第三十五話 再会
革命軍の陣地からコントウナ平原を挟んで丁度向かい側、帝国軍の本陣中央では、来るべき決戦に備えて帝国軍人達が顔を付き合わせている。
武将達は長机を挟み、一際豪華な椅子に座る男の前で二列に並んでいた。
重厚な鎧に身を包んだ男の脇に立て掛けられているのは、豪壮な飾りの付けられた巨大な斧。
この男こそ、ドルガス帝国第一皇子、デュークハイム・グリツ・ドルガス。
皇帝から決戦の総指揮を任され、自ら最前線に出ていたのだ。
「共和国ではなく、有象無象の反乱軍如きに帝国が脅かされるとは……」
戦況を示す幾つもの記号や文字が書き込まれた地図を見つめ、苦々しげに呟くデューク。
盛況を誇った筈の帝国軍だが、反乱軍はそれを上回る数の軍勢を動員していた。
それは転じて、帝国の強権がいかに疎まれていたかということを表している。
各地で募った帝国に対する憎しみが、反乱軍に加わる兵士たちを増やしていたのだ。
「数ばかり多い烏合の衆相手、何を恐れる必要が有りましょうか」
武将の一人が余裕たっぷりに腕組みをしながら発言する。
幾度と無く敗戦を重ねても、未だ帝国内部には反乱軍を軽視する傾向が残っていた。
元々大国として認識していた共和国ならいざ知らず、反乱軍なぞ一度は帝国に負けた過去の国の集まり、という認識の兵も少なくはないのだ。
「そうやって奴らを侮り続けた結果がこれなのだぞ!」
それに対し、机を拳で叩き付けて怒りを露わにするデューク。
「で、ですが今回は違います、確かに数の上では不利でしょうが、奴らに本格的な合戦の心得があるとも思えません」
憤懣やるかたないデュークを前にして、慌てた様子で別の武将が答える。
実際反乱軍は今までゲリラ戦や小規模な戦いを繰り返して帝国軍と渡り合っており、帝国軍と真っ向からぶつかり合う展開は避けていた。
「乱戦になれば、戦慣れした我等に勝機が確実にあります」
帝国軍の本分は、大規模な兵力を用いての野戦にあった。
切り札の人造召喚獣の性能も、どちらかと言えば平地で力を発揮するものだ。
幸いにして決戦の地は草原の広がるコントウナ、多少兵力に劣っていたとしても、帝国が勝つ可能性は十分にあると言えた。
「皇都を目の前にして負けは許されん、今回は私も前線に出る」
その楽観的な見方を肯定も否定もせずに、デュークは立ち上がって宣言する。
「デューク様自らが戦場に出られるとは……」
総大将自らの出陣に色めき立つ武将達。
「この戦いに帝国の運命が掛かっているのだ、貴公らも決死の覚悟で望んでもらいたい!」
その動揺を鎮めるかの如く、強く拳を握ったデュークは地の底から響くような大声で叫ぶ。
「は、ははーっ!」
その気迫に圧倒され、全ての武将達は深々と頭を下げていたのだった。
出撃の準備を進めるデュークの元に、背後から声が掛けられた。
「随分と気合が入っておられるようですね」
「貴様は……ベルナルドと言ったか」
慇懃無礼な態度で話すのは、薄汚れた白衣を身につけた男。
帝国軍最新軍事技術研究所所長、ベルナルド・ミドキズである。
「皇太子殿下の記憶に留めて頂けているとは、光栄の極み」
歯の浮くような台詞を言いながら、ベルナルドは深々と頭を下げる。
「それで、私に何の用だ」
不機嫌さを隠さずに応対するデュークの反応をまるで意に介さず、ベルナルドは更に続けた。
「この戦い、私の出撃も許可して頂きたいのです」
「貴様が……?」
「私の自信作を携えて馳せ参じましたゆえ」
訝しむデュークに対し、自信に満ちた笑みを浮かべるベルナルド。
「使えるのだな?」
「それはもう」
「……勝手にするが良い」
研究者であるベルナルドが前線に出る事に、不自然さを感じたものの、戦力になるのであれば断る必要もない。
デュークはこの時点ではそう考えていた。
「有り難き幸せ」
もう一度わざとらしく深々と頭を下げ、ベルナルドはデュークの前から去っていく。
戦場へと向かうその口元には、狡猾な蛇を思わせる笑みが浮かんでいた。
それから程なくして、両軍はコントウナ平原で激突する。
後に歴史の転換点とも言われる大会戦、それの火蓋が切って落とされたのだ。
※
反乱軍の本陣では、慌ただしく何人もの兵士が動き回っている。
その中央で伝令の兵から報告を聞いているのは、軽鎧に身を包んだエリスの姿。
「戦況は?」
「各々奮戦しているようです」
既に決戦が始まってから半刻程が経ち、平原の至る所で帝国軍と革命軍はぶつかりあっていた。
「しかし、野戦での強さは流石帝国と言った所で……」
「苦戦しているのですか?」
「今の所、大規模な損害は受けておりませんが」
厳格に統率された帝国軍と違い、革命軍は士気の高さと比例して統制に難を持っていた。
それが今回のような決戦の場では不利に働き、革命軍は思うように数の多さを活かせていなかった。
「この戦いの勝利で全てが変わるのです、出し惜しみせずに戦力を投入してください」
「はっ!」
エリスは毅然とした表情で走り出す伝令兵を見送る。
心中に不安はあれど、それを顔に出すことが許される場面ではないことをエリスは理解していた。
「エリス様、た、大変です!」
そのエリスの元に、前触れもなく慌てた様子の兵士が駆け込んだ。
その甲冑は所々が砕けており、至る所から血を流した満身創痍の状態だった。
「落ち着いて下さい、何事ですか?」
「き、巨大な黒い何かが、突如現れ……」
敢えて優しい口調で話し掛けるエリスに、兵士は恐慌に陥った青い顔で震えながら答える。
「この音は……!?」
と、その時。
巨大な駆動音と共に巨大な地響きが辺りを包み、激しい揺れが本陣を襲った。
「あれです、あれが我らを……!」
余りの衝撃に座り込むエリス達に、駆け込んできた兵士は頭を抱え、更に顔を青ざめさせながら告げる。
地響きは、次第に近づいているようだった。
※
エリスの元に兵士が駆け込む数刻前――
幾つもの死骸が転がり、彼方此方で金属の衝突音が響く。
青々とした草原は所々が朱く染まり、魔法によって生じた火炎が所々で煌々と揺らめいていた。
その惨状の中、周囲一帯に突如異様な地響きが鳴り渡った。
すわ敵の攻撃魔法かと身構えた兵士達の目は、あらぬ方向、虚空の一点に釘付けになっていた。
その視線の先にあるものは、雲を突き抜ける程高くそびえ立つ黒い影。
※
「何が……?」
地響きをエリスが訝しむ間もなく、本陣そのものが轟音を立てながら崩れ去った。
「きゃぁっ!?」
「エリス様!」
傍らの側近に庇われて致命傷を避け、その場に倒れこんだエリス。
立ち上がってどうにか目を開いた視界の先には、跡形もなく崩壊した本陣と、折り重なって倒れ込む革命軍の兵士達。
エリスを庇った側近も、既に絶命しているように思えた。
舞い上がる土煙の向こうで、雷鳴と濁流を合わせたような異様な駆動音が響き渡る。
「ここまで来て……そんな……」
突如襲い掛かった窮地に、絶望的な表情を見せるエリス。
そのエリスに狙いを定めるが如く、駆動音が聞こえる距離は狭まっていく。
「カムロさん……!」
巨大な何かがエリスの体を捉えようとした瞬間、目を閉じてエリスは叫んでいた。
かつて自身の窮地を救った者の名を、生涯で初めて切なく暖かな気持ちを抱いた、あの者の名を。
「……?」
と、訪れる筈の衝撃が、何時まで経っても感じられない。
不気味な駆動音はすぐ側から聞こえているのに、それはエリスの近くで静止しているようだった。
「ギリギリ間に合った、って感じかな」
不意に聞こえた懐かしい声に、思わず目を開けたエリスの前にいたのは。
「久しぶり、エリス」
優しげに微笑む、あの少年の姿で――