第二十八話 落下、また落下
エリスが手配書を見る少し前――
脳内を幾つも小さな虫が這いまわっているような気持ち悪さと痛みで目を覚ます。
体中に鈍い痛みが走り、また背中にごつごつとした鈍い感触を受ける。
どうやらまともな寝床ではなく直接地面に寝転んでいるようだ。
「ご主人、大丈夫?」
薄目を開けたそこにいたのは、心配そうにこちらを見つめる相棒の姿だった。
「あ、ああ」
まだ鈍ったままの思考を覚醒させつつ、周りを確認する。
まるで隕石が落下したような巨大な円状のクレーターが地面を抉っており、その中心に俺が倒れていた。
確か俺はあの海賊船での戦いで、仮面の男の特攻からクリスを庇ってその直撃を食らった筈。
そこまで思い出して、右手に握ったままの札に視線が動く。
それは魔法札『鉄壁の護り』だった。
効果は一ターンの間自分へのダメージを完全に無効化する事。
この魔法を咄嗟に発動したことで、俺に対するダメージは完全に無効化出来たのだ。
あれほどの爆発だ、まともに食らっていたら欠片すら残らなかっただろう。
…怪我がなかったのは思惑通りだったんだけど、まさか衝撃でこんなところまで吹き飛ばされるとは。
っていうかここは何処なんだろうか?
見渡す限り鬱蒼とした木々が広がるのみで、人の気配は全く感じない。
取り敢えずは、現在位置を把握したい所だけど……
「ここにいても仕方ない、か」
立ち上がり、相棒を伴って宛もなく歩き出す。
暫く森の中を歩くと、木々の間に小さな湖が見え始める。
ここから坂道を降りていけば、数十分程度でたどり着けるだろう。
何気なく自分の体を見遣る、倒れていたせいか泥などで所々が薄汚れていた。
あそこで服と体を洗うのも良いかもしれない、と考えてそちらに足を向けた、その時。
「危ない!?」
後ろから掛けられた相棒の叫び声に振り向く間も無く、足元の地面が崩れ落ちていた。
どうやら湖に気を取られて、足場が不安定になっていた事に気が付かなかったらしい。
落下で受けていたダメージのせいもあったのか、抗うことも出来ずに体は崖を転がり落ちていく。
そのまま速度を増した体は、丁度ジャンプ台のようになっていた断崖から飛び出し。
「うわぁ!?」
情けない声を上げながら、俺は空中へ放り出され。
「ぁぁぁ……」
そのまま湖へと落下した。
落下時にかなりの衝撃が体を襲ったが、飛び込んだ体勢が良かったのか怪我などは無いようだ。
地面に叩き付けられなかった幸運に感謝しつつ、湖の中から体を起こす。
だがすぐに俺は、自らの不幸を呪う事になる。
「あなたは……?」
顔を上げたそこにいたのは、一糸纏わぬ姿で水浴びをする穏やかな顔の美女だった。
歳は俺と同じくらいだろうか、全体のラインはまるで彫刻のように整っており、その中で特にふくよかな胸が目を引く。
それを引き立てるように腰まで伸びる青みががった黒髪が水に濡れて色っぽくしなだれていた。
美術館に飾られている絵画の如き光景に、俺は状況も忘れてしばらく見入ってしまっていた。
※
「本当に、申し訳ありませんでした!」
「ましたー!」
相棒と一緒に湖畔の地面に額を擦り付ける。
「顔を上げてください、事故だったのですし……」
飾り気のない服に着替えた女性の口調からは怒りを感じなかったものの、表情は糸目を保っていて内心が全く読めない。
何せ見ず知らずの男にいきなり裸を見られたのだ、普通は怒るのが当然だろう。
謝ったくらいで許してくれる筈もないが、他に出来ることも考えつかずに、そのまま俺達は土下座の体制を暫し続けていた。
女性が渡してくれたタオルで体を拭き、焚き火を囲んで座る。
相棒が魚を取ってきてくれるのを待ちながら、未だ気不味さを感じつつ女性と対面していた。
「それで、あなたはこんなところに何を?」
優しげな表情と口調で話し掛けてくれる女性からはやはり敵意を感じないが、糸目も相変わらずでこっちとしては気が抜けない。
「……信じて貰えるかは分からないですけど」
別に隠すつもりもなかったので、海賊船で戦っていたら爆発でここまで吹き飛ばされたと正直に話す事にした。
只話すだけで信じて貰えるとは思わなかったので、カードを目の前で使ってみたり、実際に召喚術を幾つか披露しながら説明した。
「まあ、貴方は召喚士なのですね!」
「は、はい」
と、何が琴線に触れたのか、女性はこちらの話に予想外の食付きを見せた。
俺の両手をがっしり掴み、顔を紅潮させてはしゃぐ姿に、照れると同時に可愛らしさを感じる。
今までの境遇や召喚術について興味を見せた彼女に、俺はそれから暫く色々な事を語って聞かせる事になった。
彼女はその全てを真剣に聞き入っていて、話しているこっちが気恥ずかしくなる程だった。
「行く宛が無いのなら、私の家に来ませんか?」
全てを話し終わった時、彼女から意外な申し出が。
「それは有難いですけど……」
ここが何処かも把握できていない俺にとっては願ったり叶ったりである。
だが、さっき知り合ったばかりの彼女に頼ってしまって良いのだろうか。
しかも、あんな失礼な事をしてしまったのに……
「すみません、自己紹介もまだでしたね」
こちらの沈黙を何か勘違いしたのか、彼女は申し訳無さそうな顔をしてから姿勢を正してこちらに向き直った。
その様子を見て、逆にここで断るのも失礼だと考えを変える。
「俺はカムロ、カムロ・アマチです」
「私はミルグレ……ミルドと申します」
「ミルドか、宜しく」
「はい!」
互いに照れながら握手をした俺達の後ろで。
「ご主人、お魚取ってきたよー!」
両手いっぱいに魚を持った相棒の脳天気な声が響いていた。