第四十話 二人の姫
コントウナへ平原の戦いから数日後、エリスは一旦ルミレース城へ戻っていた。
正式に帝国との和議は為っていないものの、既に双方に戦意は無く、両軍の間では実質的な休戦状態が続いている。
革命軍内は決戦の勝利に俄かに活気付いており、好戦的な将校の中にはこのまま一気に帝国を滅ぼしてしまえ、と言い放った者も居るという。
そのような状況で革命軍のトップであるエリスの仕事は減るどころか更に増え、昼も夜も無く働き詰めの状態であった。
そんなとある日、ルミレース城最上階の自室で束の間の休息を過ごしていたエリスの元に、思わぬ訪問者が訪れる事になる。
※
時刻は昼下がり、昼食後一人自室で寛いでいたエリスは、不意に鳴ったノック音に意識を取られた。
部下が何か報告を持ってきたのだろうか、余り気は進まないが、火急の用件であれば仕方が無い。
そう判断し、エリスはお付のメイドに扉を開けさせた。
「失礼します」
そこに立っていたのは、帝国式の正装に身を包んだ美しい女性。
髪と、鮮やかな青色のドレスが調和を醸し出しており、本来の魅力を更に引き出しているように見える。
目立つような飾りは付けていないものの、女性はそこにいるだけで希少な芸術品のような存在感を放っていた。
「貴女は……!?」
見忘れるはずも無い、彼女はエリスがコントウナ平原で出会った人物の内、最も印象に残った帝国の姫。
ドルガス帝国皇女、ミルグレド・トリス・ドルガスその人であった。
「不躾な訪問、誠に失礼致します、エリス様」
礼儀正しく頭を垂れて挨拶するミルドに、エリスも慌てて挨拶を返す。
だがエリスの脳内は、突然現れた帝国の皇女によって混乱の極みにあった。
「申し訳ありません、休戦条項についてはまだ……」
どうにか思考を回転させ、訪問理由を推測して話し出すエリス。
「誤解しないで下さい、今回私が訪れたのは、あくまで私用なのです」
そんな明らかに動揺したエリスの反応に、ミルドは少し申し訳無さそうに答える。
「休戦云々に関しては、帝国でもまだ本国で議論の最中ですから」
「それでは、何故ここに?」
軽く笑ってそう言うミルドに、エリスは呆気に取られ、思わず質問を投げ掛けていた。
「貴女とお話をしたかったのです、似たような立場の同い年の女性であり、また、同じ少年に助けられた経験を持つ、貴女と」
真剣な表情で訪問理由を告げるミルドを、エリスは困惑した視線で見つめていた。
※
自室テラスのテーブルにエリスが何処か落ち着かない様子で腰掛けようとした、その時。
「そうだ、お話の前に……紅茶をお入れしますね」
突然何かを思いついたように両手を叩いたミルドは、いそいそと給仕の準備を始め出した。
「あ、いえ、お構いなく」
戸惑うエリスを他所に、ミルドは自信たっぷりに答える。
「入れさせて下さい、これでも結構上手なんですよ」
「は、はぁ……」
帝国の皇女であるミルドにとってここは敵地である筈、だがミルドは、まるで隣の家に遊びに来たかのように振舞っていた。
全く緊張感の無いミルドの様子に、エリスの表情も次第に和らぎ始めていた。
それから暫し、二人はあの少年の事について談笑していた。
二人にとって共通の恩人であり、互いにそれ以上の感情を抱いている少年、カムロ・アマチの事について。
「そうですか……貴女もカムロさんに」
「彼が居なければ、今ここに私は存在出来なかったでしょうね」
感嘆した様子のミルドに、エリスは少し驚いた様子で答える。
知らない所で彼がそんな出来事を経験していたとは。
「てっきり彼はサモニスに戻ったものとばかり思っていましたけど、あの手配書を見た時は本当に驚きましたよ」
あれからカムロの手配は、ミルド直々のお達しにより取り消されていた。
だが誰の指図による物だったか等、背後関係は分からず仕舞いで、その真相は未だ闇の中であった。
「詳しくは聞いていないのですが、帝国に辿り着く前にも色々な冒険をされてきたそうです」
「なんとなくですけど、その光景が想像出来ます」
カムロの愉快な旅路を想起し、エリスは微笑を浮かべていた。
あの赤髪の少女にどやされているカムロが、まるでそこにいるかのようにエリスには想像出来ていた。
「貴女の事も聞いたんですよ、とても聡明で綺麗なお姫様だって、お話の通りでしたね」
「いえ、そんな……」
急に振られた自身への評価に、顔を赤らめ、両手で顔を覆い隠して照れるエリス。
その様子を、微笑ましげにミルドは感じ取っているようだった。
「今度は私から聞いても宜しいですか」
暫しの沈黙の後、ミルドの方から口が開かれた。
「あ、はい」
「えっと、まずは――」
それから話は、マーム独立運動時に移る。
エリスは時に熱っぽく、時に情緒的に、時に恍惚としながらカムロの活躍をミルドに語っていた。
「カムロさんらしいですね」
「優しくて、大胆で、自然体で……それから」
「「女の子に優しい」」
意識せずに二人の言葉が重なる。
恐らくこちらの世界に来てからのカムロに接した女性は、ほぼ全て同様の感想を抱いていたであろう。
本人にそこまで露骨だという意識は全く無いのだが、他人の目から見ればそれは火を見るより明らかであった。
「ミルドさんもそう思います?」
「ええ、多分誰だって彼に会えばそう感じる筈です」
「彼の良いところなんですけど、ちょっと見境が無いというか……」
「確かに、長所では有るんですけどね……」
そう言って互いに苦笑する二人。
穏やかな日差しの中で、暫しゆったりと二人は楽しげに歓談していた。
「もうこんな時間ですか」
「本当ですね、日が暮れ始めてきました」
気がつけば時刻はすでに夕時。
窓からは西日が差し込んでいた、予定ではほんの一二時間程の休息だった筈が、二人共時を忘れて語り合っていたのだ。
「あのっ、今日は楽しかったです」
「ええ、私もとても有意義な時間を過ごせました」
頬を上気させて話す二人は、堅苦しい公の立場から離れ、只の少女としての朗らかな笑みを見せていた。
「もし宜しければ、また……」
「はい、是非!」
名残惜しそうに手を握り合い、ミルドはエリスの部屋から去っていった。
※
帝都ドルガストに建立されたドルガスト城、豪壮で雄大なその城の丁度中央部、正門から場内に入って直進した突き当たりに、ドルガス皇帝への謁見の部屋がある。
そこは部屋と呼ぶよりも、広間や講堂と呼ぶほうが相応しい空間が広がっており、所狭しと豪華な芸術品や調度品で飾り付けられていた。
部屋の中央奥、絨毯の敷き詰められた通路から何段も高くなった場所に、一際豪華な装飾が施された椅子が置かれている。
常人であれば只見る事でさえ心苦しくなるようなその椅子に、漆黒をの闇を思わせる黒い鎧姿の男が我が物顔で座っていた。
険しい表情をしたその男こそ、ドルガス帝国皇帝、グレン・フォン・ドルガス。
皇帝の椅子へ続く中央の通路では、何人もの帝国将校や文官が、列を成して皇帝へ頭を垂れていた。
その全員が過剰なほど畏まっており、自国の領内だというのにまるで四方を敵に囲まれたかのような怯えきった形相をしていた。
「――という事情でありまして、反乱軍との戦闘を継続するのは困難かと」
その列の先頭で、辛うじて平静を保って報告し終えたのは、ドルガス帝国第一皇子、デュークハイム・グリツ・ドルガス。
コントウナ平原での戦いから帰還した将兵達を代表し、反乱軍との休戦を上申していたのだ。
「そうか……下がってよい」
「はっ」
無表情で返答した皇帝に見送られ、少し安堵した表情で謁見の間から去っていったデュークと将兵達。
全ての者が去った後、皇帝は億劫そうに溜息を一つ付き。
「フ……あれはもう使えんな」
誰に聞かせるでもなくそう呟いた。
その声の中には、深い失望の色がありありと現れている。
「これはこれは、自身の息子でありながら随分と厳しい評価じゃのう」
それに答えたのは、皇帝の背後から音も無く現れた老人。
枝垂れ掛かる柳のような灰色の髪と、顔に深く刻まれた年輪の如き皺が、その人生の重みを物語っている。
老人の名はキレーヌ・グリムモア、既にとうの昔に引退した帝国軍人でありながら、相談役として皇帝を補佐している。
誰もが恐れる皇帝に対し、キレーヌはまるで子供を諭すように、極めて親しげに話し掛けている。
「息子であろうが何だろうが、使えない駒は切り捨てるのみだ」
それを咎めることもせず、皇帝は淡々と吐き捨てた。
「お主のそういう所、為政者としては一流だのう」
「が、もう一人は使えるやも知れぬ」
キレーヌの皮肉には答えずに、よく見れば分かる程度に少しだけ目を細めて告げる皇帝。
「ミルド嬢は確か、お主に逆らって幽閉されていた筈では?」
「だが、今度の戦を止めたのはあれらしい」
「ほぉ……お主の娘らしい所が出て来たではないか」
皇帝の言葉を聞き、頬を緩めて興味深気な表情をするキレーヌ。
「それで、これからどうする?」
「このまま有象無象に頭を下げるとでも?」
「ま、考えるまでも無いのう」
「帝国に後退の二文字は無い、同時に、敗北の二文字もな」
そう言い放ち、皇帝は立ち上がって意気を上げる。
皇帝のぎらぎらと光る瞳にの中は、未だ消えることのない野望の炎が、暗く激しく燃え盛っていたのだった。