第六十五話 姿は見えずとも
ディーレッドさん(名前を教えてもらった)に先導されて、僕達は森の奥へと進んでいく。
暫く歩いて行くと、木々の間にぼんやりと薄緑色の光が見え始めた。
幻想的なそれは、ボクが今まで見た電球やLEDの無機質な光とも、カンテラや魔力灯の人工的な光とも違うように思えた。
「うわーっ!」
「これは……街、なの?」
立ち並んだ何十メートルはある高くて太い木々の間に、円筒状の大きな水晶が幾つも規則的に建てられている。
それらは数秒感覚で一斉に点滅していて、静かに鼓動しているように見えた。
ここがディーレッドさんの、エルフの里なんだろうか?
「くれぐれも言っておくが、奥には入らないでくれ、本来ならこうやって異邦人を里の中に入れることでさえ珍しいのだ」
少し険しい顔をしたディーレッドさんの注意に、素直に頷く。
流石に訳の分からない場所で好き勝手に彷徨く程考え無しじゃない。
「帝国でも共和国でもない、ここは一体……」
「旦那様はどこにおられるのでしょうか……?」
僕の後ろに付いて歩く二人は、それぞれ考え込んでいるようだった。
いきなり知らない場所に飛ばされて不安に思う気持ちは分かるけど、今は……
「二人共、考えてたって仕方ないよ!」
「相棒ちゃん」
ボクの明るい言葉に、少し驚いたように顔を上げる二人。
「って、ご主人ならそう言う筈だから…ね」
そう、ご主人ならきっとこんな時にはみんなを元気付けると思う。
って、まだ気配すら感じ取れないご主人のことを考える。
どこにいるかは心配だけど、ご主人なら心配いらない、よね。
「うん、そうだね」「はい!」
そんなボクの気持ちが通じたのかは分からないけど、二人の顔に笑顔が戻ったように見えた。
「着いたぞ、私の家だ」
そう言われた場所は、里の入り口から程近い場所だった。
青々と生い茂った大きな木の前で、ディーレッドさんは上を見上げている。
「木の上に家があるの?」
「ああ、その方が色々と都合が良いんだこの土地は…」
ディーリッドさんが木の幹に手を触れると、その場所に大きな六角形の光が浮かび出す。
驚く間もなくその光はボク達全員を包み込むと、一瞬でボク等は部屋の中に移動していた。
「我らエルフは魔法制御に優れていてな、便利だろう?」
呆気にとられるボク達に、少し誇らしげにディーレッドさんは告げた。
落ち着いて周りを見渡してみると、木製の家具が整然と配置された、落ち着いた印象の部屋だった。
特に珍しいものはなかったけど、壁に立て掛けられている長い弓が目を引いた。
あっちの世界で見た普通の弓と違って、幾つもの良く分からない器具が複雑に配置されているそれは、まったく弓について詳しくないボクが見ても、大きな威圧感を感じるものだった。
あんなものに何度も狙われていたかと思うと、今更ながら怖くなる。
「他に家の人は?」
「いや、私一人だ」
そう答えると、ディーレッドさんは家の奥へ移動し出す。
「そこに掛けてくれ、何か飲むものを持ってこよう」
部屋の中央にあるテーブルを囲むように配置された椅子に腰掛け、ディーレッドさんを待つ。
「さて、いきなりで悪いが、色々と聞きたいことがある」
「ええ、私達にも、貴方やこの場所について知りたいことがあります」
席に紅茶のような飲み物を置き、ボク達の向かいに座ったディーリッドさん。
全く分からないことだらけだけど、こうやって話の出来る人と会えたのは、多分運が良かったんだろうな。
※
数十分掛けて、ボク達は互いの状況について話し合った。
やっぱりと言うべきか、ディーレッドさんから聞かされた話は、ボク達にとって信じられないようなものばかりだった。
この森には、数百年なんてものじゃない程前からエルフという種族が住んでいたこと、エルフとは、ディーレッドさんみたいに耳が長く、魔法の扱いにとても優れた種族であること。
どちら共、ボクらはまるで知らなかった事だ。
ディーレッドさんはとても真剣に話していて、嘘を言っているようには思えなかったし、この里の見た目の事もある。
信じたくなくても、信じざるを得ないんだろう。
「そんな事って……」
「一体どういう現象なのでしょうか……?」
ボクが感じた驚きはレラやスアレも同じだったみたいで、話を聞いている間、二人共驚きっぱなしだったように見えた。
ディーリッドさんの話を聞き終えてから、今度はボク達の話に。
帝国の話や、共和国の話、それと、僕達がここに来た原因の遺跡の事なんかをレラが取り急いで簡略に伝えた。
「……俄には、信じ難い話だな」
その話を聞き終えたディーレッドさんの反応は、ボク達と似通っていて、暫く難しい顔をして黙り込んでいた。
「ですが、信じて貰う他ありません」
「いや、お前達が嘘を言っているようには見えない」
そこで一旦言葉を切って、戸惑いがちにディーレッドさんは話し出す。
「だがやはり、帝国や共和国等という国には覚えがない。 尤も、私はこの里から出たことがないので正確な事は言えないが……」
ここまで話し合って分かったことは、ボク達とディーレッドさんの常識には、全く重なる部分がないという事実。
それって、いつかご主人が見ていた別の星の人と出会う映画の話みたいだけど、もしかして……
「エルフという種族に、この森の存在、そして」
そこで、レラの視線がボクを向く。
「ボクが倒したあの魔物」
「相棒ちゃんは、あれに見覚えがあるんですよね?」
「多分……いや、確実に、あれは召喚札の、ご主人達が呼び出してる奴らだと思う」
ボクがまだ、札の中だけでご主人と一緒に戦っていた頃、あいつとは何度も戦った覚えがある。
名前までは覚えてないけど、あれがこっちの世界で言う召喚獣に当たる事は、簡単に推測出来た。
「ってことは、もしかしてここは」
「召喚獣の、呼び出される前の場所って事なんですか?」
目を白黒させたスアレが、さっきよりもっと驚いた様子で言う。
ボクも信じたくはないけれど、この説明なら、ここに来てからの事にちゃんと理屈が付く。
ご主人なら、こんなときどうしたんだろうか。
例えそれが自分の想像を遥かに超えた事実であっても、ちゃんと受け止められたんだろうか。
そんなことを考えてしまう程、ボクは突き付けられたものに動揺していた。
「研究者の端くれとしては、とっても面白い現象なんだけど、そんなこと言ってる場合じゃないよね…」
途方に暮れたようにため息を付くボク達を、ディーレッドさんは心配そうに見ていた。
「あの、ディーレッドさん」
「何だ?」
そのディーリッドさんに、ボクは立ち上がって話し掛けた。
この世界の習慣は分からないけど、なんとなくそうした方がいい気がしたから。
「少しの間だけでいいんだけど、ここにボクらを置いてくれないかな」
これからどうするにしても、体を休める場所は必要だ。
ご主人なら、まず寝床を確保することを考えた筈。
幸いにもボクには今まで色々な場所に行った経験がある、そこでご主人がやっていたことを思い出すんだ。
「そんな事か、命を救われた礼としては軽いくらいだ」
「ありがとう」「済みません、お世話になります」「ありがとうございます」
ボクに続いて、レラとスアレも頭を下げて礼を言った。
それから、色々な準備をする為にディーレッドさんは部屋を出て行った。
その背中を見つめながら、取り敢えずどうにかなった事に安堵する気持ちと共に、ボクの心の中は。
「ご主人……」
未だ顔すら見えないご主人への思いが、抑えきれない程に募っていたのだった。