第三十八話 現出する悪意
帝国軍本陣の奥、簡易的ではあるが豪華に飾られた総大将の間で、ミルドとデュークは向かい合っていた。
実に十数年ぶりの再開にも関わらず、実の兄妹であるはずの二人の間には、独特の緊張感が漂っているように見えた。
「お前は、こういった事が嫌いではなかったのか?」
一切気を緩めず、鋭い眼光を保ったままでデュークは問いかける。
「ええ、だからこそここに来たのです」
ミルドも怯まず、毅然とした代度を保ってそれに答えた。
「お前が何を言おうと、父上と同様に私の心は動かんぞ」
ミルドが父である皇帝に何度も意見し、その度に却下されていた事をデュークは知っている。
であればこそ、既にミルドは全てに興味を無くした物として、只政略結婚の道具にでもなると考えていたのだ。
そのミルドが、こうやって直に戦地に訪れている事に、デュークは内心驚愕を覚えていた。
しかし、その感情を表に出す事はしない。
皇帝から直々に戦場を任された身として、自身の責任を果たす決意に少しも揺らぎはなかった。
だが。
「私は、只感情論で争いを止める様にと言いに来たわけではありません」
「ほう……」
更に続いたミルドの言葉に、思わずデュークは虚を突かれてしまう。
デュークが知っている筈の今までのミルドからは到底考えられない発言だった。
「お兄様は、このまま戦いを続ける事が本当に帝国の為になるとお考えですか?」
その隙を逃すまいと、ミルドは畳み掛けるように話し続ける。
「実際帝国は戦いによって版図を広げ、大きく成長する事が出来たではないか」
「それと同時に、蹂躙された者達からは恨みを買い、共和国とも終わりの見えない争いに突入しています」
一瞬の沈黙が二人の間を包み、空間に名状出来ない思念が渦巻く。
逡巡の後、ミルドは更に熱を帯びた口調で話し出す。
「兄様は実際にその目で帝国の民と触れ合っていますか? 私が出合った民は、誰もが果てしなく続く戦いに疲れきっていました」
ミルドの脳裏に浮かぶのは、カムロと共に歩いた帝国領内の様子と、自身の命を奪わんと襲い掛かった帝国兵達。
短い間ではあったが、それだけに強烈な印象をミルドは抱いていた。
それはミルドの心中で重みを持ち、確かな意思に変わっていたのだ。
「その帝国の無謀な侵略の結果が、今私達の帝国を脅かそうとしている反乱軍なのではないですか?」
「反乱軍なぞ恐れるに足りん、この戦いなら既に我々の勝利が決まっている」
先程までの戦況では帝国軍が有利であり、このまま順調に推移すれば、程なくして帝国勝利の結果に終わるとデュークは考えていた。
しかし。
「それは……どうでしょうか」
「何?」
不意に意味深な態度を取ったミルドを見て、デュークが戸惑いを見せた、その時。
「た、大変です!」
本陣に飛び込んできた伝令はデュークと向かい合うミルドが視界に入っていない程の慌てぶりで、デュークに急接近して手短に状況を伝えた。
「馬鹿な、先程まで我々が圧倒していたのだぞ!?」
その報告を聞き、俄かにデュークの表情から余裕が消える。
「信じ難い事ですが、どの伝令も同様の報告を伝えており……」
そのやり取りを目にし、ミルドがうっすらと笑みを浮かべていた。
「これは貴様の差し金か、ミルグレド!」
にわかに高まった緊張に、赤毛の少女が素早く反応する。
それは、カムロからミルドの護衛を頼まれた相棒の姿であった。
だがこれまたカムロから頼まれあの無口な少女を背中に担いでいるその格好は、場面に似合わない長閑なものでもあった。
激高するデュークとは対照的に、ミルドは安堵した様子でぽつりと呟やく。
「やってくれたようですね、カムロさん……」
誰に聞かせるでもないその言葉は、戦場に居る筈のあの少年へ向けられたものだった。
※
コントウナ平原中央部、先程まで帝国軍と革命軍の戦いが繰り広げられていたそこに、通常の戦争ではありえない光景が広がっていた。
白銀の鎧騎士は帝国騎乗兵の繰り出す突進を弾き返して前進し、氷晶の体をした蒼狼と白炎に包まれた神馬が居並ぶ重装兵をなぎ倒す。
上空では、居並ぶ帝国兵の撃ち放つ魔導弾や銃弾を意にも介さず、深緑の巨鳥が悠然と天空に浮かんでいる。
その魔物達の中心にいるのは、反り返った刃を持つ禍々しい片刃剣を右手に、巨大な宝石をあしらえた漆黒の魔杖を左手に構えた少年。
一振りで全てを薙ぎ払う太刀の如く、眼下の帝国兵達に大翼を向ける目の前の巨鳥に、右手を下ろして指示を出す。
「優雅なる旋風! ……弱めに!」
俺の言葉に従って、巨鳥は躊躇いがちに突風を巻き起こす。
丁度装備を壊す程度の風がそれなりに帝国兵達を吹き飛ばしていった。
「本気は出さなくて良いからな」
同様に周囲で帝国兵と戦う魔物達にも、手を抜いて人命を奪わないように指示を出していく。
敢えて弱い攻撃をさせるなんて、ゲームの頃じゃ考えられないな。
そうでもしないとあっという間にスプラッターな光景が広がっちゃうから仕方ないんだけど。
ミルドに言われたからって、わざと手加減して戦うのも難しい物だな。
そりゃミルドにとっては自分の国の人間なんだし、無駄に死んで欲しくないのは分かる。
だからって、手加減なんてする必要あるのか?
帝国軍はあの時手加減なんてしなかった、無差別に学校やキルストを襲い、父さんや母さんやみんなを……
「って、何考えてんだ!」
いつの間にか危険な思考に陥っていた事に気付き、慌てて考えを中断した。
急に首を振って大声を出した俺に、近くにいた蒼狼がギョッとした反応を見せる。
軽く手を振り、何でもないと仕草で伝える。
慣れない作業に手間取り、知らず知らずのうちに鬱憤が溜まったらしい。
ここで戦っている帝国兵にはあの時のことは関係ないし、そもそも帝国軍をいくら倒したからって居なくなった人が戻って来る訳でもないのに。
意識しないようにしてたが、忘れようとして忘れられる物でもない……か。
視線を向けずに左手の魔杖を軽く揺れ動かして、こちらに襲いかかろうとしていた帝国兵があっさり無力化されるのを確認し、一人溜息を付く。
遠くで繰り広げられている戦いの派手さとは対照的に、心は言いようのない虚無感に包まれていた。
※
それから程無くして戦いは終わり、戦意を喪失した両軍はそれぞれの陣地へ引き上げていった。
休戦など色々な手続きは後日行われることになったらしいが、そこまで事態が進めばもう関係の無い事だろう。
戦闘が終わったことを確認した後、相棒と無口な少女を伴い、俺は誰にも告げずにルミレース近郊の川辺、野営をしていた場所に戻っていた。
あれだけの決戦のまっただ中に飛び込んで大暴れしたのだ、深く考えなくても面倒なことになるのは目に見えていた。
エリスやミルドの事は心配だが、二人共外見以上にしっかりしてるし、多分大丈夫……だよな。
既に目的であるエリスの指輪は取り返したし、後はこれをエリスに返して、それからは……まあその時考えればいいか。
そんな事を考えながら、俺は一人夕暮れの河原に座り込んでいた。
「お前は」
と、不意に背中から声が掛けられた。
「え……?」
驚いて首を向けると、背負っていたあの少女が目を開けてこちらを見ているではないか。
余りに反応がなくて忘れかけていたが、魚を取りに行っている相棒の代わりにあの少女を背負っていたんだっけ。
「起きてたのか?」
「お前は、どうしてこんな事をするのだ?」
こちらの質問には答えず、少女は質問を投げかける。
「こんな事って?」
「あれだけの戦功を立てながら、何故お前は何の対価も求めない?」
「それは……」
澄んだ藍紫色の瞳でじっと見つめる少女を見て、別に何か褒美が欲しくてやった訳じゃない、というありきたりの言葉では納得して貰えないように思えた。
もっと何か、心の深い部分にある答えを求められているような……
と、不意に目の前の空間が一瞬、万華鏡のように揺らいだような、視界がぼやけた気がした。
揺らぎが収まったそこに現れたのは、全く予想外の人物達。
「見つけたぞ、裏切り者!」
何の前触れもなくこちらの周囲を囲むように立っていたのは、不気味な文様の刻まれた仮面を付けた一団で――