第四十四話 降り注ぐ絶望
アルグネウター海賊団の協力を得て潜入したドルガスト城、その一室でエリスと再会した俺達は、驚くエリスに今の状況を説明していた。
「私の為に、そんな危険を冒して……」
服装こそ普段どおりであるものの、ずっとこの部屋に閉じ込められていたらしいエリスは、かなり心労が溜まっているようだった。
流石に自分が処刑されることは知らなかったとはいえ、何か不穏な動きを心のどこかで察知していたのかもしれない。
こちらの話を聞き終え、うつむきながら瞳を潤ませてじっと感じ入っている。
「本当に、ありがとうございます」
暫しの沈黙の後、涙を拭って礼を言ったエリスは、何時もの気丈さを取り戻しているように見えた。
少し紅潮したままの頬と、見開かれた凛々しい碧眼が調和を持った美しさを放っている。
やっぱり綺麗だ、エリス。
「別に俺は……自分に出来る事をしただけだから」
こちらと言えばすっかりそんなエリスに見惚れてしまっており。
照れる気持ちを抑えつつ、控えめに頷き返すしか出来なかった
「それにしても、良くお似合いですね」
落ち着きを取り戻したのか、エリスはこの格好に目を遣る余裕も出てきたようだ。
「……格好についてはあまり気にしないでくれ」
もっとも、男のメイド服なんてものはあまり見られて嬉しくは無いのだが。
「は、はぁ」
苦虫を噛み潰したかの如き反応に、エリスも複雑そうな笑みを返すのみだった。
可能であればいつまでも話したい所であるが、そう悠長にしてはいられない。
見張りの帝国兵が不審に思う前に、さっさとここを抜け出さなければ。
「どうやってここから脱出を?」
エリスもそれは分かっているようで、話を切り上げて脱出へ意識を向けていた。
「ちゃんと考えてある」
そんなエリスが少しでも安心出来るように、敢えて大げさに頷いてから脱出方法を話し始める。
※
「エリス様、どちらへ?」
部屋を出ようとする俺達に、見張りの兵士が問い掛ける。
「少し花を摘んでくるだけです、ご心配なく」
「道案内は……」
兵士の前へ進み出て、優雅に一礼してから話し出した。
「私が行いますわ」
練習の成果でどうにか女声を出せたが、正直喉がかなりキツイ。
付け焼刃の技能ではあったものの、俺はこの場面で問題無くメイドを演じ切れていた。
喋り方や動作等、見るものが見れば普通のメイドと違いを見抜けたかもしれないが、只の兵士にそれを求めるのは酷だろう。
「そうか、失礼の無いようにな」
全く不審を抱いていない様子の兵士に一礼し、エリスを連れて城の廊下へ歩き出した。
まずは第一関門突破、と言った所だろうか。
「凄いですね、本当のメイドにしか見えませんでした」
そう言って目を輝かせるエリス。
「はは……」
無邪気に感心するエリスを見て、心の中では複雑な感情が湧き上がっていたが、今はそれに構っていられない。
後は来たときと同じ要領でエリスを透明にして、適当に騒ぎを起こせば……
と、俄かに城内が慌しくなり始めたではないか。
もう事が露見してしまったのだろうか? だとしたら、余りに速過ぎる……
緊迫する俺達の耳に届いたのは、全く予想外の言葉。
「大変だ! 反乱軍が攻めてくるぞ!」
「まさか、ジングさんか……!?」
実はここに潜入する前に、ジングさん宛てに手紙を出しておいたのだ。
一応の備えとしてのものであり、あまり期待してはいなかったのだが、存外良い結果になったということか?
騒ぎに乗じて城を脱出し始めた俺達には目も暮れず、城内では幾人もの兵士達が慌しく走り回っていた。
※
カムロがエリスと出合う少し前、帝都近郊の丘陵地帯には、エリス奪還の為に革命軍達が集合していた。
実の所、革命軍はエリスが帝国に捕らえられた事自体はカムロ達より前に知っていた。
いくら帝国軍でも革命軍の盟主であるエリスに手荒な真似はしないだろうと見込んで、革命軍は交渉によって事態を解決しようと動いていたのだが。
現地の斥候の情報でエリスが処刑されることを知り、またカムロの手紙も駄目押しとなって、一気に革命軍は殆どの兵力を帝都へ動員していた。
場合によってはこのまま帝都を制圧する事も想定しており、全軍の士気は非常に高いものだった。
「帝国の悪逆非道、これ以上許しておく事は出来ん!」
エリスの代わりに臨時盟主となった革命軍の武将が、意気も高く兵士達へ檄を飛ばす。
「これより我ら革命軍全部隊を持って、帝都ドルガストへ奇襲を掛ける!」
また別の将は、天高く自らの武器を掲げ、居並ぶ兵へ気合を入る。
「おおー!!」
それに答える兵達の怒号が、地鳴りになって周囲一体に響き渡る。
列を成す戦意が、放たれる寸前の引き絞られた矢の如く充満していた。
※
反乱軍動くとの報告を受け、ドルガスト城の謁見の間では、帝国の将達が頭を突き合わせていた。
「敵は十数万の大兵力、このままでは……」
現在帝都に残っている兵は敵の半分程。
長く続く戦乱によって戦意も低く、物資も尽きかけているのが帝国軍の現状であった。
「フッ……ハハハハ!!」
そんな重苦しい空気を破ったのは、唐突に発せられた皇帝の笑い声。
まるで風船が破裂したかの如く激しいその声が、荘厳に粧飾された謁見の間に響き渡っていく。
「陛下……?」
突然の哄笑に、将校達の間に困惑と動揺が広がっていく。
この追い詰められた状況に、強靭な精神を持つ皇帝もとうとう気を違えてしまったのだろうか。
「ここまで思い通りに事が運ぶとは、全く……」
数分間もの間笑い続け、ようやく口を開いた皇帝の顔は、これ以上ない程の喜色に彩られていた。
尖った歯を露わにした凶悪な笑みは、獰猛な肉食獣が獲物を見付け牙を振りかざす寸前の如く。
「ベルナルドに連絡を取れ」
伝令の魔導兵に指示を出して繋いだのは、帝都とは離れたある場所のベルナルド。
「これはこれは陛下、何か言い忘れた事でも?」
突然の連絡に、少し慌た様子で答えるベルナルド。
「今すぐ『ジッグラト』を発射させろ」
「はっ?」
珍しく、皇帝が告げた言葉に信じられないといった様子で聞き返すベルナルド。
その声には全く飾り気も無く、ベルナルドの心からの動揺を伺わせるものだった。
「聞こえなかったのか? 今すぐ『ジッグラト』を起動させ、帝都に迫る芥共を殲滅しろ」
それを歯牙にもかけず、皇帝は冷徹な口調で続ける。
「先日の貴様の報告では、既に『ジッグラト』の発射は可能なのだろう?」
濫觴とは、数日前謁見の間でベルナルドが皇帝に報告していたとある兵器。
エリスの指輪から得られた情報と、今までの人造召喚獣の経験を活用し作成されているもの。
「しかし……まだ試射すらしておらず……」
「我に逆らう気か?」
口を濁すベルナルドに対し、皇帝は更に強い口調で続けた。
それは、拒否を全く許さない冷厳な命令だった。
「……いえいえ、滅相もございません」
その言葉の前には、流石のベルナルドは承諾するしかなかった。
渋々と言った様子で了承が返され、通信が切られる。
※
――エメンアンキ島
帝都から少し離れた領海内に存在するこの島は、近年までは只の荒れ果てた無人島であった。
しかし、数カ月前から突如開拓が始まり、ベルナルド率いる帝国軍最新軍事技術研究所によって巨大な構造物が建築されていた。
広さにすれば数十Km程しかないこの島の大半の面積を使って作られたそれは、一見すれば天を貫くように聳え立つ黒い塔。
高さにすれば数百メートルは軽く超えるそれは、中空状の円筒構造をしており、砲弾を発車する大砲のようでもある。
だが、これ程の大きさを持つ砲弾など帝国軍には存在しておらず、またそれだけの重さを打ち上げる技術もない。
何より、こんな辺鄙な場所に大砲を作った所で、得られる戦火は微々たるもの。
常識的に考えれば、この建造物は全くの無駄としか言いようのない物であった。
塔の下部に、塔の極大な大きさからすれば見落としてしまいそうな程小さな建物が隣接している。
帝国の建築様式で作られた無骨なそれは、この兵器を制御する制御室と呼べるものであった。
等間隔に長机が並べられ、整然とした印象の制御室の中では、白衣を着た研究員達が慌ただしく走り回っている。
「ふぅ……いくら皇帝陛下とはいえ、無理難題を仰られる」
その奥、一つだけ離れた場所にある小さな机の前で、くたびれた白衣を着た乱雑な髪型の男が溜息を付いていた。
「本気ですか所長、本気でこれを撃つおつもりで!?」
その周囲を何人もの研究員達が取り囲んでいる。
研究員達は誰もが激昂した面持ちで、白衣の男、ベルナルドへ詰め寄っているようだった。
「ああまで言われてしまえば仕方ありませんよ、あなた達も反逆罪で処刑されたくはないでしょう?」
その研究員たちに対し、どこか諦めた様子で返すベルナルド。
弱々しく吐出されたその声には、普段の余裕ある態度も感じられない。
「まあここで死ぬのなら、処刑されるよりは苦しまずに逝けるのが救いですかね……」
そう呟いたベルナルドの背後で、聳え立つ漆黒の円筒が不気味に胎動を始める。
※
最初に異変に気付いたのは、エリスの指輪をポケットに入れたままの俺だった。
「指輪が……熱い!?」
不意に腰部に痛みが走り、原因と思われる指輪を取り出せば、それは何かを警告するように赤く点滅していた。
「何だこれ……」
それに戸惑う暇もなく、札に入ったままの相棒から、困惑した声が図中に響き始めたのだ。
「どうした、大丈夫か相棒?」
「分かんない、分かんないけど……怖いよ!」
普段とはまるで違う、心からの恐れに包まれたその声を聞き、俺の心中も言いようのない不安に包まれる。
※
――同時刻、エメンアンキ島では、研究者達が必死の形相で作業を進めていた。
「『ジッグラト』発射手順に入ります!」
祈るような言葉と共に、円筒内部が光に包まれていく。
「充填開始……十……三十……」
その光は次第に輝きを増し、周囲には地鳴りのような振動が発生する。
「無茶ですよ、もう砲身が持たなくなってます!」
その言葉にベルナルドが円筒を見れば、分厚い筈の外郭に罅が走り、光が漏れ出していた。
「五十……六十……」
「仕方ありません、八割の出力で発射します!」
額から汗を流したベルナルドが、髪を振り乱して叫ぶ。
制御室の中では、次第に強まった振動が、はっきりとした揺れとなって机や椅子を薙ぎ倒し始めていた。
「充填率、まもなく八十です!」
「『ジッグラト』発射!」
悲鳴のような研究員の言葉に反応し、ベルナルドが勢い良く右手を振り下ろす。
その瞬間、圧倒的な光量を持った光の矢が、鼓膜を劈く咆哮を挙げて解き放たれた。
※
あるものが見れば、それは空から落ちる流星だと思ったかもしれず。
またあるものが見れば、それは天を貫く光の柱に見えていたかもしれない。
信心深いものであれば、神によって下された人々への裁きに感じ取れただろう。
「空が……割れる!?」
ドルガスト城の中庭でそれを目撃したカムロが想起したのは、馬鹿馬鹿しいSF映画に出てくる空想の巨大兵器だった。
一旦空に登った巨大な光の塊は、意志を持つが如く真っ直ぐに宙空から降り注ぐ。
そこは、今まさに帝都へ進行しようと反乱軍の兵が気勢を挙げていたいた場所。
彼らは幸運だったかもしれない、苦しむこともなく、自身に起きた出来事を知覚すらせずにその生を終えることが出来たから。
光が消えた後には、只円筒状の窪地が広がるのみで、かつてそこに十数万もの人間がいた事を思わせる痕跡すら無い。
数Km程広がる真っ更な大地は、凄惨な虐殺の後であるにも関わらず、荘厳な美しさすら感じ取れるものであった。
「これより始まるのだ……我の、我が為の世界が!」
人智を超えた破壊を引き起こし、皇帝は満足そうに嗤う。
一人の男の瞻妄は、この世界全てを包み込もうとしていた。