第三十三話 仮面の下に見えるもの
真夜中、宿屋の簡素なベッドで目を覚ます、もう一度寝ようと試みるものの、どうにも目が冴えてしまって寝付けない。
いつの間にかベッドから落ちて床に転がっていた相棒を抱え上げて寝かし、気分転換に宿屋の外へ出ることにした。
田舎の宿場町は夜になれば明かりもなく、ただ月明かりがぼんやりと辺りを照らしているのみ。
満天の星空を眺めながら宛もなく歩いていると、村外れの空き地で見知った顔を見つけた
「ミルドも眠れないのか?」
ミルドはベンチに座りながらじっと空を見上げ、物思いに耽っているようだった。
「カムロさん……」
月明かりに照らされて儚げな表情を浮かべるミルドは幻想的な美しさを放っており、思考が一瞬止まりかける。
どうにか平静を保って隣に腰掛け、何でもない風を装った。
「やっぱり気になるよな、手配書の事」
「すみません、私のせいで」
やはりと言うべきか、責任感の強いミルドは手配書のことを気に病んでいるらしい。
別にミルドが悪い訳ではないのに頭を下げられると、なんだか申し訳ない気持ちになってしまう。
「大丈夫、何とかなるって」
こちらの危機感が足りないのかもしれないが、別に指名手配されたくらいで危機に陥るとは思っていなかった。
今までだってどうにか乗り越えてきたのだから、という自信があったのかもしれない。
ミルドの顔に生気が戻りかけ、こちらを向いて何かを言いかけた、その時。
「危ない!」
「え……?」
不意にミルドに突き飛ばされ、俺達は折り重なって地面に倒れこんだ。
「うわっ!?」
と、丁度さっきまで頭があった空間を、何かの巨大な爪が通過して行くのが見えた。
あのまま座っていれば、あの爪に脳天を切り裂かれていただろう。
「外したか……!」
爪が飛んでいった方向を見れば、そこには巨大な鳥に乗った仮面の人物の姿が。
大きさは10m位だろうか、羽毛の色は薄い茶色、鉤型型に曲がった嘴と鋭い爪など、猛禽類を思わせる特徴を持っている。
「お前、あの時の!」
顔面に装着された仮面の紋様を見て、いつか崖で戦った仮面を思い出す。
海賊船で似たような仮面と戦った時に感じていた既視感は、こいつのものだったか。
今回右手に持っているのはM&Mの札ではなく、通常の召喚士が使う召喚札のようだが……
「行け! 姑獲鳥よ!」
仮面の命令と共に、姑獲鳥は凄まじい勢いでこちらに突進してくる。
「ちょっと待て、そもそもなんで俺を襲うんだ!」
その突進を紙一重で回避しながら呼び掛ける。
帝国軍ならともかく、この前も今回もこんな奴らに襲われる心当たりなど無い。
「問答……無用!」
こちらの事などまるで意に介さず、もう一度上空へ飛び上がった姑獲鳥の上から殺意を漲らせて叫ぶ仮面。
どうやら答える気はないらしい。
「ミルドは下がって!」
「は、はい」
ミルドを下がらせ、空中を不気味に飛び回る姑獲鳥に向き直る。
「俺のターン、ドロー!」
裂帛の気合と共にカードを引く。
ミルドに危害が及ぶ前に、手早く終わらせないと。
「魔法発動、浄化の殲光!」
この魔法の効果は、相手の魔物一体を破壊。
札から放たれた眩い閃光が、巨鳥の姿を掻き消した。
「ぐっ……やはりこの力は……!」
落下する仮面が右手を上げるのを合図に、数十体もの姑獲鳥が一斉に姿を表した。
それらは俺達をの周囲を一瞬で取り囲み、次々とその爪や嘴でこちらに襲い掛かり始めたのだ。
まさか、伏兵か……!?
「だけど!」
だが、これくらいでやられる程甘くはない。
「手札の魔法、物質合成を発動!」
「荒れ狂え、絶氷の凍牙! 我が敵に永劫の眠りを!」
宣言の後、高らかに祝詞が紡がれ始めると、俺の手に握られた三枚の札カードが、空中に浮き上がって正三角形の位置に配置された。
そして、魔法陣の如き神秘的な光の文様が空中に描かれ始める。
「合誓召喚!」
空中で両手を合わせ、その三角形の中央に全く新しい札カードが創り出す。
「クラス8、雪花の狩人!」
呼び出したのは、冷厳な氷雪の化身たる蒼き狼。
「雪花の狩人の効果発動! 自分の攻撃力以下の相手の魔物を全て破壊する!」
蒼狼から放たれた冷気が、周囲一面を白銀の世界に変えていく。
「こ・れ・で!」
周囲を囲んでいた巨鳥の群れが、一瞬で動かぬ氷像へと変わっていく。
それは一瞬で跡形もなく崩れ去り、後には欠片も残らなかった。
「な、何ぃっ!?」
その光景を見て、遠くから驚愕した仮面の声が響く。
仮面は現れた姑獲鳥達の一体に乗り、後方で様子を見ていたようだ。
その姑獲鳥に向け、狼の背に乗って一気に突進する!
「終わりだ!」
天高く跳ねた蒼狼の一撃が、姑獲鳥の体を貫いた。
「きゃぁぁぁっ!」
絹を引き裂くような悲鳴と共に姑獲鳥の姿は消え、仮面が持っていた召喚札も燃え尽きるように消滅する。
落下して来た人物を受け止めると、衝撃で既に仮面は割れていたようだった。
その素顔を見て、俺は驚愕することになる。
「女……の子!?」
腕の中で気を失っているのは、先程までの威圧感とは程遠い、あどけない顔をした少女だった。
歳は十前後だろうか、紫を帯びた青色の髪が鮮やかな色合いを見せている。
一体何故この少女は俺達に襲いかかってきたのだろうか、何故召喚術を使えたのだろうか、何故……?
その疑問に答えるものは無く、再び静寂を取り戻した街に段々と日が昇ろうとしていた。
※
柔らかい陽光に照らされて意識が覚醒する。
外からは小鳥の囀りが聞こえ、何者かが建物を走る振動が体に響く。
ここは一体……? 未だに起動しない思考をどうにか回転させ、現状を把握しようとする。
両腕は固く縛られていて身動きが取れず、装備していた武具も全て奪い取られてしまっているようだ。
そこまで考えて、昨晩あの男と戦い、敗北したことに思い至る。
となれば……
「あ、起きた」
目を開けて視界に入ってきたのは、あの男が連れている赤髪の少女。
外見こそ可愛らしいものの、その戦闘力は並みの召喚獣を遥かに上回っているらしい。
「ご主人! あの子起きたよー!」
その呼びかけから程なくして、忌々しいあの男、カムロ・アマチが姿を表した。
「ええっと、おはよう……でいいのかな」
そう言って此方を戸惑いがちに見るカムロ。
相変わらず間の抜けた顔だ、こうやってまじまじと見つめても、只の無害な少年にしか見えない。
だが……
「俺はカムロ、カムロ・アマチ、君は?」
「……」
敵に名前を問われて、素直に名乗る奴が居るとでも思っているのだろうか?
当然無言を通すが、カムロはその反応に戸惑っているようだった。
「カムロさん、おはよう御座います」
と、部屋に黒髪の女が入室して来た。
あれは確か、カムロと一緒に居た……
「おはよ、ミルド」
「おはよー!」
「お早うございます、私はミルド、貴方のお名前は?」
軽くカムロ達と挨拶を交わしてから、やはり名前を聞いてくる黒髪の女。
こいつらには緊張感というものが無いのか?
「……何故」
「え?」
「何故、助けた」
そのあまりに呑気な様子に、思わず予てからの疑問が口から出る。
あの崖での戦いの際に、こいつは自らの命を危険に晒してまで、自分の命を奪おうとした者を助けた。
一体何故そんな事をしたのか、何度考えても全く理解出来なかった。
「なんでって言われてもな……」
こちらの問に、頭を抱えて考えこむカムロ。
「ご主人にそういうこと聞いても無駄だよー、だって、何にも考えてないもの」
「ああ……!」
赤髪の少女が笑いながら告げた言葉に、黒髪の女も両手を叩いて感心した表情を見せる。
「いや、そんなこと……あるかも」
軽く頭を掻きながら、カムロは苦笑いを浮かべていた。
「貴様ら……巫山戯ているのか!?」
何なのだこいつらは、全く意味が分からない……
「まあまあ、これでも食べて落ち着けって」
と、カムロは寝床の上に置いてあった菓子を私に差し出した。
「それボクのー!」
「あとで私の物を分けてあげますから……」
「本当!?」
そう言いながら赤髪の少女と黒髪の女はじゃれ合っている。
理解が追いつかない状況の中、こちらは只困惑することしか出来なかった。