ、更に世界全てを掌中に収めんと野望を広げていた。
「これはこれは、皇帝直々の訪問ですか、光栄の至り」
慇懃無礼に答えたのは、サイズの合っていない白衣に身を包み、無造作な髪を荒れ放題にした中年の男。
色素の薄い顔には隈がくっきりと刻まれており、不健康そのものといった様相である。
「世辞は良い、早く本題に入れ」
「本題と申されますと……?」
あくまで不遜な態度を崩さない白衣の男の返答に、皇帝と呼ばれた鎧姿の大男は、無言で腰に下げた大剣を素早く抜き放ってその細い首筋に押し当てた。
「知らぬとは言わせぬぞ、今回の失態を」
心臓の弱い者ならそれだけで気絶しそうな程の殺気を一身に受けても、白衣の男は表情をまるで変えずに、不敵な笑みを浮かべたまま返す。
白衣の男の名は、ベルナルド・ミドキズ。
帝国でも有数の天才と言われ、サモニス公国を襲った人造召喚獣を造り出した男である。
「私の造った人造召喚獣なら、説明した通りの性能を発揮したはずですが? この場合責められるべきは、あれほどの術師の存在を全く知らなかった情報部の方ではないかと」
「フ……相変わらず良く回る口だ」
その返答に皇帝は口元を少しだけ緩め、ゆっくりと首筋に当てた剣を降ろす。
「そこまで把握しているのなら、何故我がここに来たのかも分かっておるのだろう?」
「……予算は如何程頂けるので?」
暫し思索してから、白衣の男は真剣な顔付きになって問いかけた。
「好きなだけ使って構わん、しかし」
漆黒の剣が知覚するのも困難な速度で振りぬかれ、一瞬で部屋に置かれていた机を真っ二つに切り裂いていた。
「二度の失態は許さんぞ」
「承知しておりますよ、皇帝陛下」
背を向け悠然と去る皇帝を、白衣の男は椅子に座ったまま一礼して送り出したのだった。
※
王都防衛戦から数週間後、ラメイスト城の一室で地図を見ながら唸っているのは、あの髭面の軍人ジング・ドルスベイであった。
「ううむ、カムロ殿は上手くやっているだろうか……」
自身が隊長を務める事になった新設部隊、サモニス軍特殊活動攻撃隊の初任務を前に、一人頭を悩ませていたのだ。
そもそも、何故特殊活動攻撃隊等と言う長ったらしい名前の部隊が設立される事になったのだろうか。
その切っ掛けは、あの帝国軍の人造召喚獣による電撃侵攻と、それをたった一人で退けた、謎の召喚士カムロ・アマチの出現であった。
ガーメイル王との会談の結果、カムロは快くサモニス軍への協力を申し出てくれたものの、そのカムロの所属をどうするかというのは、かなりの難問になっていた。
何せカムロが見せた召喚術の腕前は、軍のどの召喚士よりも明らかに優れていたからである。
この事実に対し、あるものは恐怖を、あるものは嫉妬を、またあるものは畏敬の念を覚えていた。
その結果、軍のどの部隊もカムロが自分達の仲間に入る事を拒む事態を招いていたのだ。
この報告を受けたガーメイル王は、カムロが隊長の部隊を新設すれば良いのでは、と提案をしたのだが、軍上層部はこれにも難色を示した。
幾らカムロの実力が並外れているとはいえ、カムロの見た目はまだ年若い少年、そんな子供が相応の地位に付き自分の部隊を持つ事実を受け入れる柔軟さと器量の広さを、残念ながらサモニス軍上層部は持ち合わせていなかったのだ。
そこで苦肉の策として、閑職に追いやられていたジングに白羽の矢が立った。
彼はサモニス軍にしては珍しく、召喚術の心得を全く持たない軍人である。
それが幸いしてか、彼はカムロに対して他の軍人程の偏見を持たずにいた。
上層部の要請を受けたジングは、新設部隊の隊長となる事と、その部隊にカムロを招く事を快諾した。
こうして始動した、サモニス軍特殊活動攻撃隊。
その初任務とは――
※
ドルガス帝国北部の地方都市ミドン、サモニスとの国境に程近いこの都市は、十数年程前までマーム王国という小国が収めていた、が。
圧倒的戦力で侵攻してきたドルガスの前に、あっけなく王族は降参し、戦闘らしい戦闘も起こらずにドルガスに併合されていた。
しかし、そのことがかえって旧マーム国内の反ドルガス勢力を温存させることに繋がり、またドルガスの新規併合地に対する容赦無い搾取製作も相まって、ここはドルガスでも有数の不安定地帯となっていた。
荒れ果てたミドン市街を、薄汚れた服に身を包んだ少女が歩く。
武器と呼ぶにはあまりに頼りない小さなナイフを、取り落とさないようにしっかりと両手で抱えながら歩くその姿は、群れからはぐれた子鹿を思わせる。
フードに隠れて表情はよく見えないものの、落ち着かなく吐出される吐息から、何かに対する大きな怯えが伺えた。
「ここまで来れば……」
後ろをちらちらと振り返りながら、少女は廃墟の壁に寄りかかって安堵したように深い溜め息を吐き出した。
が、その時。
少女が寄りかかっていた壁が音もなく崩れ去り、内部から六本足の首の無い不気味な獣が現れたのだ。
それは、学校でカムロを襲った蜘蛛型人造召喚獣の同型機であった。
あの時と比べ量産化が進んだのか、カラーリングや細部が異なっている以外は、その巨大さも異様さも以前と変わりない。
衝撃で通りに吹き飛ばされ倒れこんだ少女、それを目ざとく発見した蜘蛛が、鎌のような薄く鋭い前肢を振りかざした。
自らに迫り来る死の運命を覚悟し、少女は両目を閉じてその瞬間を待つ。
しかし、その瞬間は訪れなかった、戸惑う少女がゆっくりと薄目を開けると、そこに見えたのは。
体の中央から真っ二つにされ、あっけなく動きを止めた鋼鉄の蜘蛛、そして。
「大丈夫? 怪我は無い?」
優しく声を掛けるあどけない少年の姿。
その少年の目は金と黒の虹彩異色症、同様に髪も金と黒が入り混じった奇妙な色をしていて――