第五十三話 再来する龍
「大丈夫かい? ミルド嬢」
途切れかけていた意識を呼び覚まして下さったのは、不安そうに呼びかけるクリストファー様の声でした。
「わ、私は……」
父に会って、にべも無く拒絶されて、それから……
「あそこに寝かされていたのを運んできたんだ、今あっちは危険だからね」
私が先程までいた場所、あの遺跡からは、激しく炎が燃え盛る音だけが聞こえています。
あそこでカムロさんと父が戦っているのでしょうか。
出来る事ならどんな手段を使っても止めたかった争いですが、もう私がどうにか出来る段階ではなかったようです。
「無事だったのですね、どうしてここに?」
落胆に染まる心を悟られないように、普段通りの口調で話題を変えました。
「あの光が収まった後、敵の動きも止まってね」
クリストファー様の話によれば、巨大兵器の破壊と共に人造召喚獣の活動も停止し、帝国軍もあっけなく引き上げて行ったそうです。
「船の損傷も酷かったし、そのまま帰ろうかと思ったんだけど……」
と、クリストファー様の意識が私を超えて背後の神殿へと向けられます。
私もそちらを向けば、少し離れたここからでも異様な事態を感じ取ることが出来ました。
「スミレ君が何か不穏な気配がするとかで」
そこで繰り広げられていたのは、まるで御伽噺の如く、常人には想像も付かないような戦い。
聞くだけで臓腑を鷲掴みにされるような龍の咆哮と、それに負けじと響き渡る裂帛の気合。
恐らくそれは、私の父であると推測が付いても、何処か信じ難い思いのままでした。
幾ら父が帝国有数の武人であるとはいえ、カムロさんが操る魔獣を相手に戦えるとは。
「……どうやら、それは当たったみたいだね」
話し続けるクリストファー様が言葉を濁した瞬間、戦況に大きな変化が起こっていました。。
一際大きな鬨の声と共に、悲しげな龍の叫びが響きます。
それは、巨大な生物が末期に挙げる断末魔のようでした。
「そんな……」
例えようのない喪失感と絶望が、心中を覆い尽くします。
無力な私には、只呆然と立ち尽くすしか出来なかったのです。
※
目の前で相棒を葬り去った皇帝は、自身の戦果を誇るように大剣を頭上へ掲げ、こちらへ尊大な口調で話し掛ける。
「こんなものか、貴様の実力は?」
その傲岸な態度で、一瞬空っぽになっていた心に再び火が灯り出す。
だが、今の俺に出来る事は……
「ちぃっ!」
手札も魔物も無いこの状況では、尻尾を巻いて逃げ回ることしか選択肢はなかった。
「遅いぞ!」
ここに至るまでに積み重ねられた疲労と、戦闘の余波で不安定になった足場が重なり、思うように動けない。
次第に追い詰められ、大剣の重厚で凶悪な刀身が、断頭台のギロチンの如く俺の体に振り下ろされ――
る寸前に、刃は動きを止めていた。
滑り込むように体と大剣の間に差し込まれた二本の短刀が、軋みを上げながら大剣の質量を食い止めている。
それは、いつの間にか目の前に現れていた、青紫色に染まる髪をした少女のお陰。
「邪魔が入ったか」
突如戦いに割り込んだ予期せぬ乱入者に、不快感を隠さない皇帝。
不機嫌そうにそう告げながらも、大剣を押し込む力は更に増していた。
「どうしてここに?」
「貴方を、こんな所で死なせる訳には、いかないから!」
圧倒的な重量を受け止めながら、か細い声で途切れ途切れに答えるスミレ。
その華奢な背中が、今は一回り大きく見える。
「だが、小娘一人に何が出来る!」
「きゃぁぁっ」
しかし、襲いかかる圧倒的な力に抗うことは出来無かった。
煩わしげに振り払われたスミレの体は、風に舞う木の葉のように吹き飛ばされていく。
「スミレ!」
「受け入れろ、貴様の終焉を!」
気を取られた一瞬の隙を付かれ、再び大剣が横一文字に振り抜かれる。
「ぐっ……!?」
だが、その一撃も俺の体を捉えることはなかった。
突如俺の体を覆うように表れた眩い輝きが、質量を持った光の壁となって大剣を空中で弾き返していたのだ。
自身の膂力をそのまま反射され、十数メートル吹き飛ばされた皇帝の体が、石造りの壁にめり込んで円形の跡を作る。
「これは……」
輝きを発していたのは、荷物に入れっぱなしになっていた、あの指輪。
マーム王家に伝わる伝説であり、数奇な運命の後に本来の所有者であるエリスから託されたもの。
「使えって言うんだな、お前の力を」
自身の存在を主張するように輝き続ける指輪を、手に取って握り占める。
もしかしてエリスはこうなる事を予想していたのだろうか?
「小賢しい真似を!」
体勢を立て直した皇帝は、再び凄まじい勢いでこちらへ迫り出す。
考えている暇など無い。
「俺は墓地の魔法、再生する命を発動! 墓地にあるこの札をゲームから取り除く事で、墓地の札一枚をランダムに山札の一番上に戻す!」
自身を奮い立たせるように敢えて大声で、気を発して札の効果を宣言する。
圧倒的な強さを誇る相棒も無敵ではない、効果を無効化されれば只の置物だし、呼び出す前に手札破壊や山札破壊で墓地に送られてしまってはどうしようもない。
そんな事態を想定し、墓地の札を使い回す魔法を入れておいたのが幸いした。
今まで墓地に送られた札はこの札を引いて六枚、確率は六分の一の勝負。
「まだ足掻くつもりか、最早何をしても無駄だと言うのに」
既に大剣の間合いまで接近した皇帝は、こちらへ嘲るような視線を向ける。
確かに相手の力は強大だ、どんな手を使っても駄目かもしれない
けど。
「例えここで倒れるとしても、全ての力を出し切ってからだ!」
「面白い、せいぜい無様に踊って見せろ!」
既に山札からは淡い輝きが放たれ、秘められた力が解き放たれる時を今か今かと待ち構えている。
「俺のターン……」
札を引く一瞬、この刹那に全ての想いを込めて。
「ドロー!」
裂帛の気合と共に引き抜いたその瞬間、周囲の時が止まったような錯覚に囚われる。
音の無い旋風が巻き起こり、研ぎ澄まされた感覚が張り詰めた弦の如く冴え渡る。
右手に握られていた札を見て、思わず笑みが溢れていた。
「何を……」
訝しむ皇帝を前に、もう一枚右手に現れた札を握りしめる。
「このターン、前のターンで取り除かれていたカード一枚が戻ってくる」
此処から先は、恐らく誰も経験したことのない領域。
だが、不思議と心に恐れはなかった。
むしろ、未知の事象へ対する期待と興味に弾んでいたと言ってもいい。
「二枚目の物質合成を発動! 合成するのは、相棒と……この指輪だ!」
あちらの世界にいた頃であれば、考えもつかなかったであろう発想。
こちらの世界で積んだ経験が、重ねられた日々が、この窮地での奇策を思い付かせてくれた。
眼前に展開された光の渦が、相棒の札と宙に放り投げられた指輪を飲み込んでいく。
「我が、気圧されているだと!?」
渦の中で煌めく深紅の輝きは次第に強さを増し、周囲全てを包み込む程の眩さを放つ。
「絆重ねし紅き龍よ! 古の英知と交わり、新たな光を纏いて降誕せよ!」
その光の高まりと共に、口からは無意識に詠唱が紡ぎ出される。
「来い! 相棒!」
今までにない高揚感を感じながら、俺の手に握られた新たな力を天に掲げた。
「クラスEX! 暴君の廻天龍!」
眩き光に包まれた紅き竜は、その体に神々しい鎧を纏い、圧倒的な威圧感の中にも気高さを感じさせる姿に生まれ変わっていた。
胴体を包む鎧には神秘的な字体で複雑な文様が描かれ、一際激しく荘厳に輝いている。
「行くぞ相棒!」
恭しく体を伏せた相棒の背に乗り、未だ消えぬ威容を放つ皇帝と相対する。
「我を惑わすか!」
こちらの姿にもまるで恐れを見せず、皇帝は瞬時に相棒の頭上へと飛び上がった。
迷いなくなく振るわれた刃が、黒々とした気を纏って相棒の体を切り裂かんとする。
「暴君の廻天龍の効果発動! 召喚に成功したターン、相手の効果を受け付けない!」
大剣と鎧を覆っていた漆黒の闘気が、龍の全身から放たれた威光に掻き消される。
「更に、戦闘を行う相手の攻撃力を、自身の攻撃力に加える!」
雲陽の疾さで迫った刃も、龍の体に触れた瞬間中央から真っ二つに折れていた。
「有り得ない、あっていい筈が無い!」
「終わりだ……グレン・フォン・ドルガス!」
唖然とした様子で立ち尽くす皇帝に、最後の刻を告げる。
「覇闘の絶滅衝撃砲!」
龍の口から放たれた閃耀が、圧倒的な光の束となって皇帝の体を飲み込んでいく。
「見事……だ!」
――耳に届いた末期の言葉が、どこか満足したように聞こえたのは、気のせいだっただろうか。