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第五十四話 黎明の暫時

 あれから、およそ二週間が過ぎた。

 ドルガス皇帝グレン・フォン・ドルガスの死は、軍事研究所視察時の事故として処理され、その真相が公に明らかになることはなった。

 最も、当の帝国自体が、そんな事を気にしていられる状態ではなくなってしまったのだが。

 絶対的な権力者だった皇帝の死と同時に、それを待っていたかのように帝国内の汚職の実態が何者かによって一斉に明らかにされたのだ。

 それが現職官僚の半数以上に及び、かなりの地位にある者も相当数混じっていたというのだから、帝国の腐敗が如何に進んでいたかが良く分かると言うもの。

 これを期に一部の民衆の間では帝政打倒の機運も高まっており、暫くこの混乱は続きそうであった。

 皇帝の息子であり、継承権第一位のデューク皇子が早々に他国へ亡命を決め込んでしまったため、繰り上がりで次の皇帝候補となったミルドは、寝る暇も無い程多忙な日々を送っているようだった。 

 

 そんな中、この俺、カムロ・アマチはどうしているのかと言えば――


ご主人マスター、何書いてんの?」

「手紙だよ、これからレラに出すんだ」


 椅子の上に立ち、背後からペンを持っていない方の腕に抱き付く相棒に答える。 


 混乱の最中にあるとは言ってもそれはあくまで政治方面の話であり、一般市民の生活に余り影響はないようだ。

 十年来続いた戦乱がようやく収まった事や、前皇帝の強権政治が終わった事による開放感のほうが勝っているようだった。

 こうやって検閲も無しに自由に手紙が出せるようになったのも、その好例だろう。 


「レラとは?」

「そういえば、スミレは会った事無かったな」


 相棒より更に後方でベッドに腰掛けていたスミレに、レラ達の事を説明する。

 ここに来る以前に世話になった女性で、今はメイドと二人暮らし……というぐらいの簡潔なものだった。 


「……前から思ってはいたが、貴方は少し……その、節操が無いのでは?」


 が、何故かスミレは顔を赤らめて俯いてしまった。

 心なしか、声に非難の感情が篭っているように思える。

 

「ご、誤解だよ!?」


 何を勘違いしたか知らないが、どうも俺が女に見境の無い好色男に思われているような……  


「やーい、言われてやんのー!」


 ここぞとばかりに囃し立てる相棒の頭を軽く小突いた丁度その時、部屋のドアがノックされた。

 

「はーい! 空いてるよ」

「失礼する」


 スミレに説明するのを一旦諦め、宿の部屋に入ってきた人物の方向を見遣ると、そこに立っていたのは新調したと思われる真新しい船長服に身を包んだクリスの姿だった。


                                        ※  

 

「そうか、クリス達は島に帰るのか」

「ああ、そろそろ潮風が恋しくなって来た所でもあるからね」


 船の修理や補給等も終わり、これからはまた元の海賊家業に戻るらしい。

 ミルドの個人資産から幾らか資金を回して貰えたようだけど、弾薬費生活費諸々を含めれば今回の件は確実に赤字だろう。

 あくまで非公式な協力であり、相応の報酬は得られない事が分かっていたにも関わらず、クリス達が協力してくれたことに、今更ながら頭が下がる。


「色々ありがとな」

「気にするな、友の為ならこれくらい容易いさ」


 あくまで快活に言葉を返すクリスは、爽やかな表情で笑っている。

 見るもの全てを惹きつけるようなその笑顔を見て、不意にルミレース城での遣り取りが思い返されてしまい、何だか照れくさくなってしまう。 


「……怪しい」

「しかし、クリス殿は男性なのでは?」

「そうなんだけど……はっ! もしかしてご主人にそっちの気が!?」

「無いからな!?」


 俺達の様子を遠巻きに見ていた相棒とスミレが不穏な会話をしていたので、思わず反論する。

 クリスの秘密は、本人が明かしたくなるまで黙っていることに決めていたけれど、こういう誤解は勘弁して欲しい……

 そう苦笑しながらも、久々に訪れた楽しいひと時を、俺は心から楽しんでいた。

 窓の外からは柔らかな陽光が差し込み、長かった冬もようやく終わりを告げようとしていた。

 

                               ※


 簡易照明の薄っすらとした明かりに照らされて、夜半の執務室には穏やかな空気が流れていました。

 積み上がった書類との格闘にもようやく一区切り付いた頃、わたくしの手は自然とある手紙に伸びていました。

 簡素な自体で書かれた短い手紙ながら、この二週間、私の気持ちはこの手紙に縛られていました。  

 皇都に帰還したその日、空になった玉座に置かれていたこの手紙は、帝国に蔓延する汚職の実態が事細かに記されており、帝国を立て直す大きな手助けになっています。

 私でも読めるように魔術が掛けられていることで、最初から私宛に書かれたものだということが分かりました。

 手紙の著者は、父の側近であるキレーヌ・グリモア卿。

 この手紙だけを残し、卿は帝都から、帝国から消息を絶ちました。

 卿が何故そんな事をしたのか、理由は全く分かりません。

 只一つ、手紙の最後にはこう書かれていました。


『これからの帝国を、貴女に託します』


 もしかすると、父はこうなることを心の何処かで予測していたのかもしれません。

 自分が居なくなった後の事を、あらかじめ最も信頼できる者に託していたのかも。

 今となっては、それを確かめる術は無いのですが……


「誰です!」

 

 と、突如背後に不穏な気配を感じました。

 もしや、私の命を狙う刺客。

 そう思い、咄嗟に護身用の短刀を突きつけ――


「ちょ、ちょっと待ってくれ!?」


 その侵入者から聞こえたのは、最早聞き慣れたあの人の声でした。


                              ※


「いや、びっくりしたよ」


 執務室の簡易ベッドに腰掛け、ほっと一息付いた様子のカムロさん。


「驚いたのはこちらです、どうして窓から?」

「勿論最初は普通に会おうと思ったんだけど、色々手続きとか面倒くさい事になっててさ……」


 皇位継承までの微妙な時期という事もあり、城の警備は通常より数段厳しいものとなっていました。

 表向きなんの地位もないカムロさんが会おうとしても、気軽に会える訳ではないのは分かっていますが……


「……貴方なら、何時でも歓迎しますのに」

 

 思わず口の端から出た呟きに、カムロさんが気づかない様子だったのは、幸運だったのでしょうか。


                               ※


「そうですか、サモニスに……」

「本当はもう少しここに居たかったんだけど、そろそろ帰って来いって五月蝿くて」


 カムロさんから切り出されたのは、サモニスへの帰還。

 そもそも、サモニス人であるカムロさんが帝国の内情にここまで関わるというのがおかしい。

 というのは理解している、理解しているつもりなのですが……

 

「私なら大丈夫です、心配なさらずに」

「本当に?」

「ええ、大分政情も安定してきましたし」


 感情を押し殺し、敢えて毅然とした態度で私は返答します。

 それを受けて、カムロさんは神妙な空気を出して黙りこんでしまいました。

 

「……余計なお世話かもしれないけど、一言言っても良いかな」


 数刻の後口を開いたカムロさんの纏う雰囲気は、今までにないほど毅然としたもので。


「今のミルドは、何か無理してる気がするんだ」


 正鵠を得る言葉に、一瞬鼓動が止まったような錯覚に陥ります。


「まだ知り合って一ヶ月も経ってない俺が言うのもおこがましいかもしれないけど、どうしても心配になったから」


 少し申し訳無さそうに告げるその言葉の中には、私に対する心からの思遣りと厚意が感じ取れました。

 

「私は、今まで逃げてきた分を取り戻さないといけませんから」

 

 それでも、私はカムロさんを冷たく突き放してしまいます。

 ここでその暖かさに甘えてしまえば、自分がどうしようもない程堕落してしまうような、そんな恐怖がありました。

 でも……


「別にさ、取り戻さなくてもいいんじゃない」


 そうあっけらかんとした口調で告げられ、私の思考が停止します。


「ミルドは今のままで十分立派だと思うよ」

「ですが、私は、今まで何も……!」


 カムロさんの優しさが嬉しい筈なのに、口からは強がった言葉しか出てきません。

 混乱して、自分で自分の心が分からなくなっていました。


「あの時ミルドに会わなければ、会って家に連れてってもらわなければ、回り廻って俺はあの島まで行かなかったと思うんだ」


 不意に、カムロさんは遠くへ視線を向けました。  

 思い返せば、あの荒唐無稽な出会いから全てが始まったんですよね。


「ミルドの優しさが、きっと帝国の為になる、だから、それは無くしちゃいけない」


 真っ直ぐに見つめられながら優しく告げられ、頭の芯をぼうっとする心地いい感覚が包みます。 


「俺が知ってるミルドは、最初から立派な皇女様だったよ……って、もう皇帝になるのか」


 最後に柔らかく笑ったカムロさんの声は、私が聞いた中で一番の――


「も、もしかして何か気に触ること言った!? 偉そうだったかな……」


 不意に慌て出したカムロさんに、私は自身の両目から涙が零れていることにようやく気が付きました。


「いえ、違うんです……これは……」


 右往左往するその様子が可笑しくて、自然と私の顔には笑顔が浮かびます。

 そのまま私達は、どちらともなく笑い合っていました。

 心中を覆っていた靄が、何処かへ吹き飛んでしまったようで。

 きっと私は、この日の事を、一生忘れることはないでしょう。

 私が皇位を継ぐ僅か三日前、長かったようで短かったこの一件の、最後の出来事でした。 

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