第四十六話 決戦前夜
「アルグネウター海賊団先代団長、ヨーゼフ・ギレインの元に丁度男と女、双子の赤ん坊が生まれた事が全ての始まりだった」
未だ事実を消化しきれない俺の目の前で、クリスは滔々と語り出す。
「双子は災いを齎すというメリオファス島の言い伝えがあってね……恐らく、跡継ぎ等の問題を未然に防ぐ為のものだったのだろうけど、未だにそれは根強く残っていたんだ」
目を細め、顔の半分を月明かりに照らされながらクリスは続ける。
その整った顔立ちは、今まで意識していなかった分余計に綺麗に見えて、思わず視線が釘付けになる。
「海賊団の子供として、男と女どちらかを選べと言われたら、答えは明白だろう?」
そう問いかけられ、なんと答えて良いか分からなくなってしまった。
クリスがそんな理不尽なしきたりに翻弄されている事は許せない、けどそれを正直に伝えていいものか。
「誤解しないでくれ、私は別にそれを恨んではいないんだ」
こちらが困惑しているのを悟ったのか、軽く笑って取り成すクリス。
「人目に付かないように屋敷に幽閉される日々だったが、それなりに恵まれていたと思っている」
「日々の暮らしに不自由する事はなかったし、家族も使用人達も優しくて……航海から帰ってきた父と兄の話を聞くのが、とても楽しみだった」
そこまで語ってから一旦間を置いて、過去を懐かしむように瞳を細めるクリス。
クリスの口調や顔に暗い影は感じられず、その言葉が真であることを示していた。
「だがそんな日々も、帝国軍の海賊狩りによって突然終わりの時を迎えた」
クリスの表情に苦渋の色が浮かび始める。
無理に話さなくても、と思わず気遣う言葉を掛けたが、手で制してクリスは続ける。
自分の中にある全てを打ち明けたいという強い思いを感じ、それ以上口を挟むのを止めた。
「当時のそれは、共和国との戦いへ向け、海軍に経験を積ませる思惑もあったようでね」
まだサモニスで普通の学生をしていた俺は伝聞程度の知識しかなかったが、帝国が随分前からあちこちに戦争を仕掛けていたことは耳に届いていた。
今になってみれば、それも全て現皇帝が抱く野望の為だったのだろう。
「容赦の無い弾圧によって、次々と海賊達はその命を散らしていった」
たとえ歴戦の猛者であろうと、主に民間船を相手にしていた海賊が数で圧倒的に勝る正規軍に叶う筈もなかったらしい。
帝国軍の戦いは投降も許さない苛烈なもので、生きて捕らえられた兵たちも尽く処刑されていた。
「……私の父と兄も、その例外ではなかった」
黄金色に輝く瞳の中に、はっきりと悔恨の色が浮かぶ。
その悲しみは、おそらく当人にしか理解できないものだろう。
偉そうに言えた事ではないが、同様の経験をした俺にはそれが痛いほど分かっていた。
「島に残されたのは年老いた老人達と、戦う術など持たぬ女子供ばかり……道標を失った皆は絶望し、そのまま島は滅びようとしていた」
戦力と呼べる物は無く、辛うじて航行可能な幾つかの旧型船と、雀の涙ほどの武装が残っているのみだったらしい。
「だが私は違った、何もせずにいるなんて出来なかった」
人員も設備も、何もかも足りない中で、それでもクリスは諦めなかった。
「前団長の遠縁だと身分を偽り、新たな船長として名乗りを挙げた」
事情を知る数少ない者達の手を借り、空音の殻を纏う事で、クリスは指導者として迎え入れられた。
何故わざわざ男装する必要があったのだろうか、確かに因習に背いてここまで生かされた負い目はある。
でも正直に言えば、島の皆も受け入れてくれたかもしれないのに。
思わず口から出たその問いかけに、少し思案してからクリスは答えた。
「あの時の皆に必要だったのは、どんな困難にも立ち向かっていける強いリーダーだった」
そう語るクリスの目には、ここにはいない誰かの姿が写っているように見えた。
恐らくそれは、クリスの父や兄の事だったのだろう。
「それは、女の身では不可能な事だったのさ」
少しだけ落胆した表情を見せたクリスに、失言であったことを悟る。
俺が言わずとも、そんな事クリスは散々考えただろうに。
会話が途切れ、暫し沈黙がその場を支配する。
闇の帳が降りた場内には音も無く、髪を揺らす穏やかな風だけが流れていた。
「本当は、墓場まで持っていくつもりだった」
静寂を、クリスの溢れ出す言葉が打ち破る。
「誰に理解されずとも良い、なんて考えていた筈だった」
そう告げながら、次第にクリスはこちらへの距離を詰める。
「だが、君には……君だけには知っていて欲しかったんだ」
いつの間にか、手を伸ばせばすぐ届く所までクリスは近づいていた。
暖かい吐息が頬を撫で、潤んだ瞳がじっとこちらを見つめている。
独特の緊張感が背筋を通りぬけ、周囲の時間が静止した感覚に陥る。
「嘘偽りの無い、本当の私を」
全てを話し終え、心からの笑顔を浮かべるクリス。
今まで気付かなかったけど、こんな綺麗に笑う女の子だったのか。
それから暫く、俺達は見つめ合ったままその場で静止していた。
どれくらい経過しただろうか、正確に測ればほんの数分だったかもしれない。
感覚的には数時間にも数日にも思える時間の後、ゆっくりとクリスはその体を離した。
「すまない、急にこんな事を話して混乱させてしまって」
おずおずと言葉を紡ぐクリスの頬は薄っすらと朱に染まっており、明らかに照れているのが分かる。
だがそれを誂う余裕は無い、多分こちらも同様の表情をしているだろうから。
「君は気にしなくて良い、私が勝手に喋っただけなのだから」
最後にそう告げ、早足でクリスは去っていった。
後に残された俺に残ったのは、秘密を打ち明けられる程クリスに信頼されていた事への誇らしさと、いかにもという場面で気の利いた発言が出来なかった事への口惜しさ。
クリスの事は気の置けない友人だと思っていたけれど、これからは一人の女の子として考えなければいけないのかもしれない。
まだまだ恋とか愛なんて事はよく分からないけど、クリスを大切に想う気持ちは確かに感じるから。
一人、決戦に向け新たな決意を固める。
視界に映る夜空の端は、既に白み始めていた。
※
最早眠るのを諦め、早朝の散歩を決め込んだ俺は、背の低い雑草が生い茂る中庭を一人散策していた。
朝露が名も知らぬ草花の葉から落ち、明け方独特の済んだ空気が当たりを包んでいる。
「カムロ……さん?」
と、不意に背中に声が掛けられた。
振り向いたそこにいたのは、寝間着姿のままのミルド。
可愛らしいフリルの付いたそれは、ミルドの貴やかな美しさとは間逆な印象を受けるが、それがかえってアンバランスな魅力を放っている。
「なんだか目が醒めてしまって……」
そう話すミルドも、俺と同様に寝付けなかったようだ。
明日……もう夜が明けてしまって今日だが、全ての運命が決する戦いが始まると聞いて平常心でいられる者のほうが少ないだろう。
二人揃って簡素な長椅子に腰を下ろし、最初は他愛もない会話に興じていた。
そうでもしないと、目の前に迫った現実に押し潰されそうだったから。
だがそれも長くは続かない、次第に会話は途切れ途切れになり、十分もしない内に俺達の間には重苦しい沈黙が横たわっていた。
そんな空気を霧散させたのは、不意に告げられたミルドの言葉。
「私を、連れて行ってもらえませんか」
その言葉は、胸の奥底に秘めた堅い決意。
切実な、心からの願いだった。