第二十六話 決斗、大海獣
「なんだあれは!?」
目の前に現れたのは、濁った青の体色をした半透明の巨人。
幅は15、6m、高さはその倍くらいだろうか、中型船であるアルゴー号の船体よりも遥かに大きな巨体。
余りに大きすぎて、昼間だというのに完全に陽光が塞がれてしまっていた。
まるでこの船だけが、影の中で闇に支配されたかのように。
「あいつは俺がやる、クリス達は下がって!」
あれ程巨大な敵を生身で相手取るのは難しい、ここは召喚獣の出番だろう。
「俺のターン、ドロー!」
「召喚! 森の賢者!」
眼前に大きな猿形のモンスターが現れる。
今の手札では大型魔物を呼べないので、取り敢えず小型魔物を呼び出したのだ。
「森の賢者で攻撃!」
そのまま巨人に突進した森の賢者の拳が、まともに巨体を捉える。
小手調べに出した攻撃だったが、予想外に有効だったか……?
「無駄ですよ!」
その期待は、余裕たっぷりの仮面の男の言葉で打ち砕かれた。
直撃していた筈の一撃を受けても、半透明巨人はまるで意に解さない様子であったのだ。
攻撃の当たった部位は僅かに抉れたものの、時を置かず全く元通りに復元されていた。
「増援か!?」
それだけでなく、巨人から飛び散った無数の水飛沫が船体に落ち、意思を持ったように人型を為して襲い掛かってきたのだ。
一つ一つは丁度人間大、材質はあっちの世界のスライムと同様だろうか。
手には鋭い銛を持っており、ある程度の戦闘能力を持っていることを伺わせる。
「援護するぞカムロ!」
「助かる!」
一瞬で囲まれてしまった俺だったが、いつの間にか隣に立っていたクリスが長剣と片手銃でそれらを蹴散らしてくれた。
森の賢者もその腕力を活かした豪快一撃で、次々とスライム達を吹き飛ばしていく。
だが……。
「切りが無い……」
どれだけ切り裂こうと、銃弾を浴びせようと、スライム達は暫くすれば元通りに再生していたのだ。
しかもその数は、段々と増殖するように思えた。
数の猛威に押され、次第に俺達は船尾へと追い詰められてしまう。
「残念ながら貴方達に勝ち目はありません、何故ならこの母なる海こそが私の、共潜の力なのですよ」
共潜の上から、こちらを見下ろして高らかに宣言する仮面の男。
その声には自信が満ち溢れており、こちらに対する圧倒的な優位を全く疑っていないようだった。
「私は……私は、こんな所で!」
押し寄せるスライム達を前にし、首を大きく振って普段からは想像できない程に取り乱すクリス。
いつも凛々しいクリスでもこんな風になるのかと、深刻な状況に拘らず少し感心してしまう。
「大丈夫」
その肩に努めて優しく手を置き、安心させるように話し掛ける。
こっちに来てから、この程度の窮地には慣れっこだ。
別に慣れたかったわけでもないのだけど。
「え……?」
振り向いたクリスの横顔は普段の飄々としたものとは違い、まるで気弱な深層の令嬢のようだった。
それを間直で見て、一瞬心臓を掴まれたような気分になってしまう。
いくら美形だからって、クリス相手に何考えてるんだ俺は……
「俺のターン、ドロー!」
気を取り直して札を引く。
日課の成果が出たのか、思い通りの札をドロー出来た。
「海が得意だって言うんなら……!」
出来るかどうかは分からないが、策なら既に思い付いた。
「疾風の使者を召喚!」
札を翳し、目の前に翠の小鳥を呼び出す。
「自分の場に他属性の魔物が存在し、相手の場の魔物の数が自分の場より多い事により、覚醒条件成立!」
既に場には地属性の森の賢者が存在している、条件は満たしていた。
「吹きすさぶ悠久の風よ! 秘められし力、覚醒めざめさせ、心無き者達を戒めん!」
祝詞と共に、小鳥の内部から眩い翠光が放たれ始める。
「覚醒召喚!」
そして、その光が頂点に達し。
「クラス9! 疾風の支配者!」
通常であれば小鳥はその姿を巨鳥に変える……筈であった。
が、俺達の目の前に巨鳥は現れない。
「何を繰り出すのかと思いましたが、虚仮脅しのようですね!」
共潜の上に乗り、指揮者のように両手を天に掲げて勝ち誇る仮面の男。
その仕草に呼応するかの如く、スライム達の攻撃も激しさを増す。
「さあ、終わりです!」
止めとばかりに仮面の男の右手が勢いよく振り下ろされ、共潜の巨体が俺達を押し潰――
「終わるのは……お前だ!」
――さなかった。
「何ぃっ!?」
男が乗っていた共潜も、操っていたスライム達も、一瞬で霧散し姿を消していたのだ。
目の前の光景を見て、信じられないといった声色を出す仮面の男。
隠れていて素顔が見れないのが残念だ、見えていたらさぞ面白い表情になっていただろうから。
「ふ、船が!」
「飛んでるー!?」
どうやら船員達も異常に気が付いたらしい。
そう、このアルゴー号そのものが、疾風の支配者によって遥か上空へと運ばれていたのだ。
「これで船酔いに悩まされる事も無い!」
船体下部に疾風の支配者を召喚し船そのものを飛ばす、実は前々から頭の片隅にあった計画だった。
海の不規則な揺れよりは、制御出来る疾風の支配者の方がマシだと思ったのだ。
と言っても出来たら良いな程度のもので、実際にやろうとは露程も考えていなかったが。
「む……無茶苦茶な……」
流石にこれは予想外だったらしく、仮面の男は完全に動きを止めていた。
水使いの性質上、水場から引き離されれば戦力が大幅に落ちるのだろう。
「クリス、止めだ!」
「ああ!」
合図と共に、クリスの長剣が目にも止まらぬ速度で振るわれた。
視界で一瞬白刃が煌き、閃光が×の字に空間を切り裂く。
「わ、私が負けるなど……」
一瞬で仮面の男は甲板に倒れ込んでいた。
辛うじて息はあるようだが、クリスの峰打ちが完全に急所を捉えたようで、暫くは起き上がれないだろう。
「流石だな、カムロ」
「クリスこそ!」
勝利の興奮を分かち合うように、頭上で互いの手を打ち合わせる。
難敵であったが、どうにか凌げたようだ。
※
慎重に疾風の支配者を降下させ、ゆっくりと船体を着水させる。
かなりの無茶をさせてしまったが、船に目立った損傷は無いようだった。
「は、ははは、それならば……せめて!」
と、倒れていた筈の仮面の男が、狂ったように笑い出したではないか。
半分ひび割れた仮面の下から覗く瞳は焦点が合っておらず、男は明らかに常軌を逸していた。
しかもその体からは、激しい光が独りでに発生していたのだ。
尋常ではない様子に、俺達が戦闘体制を整えようとした、その時。
「道連れになってもらいましょう!」
クリス目掛けて仮面の男が急速に突進し出す。
「クリス!」
咄嗟の判断でクリスを突き飛ばし、仮面の男の進路上に立った。
避ける間も無く、そのまま仮面の男は俺に直撃する。
「カムロ!」
クリスの叫び声が何倍にも引き伸ばされて聞こえる中、視界は眩い閃光に包まれて――