第六十四話 森の民
昔、ボクは何も見えない暗い夜の中にいた。
周りには何にもなくて、ただ自分がいることが分かる場所。
あの頃のボクは、自分の名前さえ知らなかった。
ボクをそこから引き上げてくれたのは、暖かいあの人の手。
多分、その日にボクは本当に生まれたんだって、今はそう思ってるんだ。
※
「ご主人!」
目が覚めたそこは、さっきまでいた砂だらけの遺跡とはまるで違う森の中。
樹と樹の間から少しだけ差しこむ光が、白い線みたいになってあちこちに見える。
ここは一体……?
辺りを見回すと、地面に倒れこんでいるレラとスアレの姿が。
怪我はしていないみたいだけど、気絶しているように見える。
「レラ、スアレ! 大丈夫!?」
「予期せぬシャットダウンを確認、リカバリーモードで復旧します」
「す、スアレ!?」
思わず駆け寄ったスアレは、白目を剥いてよく分からない言葉をつぶやいている。
動揺するボクの前で、スアレはゆっくりと起き上がると。
「システムチェック完了、再起動します」
「わわっ!」
スアレの体から、目を開けてられない程の眩しい光が放たれた。
数秒続いたその光が収まった後、スアレの両目がゆっくりと開いて――
「おはよう御座います! いつも元気な貴方のメイド、スアレですよ!」
「へっ?」
「あれっ?」
スアレの口から出たのは、いつもの軽快な挨拶だった。
何だか良く分からないけど、寝惚けてた……のかな?
スアレが正気を取り戻したすぐ後、地面に倒れていたレラも起きて、ボク達はこの知らない場所の探索を始めた。
「それにしても、ここは何処なんだろう」
「旦那様やマキヤ様の姿も見えませんし、一体何が起こったのでしょうか」
「多分あの遺跡が関係してるんだろうけど、私にも何が何だか……ごめん」
あの遺跡に連れてきてしまった責任を感じているのか、レラは起きてからずっと浮かない顔をしていた。
「れ、レラが謝る事じゃないよ」
あの時の状況からして、多分誰もどうにか出来なかっただろうし。
ご主人なら、誰も悪くないって励ます筈だ。
「取り合えず、ここに住んでる人でも見つかれば……」
と、宛ても無く森を彷徨っていた、その時。
「危ない!?」
「えっ、きゃぁっ!」
突如放たれた矢が、ボク達の体をすり抜けて木の幹に突き刺さったのだ。
「誰だ、ビックリするじゃないか!」
「ビックリで済むんだ……」
激しく怒って矢の飛んできたほうを見れば、そこにいたのは。
「ここは神聖なる森、不浄なるものよ、即刻立ち去るがよい!」
大きな弓を構えてこっちを睨みつける、見たことも無い洋服に身を包み、長い銀の髪を尖った耳に掛けた、浅黒い肌の女の人。
「ちょっと待って、私達は何も……」
「問答無用!」
宥めようとしたレラの言葉も聞かず、女の人は弓を放ってくる。
「そっちがその気なら、こっちも……!」
襲ってくるんなら、戦わなきゃ。
そうボクが応戦しようとした時、何本もの枝が折れるバキバキという嫌な音が、前触れもなく森全体に響いた。
構えを取って飛び掛かろうとした動作が、その音で中断する。
「今度は何!?」
「あれは……!」
木々を薙ぎ倒しながら現れたのは、何本もの蔦を触手のように畝らせる巨大な樹。
毒々しい緑色の幹には、まるで肉食獣のような牙の生えた口が付いており、獲物を求めてその口がわしゃわしゃと蠢いている。
この樹は、いや、この魔物は……!
「ちぃっ! こんな時に」
どうやらこいつの登場は予想外だったらしく、女の人は慌てた表情で樹の方を向く。
「炎の精霊よ、我が祈りに答えたまえ! フレイムアロー!」
その右手に赤色の光が灯ったかと思った瞬間、空中から放たれた炎の矢が樹を貫いていた。
炎はその着弾地点からあっという間に燃え広がり、あっという間に巨大な樹の全てを燃やし尽くしていた。
「この程度か、他愛も無い」
あっけなく倒された樹の残骸に、誇らしげな態度で近づいていく女の人。
「だ、駄目ー!」
それを見て、ボクは思わず叫んでいた。
もしあれがボクの記憶通りの魔物なら、これくらいじゃ駄目なんだ。
「何っ!?」
その叫びに気付いた女の人がこちらを向こうとする前に、その背後に燃やし尽くされた筈の樹が現れていた。
「ぐっ、これは……!?」
瞬時に伸びた蔦に絡め取られ、女の人は一瞬で身動きが取れなくなってしまった。
どうにか抜け出ようともがいているけど、足掻けば足掻く程蔦の力は強まっているように見える。
「ど、どうしますか?」
このまま退散するのが、一番頭の良い選択なんだろうけど、でも
「ご主人なら、そんなことしない!」
「相棒ちゃん!?」
やる事が決まれば、後は実行するだけ。
考える間も無く、体が勝手に行動を始めていた。
「でりゃぁっっ!」
太い木の幹のような胴体に、思い切り飛び蹴りを叩き込む。
不意を付かれて怯んだ魔物が後ずさり、女の人の拘束が解ける。
「お前……何故!?」
苦しそうにしているけど、今すぐどうこうなるって事は無さそうだ。
「困ってる人が居たら助ける、当たり前の事!」
って、ご主人なら言うはず。
さっきまで自分を襲ってきた相手でも、目の前で死なれるのは見過ごせないって、ご主人なら考えたと思う。
……まあご主人の場合、相手が美人だからってのもあるだろうけど。
「スアレビーム!」
もう一度襲い掛かろうとした魔物を、ボク達の背後から放たれた閃光が刺し貫いていた。
「スアレも忘れないで下さいね!」
土煙を上げながら勢いよく走り込んで来たスアレは、ボクの隣に並んで戦闘の構えを取る。
「貴様達は一体……?」
「行くよ、スアレ!」
「はい!」
確か、この魔物の特徴は、何度やられてもそのターンが終わった時に復活する再生能力。
完全に貫通したさっきの穴も、数秒もしない内に全て塞がっていた。
さっきから試しているけど、今のボクには竜の体になれないみたいだ。
多分、ご主人がいないとあの形態にはなれないらしい。
全力が出せなくても、例え目の前にいるのが強敵だろうと、ボクは諦めない。
思い出すんだ、いつものご主人の戦いを。
ご主人なら、こんな時どうする?
「再生出来ないように一気に焼き尽くす……!」
脳裏に浮かんだのは、自信たっぷりにボクに指示を告げる、ご主人の姿。
ボクに出来るか分からないけど、あんな風に……
「スアレ、あいつの動きを止めて!」
「分かりました!」
襲い来る樹の蔦を躱しながら、スアレは一気に距離を詰めた。
「スアレサンダー!」
頭の両脇でちょこんと結ばれたスアレのツインテール、その両端から、閃光を伴って電流が放たれる。
電流を受けた魔物の体全体に波打つ雷が走り、痺れたように樹の体が止まった。
「殲滅の虐殺獄炎砲!」
その隙を逃さず、一気に最大火力を叩き込んだ。
この姿ではいつもの威力は出ないけど、あいつを倒すだけなら十分だ。
ボクの口から出た真紅の火球が、赤い幕のように樹全体を包み込んでいく。
「もう一発!」
再生する間を与えないように、念の為もう一発火球を叩き込んでおいた。
多分これで問題ない……よね。
「大丈夫、立てる?」
「怪我の手当てを……」
さっきのまま座り込んでいた女の人に、ボクとスアレが駆け寄る。
「……礼を、言わねばならんな」
「そんなの別に良いって、まあ、襲い掛かるのはもう辞めて欲しいけど」
心底申し訳無さそうな様子で言われて、文句を言う気もなくなってしまった。
この人の態度からして、悪気があったわけでは無さそうだし。
「そうだ! お礼がしたいなら、聞きたい事があるんだけど」
畏まった礼よりも、ボクはさっきから気になっていた事を聞くのを選んだ。
「ここって、一体何処なの? 共和国? 帝国?」
どう見ても遺跡や砂漠じゃないし、さっき戦ったあの魔物は、確かずっと前にご主人とカードで戦った相手だった筈。
あんなものがうろついているなんて、ここは一体何なのだろう?
「な……!? 知らずにここに分け入ったのか?」
「入ったって言うか、飛ばされたって言うか……」
ボクだって別に来たくて来た訳じゃ無いんだけどね。
「ここは、ウールスの森」
そこで一旦言葉を切って、女の人は森を見渡す。
少し黙ってから、ゆっくりと一つ一つの単語を噛みしめるように、女の人は告げた。
「神聖なる森の民、エルフの住まう土地だ」
ボク達の間を、森の柔らかな風が通り過ぎていた。