第五十二話 砕かれた希望
眼前に立つのは、重鎧を纏った只の人間一人。
今まで戦った魑魅魍魎達と比べれば、明らかに見劣りする筈の敵。
にも関わらず、放たれる殺気と威圧感はそれとは比べ物にならない程凄まじい物だった。
だとしても、ここで臆する訳にはいかない。
「手札の魔法、物質合成を発動!」
発動宣言と共に、目の前に暗色に輝く光の渦が生まれる。
手札に持った三枚の札がその中に吸い込まれ、渦の中で黄金色の光が煌めいていく。
「この魔物は、手札の光属性魔物三体を素材にして山札から召喚出来る!」
「鳴り響け雷鳴よ! 漂う迷霧を斬り裂き、鋭き穎牙で悪意を穿て!」
祝詞が唱え終わった瞬間、空中で光が炸裂した。
「合誓召喚、クラス8、電閃雷虎!」
周囲一体を薙ぎ払う稲光を纏って現れたのは、眩い鮮黄色の雷を纏った巨大な猛虎。
常人であれば掠っただけでも絶命しかねない衝撃の中を、皇帝は動じる様子も見せずに悠然と立っていた。
「行け! 電閃雷虎!」
静止したまま動く様子もない皇帝に若干の違和感を覚えつつも、雷虎に攻撃を命じる。
何か策が有るのかもしれないが、迷っていては何も始まらない。
「猛焦万雷牙!」
鋭く円弧を描いた雷虎の牙、その二点に雷を収束させ、刹那の速さで雷虎はその体を跳躍させた。
それが皇帝の体へ直撃した瞬間、視界を包む稲光が発生して視力を一瞬奪われる。
いくら皇帝が常人を超えていたとしても、この一撃を受ければ……
「甘い!」
だが、その希望は鼓膜を打ち破るような咆哮によって打ち砕かれた。
信じられない事に、皇帝は片腕で雷虎の牙を受け止めていたのだ。
いくら重厚な鎧に包まれているとはいえ、凄まじい威力を持つ突撃と雷をあっさり静止させるとは。
こちらが驚愕に包まれている間に、皇帝はその牙をまるでカッターの刃のように簡単に折ってみせるではないか。
自身の誇りをあっけなく打ち砕かれ思わず怯んだ雷虎を、怒号と共に振るわれた大剣が両断していた。
その間、わずか数秒の出来事。
「は、はは……」
余りに信じ難い光景を目にし、思わず笑いが口の端から漏れる。
目の前に立っているのは、本当に人間なのだろうか。
「どうした、これで終わりか?」
そんなこちらの様子を見透かしたように、嘲るような言葉を投げ掛ける皇帝。
「……電閃雷虎が破壊された時、山札から一枚札を引くことが出来る」
焦る気持ちをどうにか抑えつつ、努めて冷静に札を引く。
これくらいで諦めてなんていられない、眼前の相手が何であろうと、ここで戦って勝つことに変わりはないのだから。
「来ないのなら、こちらから行くぞ!」
皇帝の左手を翳す仕草を合図に、神殿の上方、洞窟の天井に亀裂が走り出す。
その亀裂は一瞬で巨大な穴となり、不気味な黒い影が二つ降下を始めた。
「人造召喚獣か!」
地響きを上げて着地し、独特の駆動音を発しながら体を震わせるそれは、赤銅色の体を持つ鋼鉄の獅子。
ギラギラと光る紅い単眼が獲物を見定めるように周囲を見渡し、不自然な程に肥大化した両の爪が解き放たれる時を待ちながら神殿の床を撫でている。
付き従うように皇帝の両脇に立った獅子の姿は、勇ましい戦場画の如く。
「余りの絶望に声も出ぬか」
両脇の獅子を見遣ってから、勝ち誇った態度で傲岸に告げる皇帝。
確かに、普通に考えれば絶体絶命の窮地だろう。
「いや、むしろ助かった」
しかし、俺にとっては違う。
「何だと?」
訝しげに言葉を詰まらせた皇帝を真っ直ぐに睨み付け、俺は山札に手を伸ばす。
「行くぞ、相棒!」
既に、条件は整った。
「俺のターン、ドロー!」
引いた札を確認せずとも、何を引いたかは分かりきっていた。
それだけの信頼と、それだけの経験があった。
「魔法発動! 未来への意思」
「俺の手札を一枚、選択して次のターンまでゲームから取り除く」
この魔法はわざわざ自分の手札を減らすような効果を持ち、普通であればまず山札に入らない魔法。
そんな物をどうして使っているのかといえば、無論――
「自分の場、手札に他のカードが無く、相手の場に三対以上モンスターが存在する時、このカードは無条件で場に召喚出来る!」
追い詰められれば追い詰められる程、俺に、俺達にとっては絶好の好機となるのだ。
それを理解していない敵ならば、どんな力を持っていたとしても物の数ではない。
「破壊と暴虐を司る紅き龍よ、忌わしき戒めを解き放ち、この世の全てを焼き尽くせ!」
「召喚! クラス10、暴君の大災害龍!」
高らかに宣言された祝詞と共に、真紅の輝きに包まれた巨龍が場にその姿を現す。
巨大な質量が現れたことによる衝撃が周囲を襲い、美麗に飾り付けられた遺跡が塵となって粉砕されていく。
寝かせたままのミルドが気掛かりであったが、そちらに気を回す余裕はない。
「暴君の大災害龍の、効果発動!」
「相手の場、手札のカード全てを、ゲームから取り除く!」
龍の全身が紅く発光し、幾つもの真紅の閃光が線を描いて放たれた。
殺到するそれに貫かれた鋼鉄の獅子は爆炎を挙げながら消失し、燃え広がった炎で皇帝の姿は掻き消された。
これで普通の敵なら終わりだが、相対しているのは明らかに人間の域を超えた相手、念には念を入れる。
「殲滅の虐殺獄炎砲撃!」
紅き暴龍から放たれた業火が、眼前の全てを焼き払う。
流石にこれをまともに受ければ、いくら尋常ではない相手といえど一溜まりもないだろう。
期待と不安がない混ぜになった気持ちのまま、目の前で燃え盛る炎を見つめる。
赤々と輝く炎は消える気配も無く、暫くはその光景が続く……
と安堵した、その時。
「成程、これが貴様の力か!」
地の底から響き渡る哮りを上げ、未だ勢いを和らげない炎の中からその男は現れた。
漆黒の鎧には傷一つ無く、掲げられた大剣は火明を反射してまるで血に染まったように輝いている。
「だが、この程度であれば……」
先程を超える異様な光景に、頭の中が真っ白になる程の衝撃を受ける。
僅かな間の思考の遅れ、それが致命的な隙に変わっていた。
瞬時に龍の頭上へと飛び上がった皇帝は、大剣を凄まじい速度で振り上げ。
「我の勝利は揺るがない!」
上段から一直線に振るわれた刃が、紅龍の体を正中線から真っ二つに切り裂いていた。
「相……棒……」
呆然とするこちらに一瞬だけ切なげな視線を向け、相棒の体は光の粒子となって――