第三十四話 そして戦場へ
緩やかな小川が流れるすぐ傍、あちこちに小さな石が転がっている河川敷で、手頃な大きさの石に腰を下ろす。
丁度時刻は正午くらいだろうか、川のせせらぎに陽光が眩しく反射していた。
「そろそろ焼けるかな……」
暖かな焚き火の火に焼かれて、串に刺さった魚から香ばしい匂いが漂う。
いつもならここで相棒が食い意地の張った発言でもするだろうが、今ここに相棒の姿はない。
というのも、ここに居るのは俺ともう一人だけだからである。
ようやく目的地であるルミレースに着いたものの、皇女誘拐犯として手配されている身としては大っぴらに町を闊歩する訳にもいかない。
様子を身に行っているミルドと相棒を待つ間、こうやってルミレース近郊の森に待機していたのだ。
そんな俺の目の前には、相変わらず縛られたままの少女の姿が。
とは言っても、軽く両手首を拘束しているだけで、既に逃げ出す気も無く落ち着いた様子なのだが。
しかし、今だ少女は全くこちらと会話する意思が無かった。
「魚、食べる?」
「……」
何か話しかけても万事この調子が続くのだ。
参った……
このままこれがずっと続くと言うのは、余りにも不毛だ。
かと言って、年端も行かない少女を放り出していくわけにも行かないし。
そもそも、この子には聞きたい事が色々あるんだよな。
「ご主人!」
と、下流方向から元気の良い声が響いた、どうやら相棒が帰ってきたらしい。
その後方から、ミルドが少し遅れて歩いてくる。
「何か収穫はあった?」
「実は……」
浮かない顔をしたミルドから聞かされたのは、予想外の事実。
「反乱軍に占領されたって!?」
「はい……」
俺達が向かおうとしていたルミレースの街は、既に反乱軍の拠点になってしまっているというのだ。
「それで、ミルドの知ってる人も何処かへ行っちゃったんだって」
街は今のところ平穏に統治されており、特に混乱等も起こっていないようだが、帝国領内へ逃げ込んだ人も多いそうだ。
ミルドの知人もすでに避難した後だったらしい。
「しかも、何か大変な事になってるって」
続けて聞かされたのは、更に驚くべき事実。
「反乱軍と帝国軍の決戦か」
既に反乱軍は集結を終了させており、それに呼応する形で帝国軍もコントウナ平原を挟んで大軍を動員しているらしい。
「噂程度しか聞けませんでしたが、一両日中には始まるのではないかと」
自分にはあまり関係のない話だと思っていたけれど、ここまで事態が進んでいればそうも言ってられないか……
「あの、カムロさん」
不意に背後からミルドから話しかけられ、考えが中断する。
「うん?」
ミルドはすぐ近くまで距離を詰めており、振り向いた俺はまじまじとその美貌を見つめてしまう。
「不躾なお願いをしても良いでしょうか」
そんなこちらの様子を知ってか知らずか、真剣な顔をしたミルドが告げた願いとは――
※
コントウナ平原の一角、周囲を見渡せる小高い丘の上に、革命軍は本陣を敷いていた。
立ち並んだ兵舎の中、一際大きな建物の中に革命軍リーダーであるエリスの姿はあった。
「既に兵の集合は終わっております」
「遂に、この時が来たのですね」
部下からの報告を受け、感慨深く目を閉じるエリス。
マーム独立の、その前からずっと続いてきた戦いも、ようやく終りが見えようとしていた。
「エリス様、客人が」
「こんな時間に?」
と、不意に伝令兵が扉の外から呼びかけて来た。
既に夜分遅く、明日の決戦に備えて休息を取る時間なのだが。
「ええ、サモニスからの援軍だそうですが……」
告げられたサモニスと言う言葉に、エリスの表情が変わる。
「お通しして下さい」
程無くして、エリスの前に現れたのは、無骨な鎧を着込んだ大男の姿。
「お初にお目にかかる、儂はサモニス公国軍特殊活動攻撃隊隊長、ジング・ドルスベイと申す者」
サモニスは特殊な術士しか使えぬ召喚術で有名な国であるが、目の前の男はそれに似合わぬ豪快な武人のように見えた。
「大変遅くなり申したが、帝国へ戦いを挑む革命軍に助力しに参った」
目の前で用件を告げる男を見て、エリスは疑念を抱いていた。
こんな時期に態々ここにやってくるとは、何か思惑でもあるのだろうか?
「いえ、協力感謝します」
しかし、膝を付いて恭しくこちらに頭を下げる姿からは他意は感じない。
本当に革命軍への援軍に来ただけなのだろう、とエリスは考え治す。
「あの……サモニスの方なのですよね」
暫しの沈黙の後、エリスは敢えて柔らかい口調で話し出す。
これから尋ねることは、エリスの個人的な事柄であると自覚していたから。
「生まれも育ちもサモニスであります」
「なら、カムロ……という人をご存知ですか?」
躊躇いがちに切り出すエリスの顔には、悲しみとも喜びとも取れる複雑な表情が浮かんでいた。
「何故カムロ殿の事をお尋ねに?」
「それは……」
逆にジングから尋ねられ、エリスは滔々と語り出した。
カムロがマーム独立へどのように関わったか、どれだけカムロに助けられたか等を。
「成程、カムロ殿はそこまで活躍されておったか」
それを聴き終わったジングは、笑みを浮かべて答えた。
共にいた時期こそ少ないものの、ジングは共に戦った仲間が活躍しているということに素直に喜びを感じれる者であった。
「やはり、知っておられるのですか!」
ジングの言葉に、少し興奮した様子で答えるエリス。
「然り、じゃが残念ながら、儂も今カムロ殿が何処におられるかまでは……」
その反応に対して、ジングは申し訳無さそうに返す。
「そうですか……」
「一応はワシの部下と言う体裁になっていながら、面目ない」
「いえ……」
頭を下げるジングと、意気消沈した様子のエリス。
「ですが、カムロ殿程の使い手が、生半可な事でどうにかなるとは考えられませぬ」
エリスを励ますように、ジングは敢えて明るく振る舞う。
「ええ、私もそう思います」
あそこまで人智を超えた力の持ち主ならば、例え100万の軍勢に囲まれても平然としているだろうとエリスは思う。
流石に皇女誘拐犯になっている事は、エリスにとっても予想外だったが……
「何のお役にも立てず、申し訳ない」
「そんな、カムロさんを知っている方に会えただけでも嬉しいですから」
「そう言って頂けると、こちらとしても気が休まりますな」
結局収穫はなかったものの、エリスの顔には何か吹っ切れたような笑みが浮かんでいた。
「決戦は明朝です、今夜はゆっくりと体を休めてください」
「お心遣い、感謝致す」
最後にもう一度深々と頭を下げたジングを見送り、エリスも明日の戦いに備えて自身の寝床へ帰っていた。
「私は、私に出来る事を……」
ベッドに腰掛け、調節された仄暗い照明に照らされながら、エリスは決意を新たにする。
決戦の時は、既に間近まで迫っていた。