第五十一話 決意と殺意
涼やかな空気が流れる洞窟の中は、どこか厳粛な雰囲気が漂っています。
エメンアンキ島の地下には、長閑な自然が広がる地上から想像も付かない優美な光景が広がっていると聞きました。
かつて帝国の始祖達が住まったとされたここは、長い間聖地として手厚く保護されており、立ち入る事すら恐れ多い場所でした。
しかし――
「ここまで来るとは、随分肝が太くなったものだな。 いや、只の考え無しか?」
「お父……さま」
恐らく遺跡の中心部、何十段もある階段を上った建物の中央で、私の正面から投げ掛けられたのは、地の底から響くような低い声。
忘れる筈も無いその声の持ち主こそ、ドルガス帝国現皇帝にして、私の実の父グレン・フォン・ドルガス。
父の手によってこの遺跡の大規模な発掘作業が進められ、父は遥か太古の伝承に触れました。
実際何を知り得たのかは分かりません、ですが、それを切っ掛けにして、父は、帝国は大きな変容を遂げました。
「お久しぶりですね、本当に」
カムロさんと別れた後、当ても無く島内を彷徨っていた私は、何かに導かれるようにこの洞窟へ足を運んでいました。
ここで父に会うとは思ってもみなかった私とは違い、父のほうは酷く落ち着いた様子で、まるで最初からここに私が来るのを知っていたかのようでした。
顔を合わせるのは実に数年ぶりで、十年はまともに会話をしていなかったというのに、父はまるで感慨を持たなかったようです。
「お前は、何故ここまで来た?」
無感動な口調で問いかけるその表情は、怜悧な刃物の如く研ぎ澄まされたもので。
「私はただ、無為な争いを止める為に……」
こちらは口篭りしながら答えるのが精一杯。
もっと他に話したい事は沢山あったのに、口から出るのは他人行儀なお題目だけでした。
勿論、あんな戦いを辞めて欲しいという気持ちは本心です。
ですがそれよりも、私は父にこれ以上業を重ねて欲しくないという気持ちの方が大きかったのです。
「下らんな」
それを見透かしていたのか、父は一言で私の言葉を切り捨てます。
「どうしてですか、どうしてお父様は、あんな惨い行いを!」
余りに酷薄な父の態度に、思わず口調を荒げてしまいました。
ずっと抑えていたものが、自然と溢れ出して、自分でも止められない。
どうして父はこうなってしまったのか、私に何か出来る事は無かったのか。
そんな言葉が滝のように流れ出して来ました。
「分からぬか……そうか」
暫くそれを黙って聞いていた父は、不意に大きな溜息を付いて。
「お前との会話は、無駄な時間だったようだな」
そう言って、おもむろに帯刀していた大剣を抜き放ったのです。
周囲に鈴が鳴るような音が鳴り響き、周囲の大気が一瞬で張り詰めます。
「そんな……」
まさか、本気で私を……
心のどこかで予想していたものの、起こる訳が無いと、起こって欲しくないと思っていた場面。
動揺が神経を電流のように走りぬけ、心臓の鼓動は早鐘となって打ち鳴らされます。
「きゃぁっ!」
勢い良く振り下ろされた刃を咄嗟に飛びのいて紙一重で回避出来たものの、反動で足を挫いてしまい、私は一歩もその場から動けなくなってしまいました。
「さらばだ、ミルグレド」
じりじりと近寄ってきた父は、これで終わりと言わんばかりに一層高く剣を振りかぶると、そのまま思い切り私目掛けて――
「大丈夫か、ミルド!」
極限の恐怖と絶望で意識を失いかけていた私の脳裏に、金属同士がぶつかり合う衝撃音と、慣れ親しんだ暖かな声が響きます。
そして直ぐに、私の体は両手で抱きかかえられます。
まるで出てくるタイミングを狙っていたようだ、なんて言ったら怒られるんでしょうね。
そんな冗談を言いたくなってしまう程、彼の腕の中で私は安心感に包まれていました。
「貴様は……」
「皇帝……なのか!?」
急激な感情の触れ幅のせいなのか、私の意識は、ゆっくりと暗闇へ……落ちて……
※
精巧な彫刻が施された石造りの床面が、地上からの薄らかな光に照らされて神秘的な美しさを放っている。
気の遠くなる程の過去の遺物であるというのに、洞窟の丁度中心に位置するこの神殿の如き建物は今だ変わらぬ価値を保っているようだった。
その神殿の中央、玉座を模った大きな椅子の前で悠然と立っているのは、漆黒の厳つい鎧に身を包んだ大男。
鎧や右手に持った大剣には、自身の尾を食らう黒い蛇の紋章が印象的に刻まれている。
あまり有名人に詳しくない俺でも、その紋章と漏れ聞こえたミルドとの会話で、目の前の男の正体に察しがついた。
恐らくこの男こそが、ドルガス帝国の皇帝。
気を失ったミルドを少し離れた場所へ抱え降ろし、眼前の皇帝と相対する。
「見事なものだろう、元々帝国は、これだけの力を誇っていたのだ」
皇帝は誇らしげに神殿を見渡して呟く。
確かに、この神殿だけでなく、洞窟全体の建物全てが素晴らしい物ばかりだった。
あちらの世界の高名な史跡と比べても遜色の無いものだろう。
「召喚獣と戦っていた頃の話か」
先程聴いた話によれば、かつての帝国は技術面においても高いものを持っていた事になる。
「ベルナルドから聞かされたのか、まあよい」
少し憮然とした反応をした皇帝は、こちらへ冷徹な視線を向けつつ語り出す。
「その戦いに勝利したのか敗北したのか、それは分からん。 だが、その戦いによってよって遥か先まで続くと思われた栄華は終わり、いつしか帝国は世界の片隅に追いやられていた」
「だから、あんなものを作って昔の繁栄を取り戻そうとした……」
「元々の帝国が持っていた物を取り返しただけの事、誰に責められる謂れも無い」
そう言って悠然と立つ皇帝は、自身の引き起こした戦乱とそれに伴った悲劇を悔むこともなく。
むしろそれを誇りに思っている節すらあった。
「俺は、あなたがやって来た事を否定するつもりはない」
確かに、皇帝の言い分には一理ある。
「ほう」
「戦争し、侵略し、支配する。 その結果として自分達の国を豊かにする事は、国を治めるものとしては当然の行動だと言える」
もっと多くのものを得たいと思う気持ちは誰もが持つもので。
それを否定する事は、聖人君子てもない限り出来ないだろう。
「俺があなたと戦う理由は、あくまで個人的なもの」
正義とか平和とか愛とか、そんな立派なことはとても言えないけど、それでも俺には、ここで戦わなければならない訳がある。
「自分の大切な者達を守る為」
思い浮かぶのは、こちらの世界で出会った様々な人々の顔。
エリスやイェン、レラにスアレ、クリスとアルグネウター海賊団の面々に、ミルドやスミレ。
「そして……」
目前で失われた友人達と、欠片すら残さずに消え去った両親。
燃え盛る焔が頬を撫で、鋼鉄の巨獣は無差別に破壊を繰り返す。
それは、未だ忘れることの出来ない光景。
「自身の過去に、決着を付ける為」
目の前の男が、それを引き起こしたのなら。
今まで自分は情が薄い人間だと思っていたけれど、それは違ったらしい。
多分、心の何処かで分かっていたのだろう、本当に倒すべき相手は他にいると。
そして今、その相手とこうして対峙している。
――躊躇など、ある筈もない。
「成程、面白いな貴様は」
静寂に満ちた神殿に、鼓膜を震わせる激しい哄笑が響き渡った。
心底楽しそうに頬を歪めた皇帝の表情は、獲物を見定めた肉食獣の如く爛々と輝いていた。
「元々、ここまで我らに楯突いた貴様を許すつもりも無いのでな」
大剣を上段に構えた皇帝の体から、まるで視覚出来そうな程の凄まじい殺気が放たれる。
「行くぞ、グレン・フォン・ドルガス!」
「かかって来るがいい!」
それに負けじと、こちらも臓腑の底から気迫を絞り出す。
「俺の先攻、俺の……ターン!」
裂帛の気合と共に札を握り締め、決着の舞台へ――