第二十話 黒鉄の来訪者
イルグスク市街の丁度中心に位置するドラウスク闘技場、重厚な歴史を思わせる古びた風格を持つその建物は、イルグスクが帝国に併合される遥か昔から存在し、町のランドマークともなっている。
古より数多の剣闘士が命を賭したそこで、今また新たな戦いが繰り広げられていた。
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建物全体の大きさはあちらの世界のサッカー場くらいだろうか、実際に行った事は無いが、写真で見たローマの闘技場とほぼ同じ雰囲気を纏っているように感じる。
左右に迫り出した観客席には、見渡す限り超満員の群衆がひしめいており、立ち見も少なからず見て取れる程の盛況振りだった。
詳しくは知らないが、ドラウスク闘技場で武闘大会が開かれるのは実に十数年ぶりらしいので、この盛況も当然なのだろう。
「運命断裂剣!」
命なき鎧騎士が大剣を振り下ろし、旋風が風の刃となって吹き荒れる。
眼前の対戦相手は為す術も無く吹き飛ばされ、木の葉のように宙を舞った。
「ペルジェイ選手、地面に激しく叩きつけられた! これは立ち上がれないか!」
早口でがなりたてる実況の耳障りな声が闘技場全体に響き渡る、よくよく考えるとマイクも無いのに不思議だが、恐らく魔法でも使っているのだろう。
伏したまま動かない対戦相手に、審判が駆け寄っていく。
程なくして、試合終了が告げられた。
「決着! またもや圧勝したのは、彗星の如く現れた少年召喚士、カムロ・アマチだ!」
歓声と怒号を背に受けながら、ゆっくりと控え室へ戻っていく。
「次に勝てば優勝ですよ、ご主人!」
控え室で実体化した相棒の激励を受け、決勝戦へ向け気持ちを落ち着ける。
とは言ってもこれまで全く苦戦しなかったので、恐らく決勝もそこまで警戒はしなくて良さそうだ。
無論楽に優勝できるならそれに越した事はないのだが、ここまであっさり優勝出来てしまうとそれはそれで面白くないような。
「さあ、遂に決勝だ!」
小一時間程の休憩の後、待ち望んだ決戦の舞台に立つ。
これに勝って賞金が手に入れば、レラの窮状を救える筈。
眼前の対戦相手は、オーソドックスな長剣を持った剣士。
特に警戒すべき点も見当たらない、これなら大丈夫そうだ。
と一心地付いた、その時。
突如周囲一帯に、耳を劈く高音が鳴り響いた。
巨大な肉食獣が放つ断末魔の如きその音は、誰も予想しなかった方向、闘技場の遥か上から聞こえる。
「上……から!?」
思わず見上げた天空から、逆光に隠れた黒い影がこちらを目掛けて急降下して来たではないか。
巨大な質量が落下し、地響きを伴って闘技場全体を揺らす。
衝撃で地面が抉れ、石礫が幾つも撒き散らされる。
土煙が晴れたそこに現れたのは、鈍い灰色をした鋼の巨獣。
大きさは小型飛行機程度だろうか、だだっ広い筈の闘技場でも、まるで動物園の狭い檻に見えてしまう程の巨体。
前方に付き出した二本の凶悪な鋏を持ち、何本もの足で大地を踏みしめるそれは、機械仕立ての蝲蛄だった。
そのグロテスクで不気味な外見は、かつて幾度も鉾を交えた人造召喚獣を思わせる、
帝国が俺の存在を知った時に、何か行動を起こしてくる事は予想しないでもなかった。
だが予想外だったのは、こんな目立つ場所で白昼堂々と襲撃を掛けた事。
そして。
「始めまして、サモニスの召喚士殿」
人造召喚獣の中から、生きた人間の声が響いてきた事だった。
「あんた、誰だ…!?」
動揺を悟られないように、努めて冷静に問いかける。
「私はベルナルド・ミドキズ、一介の科学者に過ぎませんよ」
帰ってきたのは、粘着性の罠を思わせるじっとりとした声。
「科学者が何の用だ」
「可愛い私の作品を蹂躙してくれた、その借りを返したいと思いましてね」
その声は冷徹な知性を感じさせながらも、こちらに対する確かな怒りを含んでいた。
まさか、あの人造召喚獣達を作ったのは……
「この"アスタシディア"の力、その身で味わって貰いましょうか!」
こちらを敵と認識したのか、瞳から不気味な鈍い光を放った鋼鉄の蝲蛄は、唸りを上げて闘技場一面に激しい咆哮を響き渡らせた。
その振動で再び土煙が舞い上がり、古びた闘技場の支柱が幾つか倒壊を始める。
派手な登場から予想は出来たが、周りの被害などお構いなしらしい。
「俺の先攻! 俺のターン!」
握られた五枚のカードを確認し、敵が動き出す前に攻撃を仕掛けた。
「手札の魔法、物質合成を発動!」
「荒れ狂え、絶氷の凍牙! 我が敵に永劫の眠りを!」
宣言の後、高らかに祝詞が紡がれ始めると、俺の手に握られた三枚の札カードが、空中に浮き上がって正三角形の位置に配置された。
そして、魔法陣の如き神秘的な光の文様が空中に描かれ始める。
「合誓召喚!」
空中で両手を合わせ、その三角形の中央に全く新しい札カードが創り出す。
「クラス8、雪花の狩人!」
呼び出したのは、冷厳な氷雪の化身たる蒼き狼。
「雪花の狩人の効果発動! 自分の攻撃力以下の相手の魔物を全て破壊する!」
蒼狼から放たれた冷気が、周囲一面を白銀の世界に変えていく。
それは眼前のアスタシディアも同様で、瞬時にその巨体は半透明の氷柱と化した。
だが、その氷柱に次第に罅が入っていくではないか。
「何……っ!?」
驚く間も無く、氷柱は内部から粉々に砕かれ、何事も無かったかのようにアスタシディアは姿を現した。
「それがどうかしましたか!」
お返しとばかりに口部から発射された火球で、雪花の狩人が一撃で撃破される。
まさか、雪花の狩人より攻撃力が高いのか……!?
動揺する暇も無く、動きの止まった隙を狙って素早い攻撃が繰り出される。
振り下ろされる巨大な鋏を、その内側に入り込むようにして回避。
これで死角に入る算段だったのだが、そう上手くは行かない。
「甘いですよ!」
まるでこちらの動きを予測していたように、丁度胴体にあたる部分から幾つもの小さな砲等が突き出したではないか。
狙い済まされたガトリング砲の絶え間ない射撃が放たれ、すわ絶体絶命かと覚悟を決めた、その時。
「旦那様ー!」
俺とアスタシディアの間に、土煙を上げながら滑り込んだ影が。
可愛らしいホワイトブリムが泥で汚れるのも構わず、ツインテールを揺らして全速力で突進して来たそれは。
俺を旦那様と慕うロボメイド、スアレの姿だった。
「スアレバリアー、展開!」
こちらを庇うように立つスアレの両手から発生した半透明の膜が、迫り来る射撃を全て防いでいく。
「お怪我はありませんか、旦那様」
突然現れたスアレに驚きつつも、礼を告げて隣に合流する。
スアレの話によれば、心配になったレラと一緒に武闘大会の途中から観客席で応援していたらしい。
レラは既に避難しているようで、心配は無いそうだ。
「旦那様の窮地とあらば、このスアレ、全力で戦います!」
そう言ってアスタシディアを向きファイティングポーズを取るスアレは可愛らしく、それでいて頼もしかった。
「メインシステム、戦闘モード、起動します」
と、起伏の無い電子音声が聞こえたその後に、スアレの淡い桜色の髪が警告を発するように金色に瞬き始めた。
ほぼ同時に、両腕と両足の間接から激しく火花が飛び散り出す。
「これは、まさか古の……」
その異様な光景を前に、アスタシディアを駆るベルナルドも圧倒されたように動きを止めた。
時間にすればほんの数秒、だがその一瞬が、この戦いの趨勢を決定付ける。
「スアレビーッム!」
瞬間、咆哮と共にスアレの両眼が激しく瞬き、一直線に放たれた閃光が敵の右足を刈り取った。
アスタシディアの巨体が均衡を失い、地面に倒れ込んで激しく砂塵を巻き上げる。
名前は間抜けだが、凄まじい威力だ。
「俺のターン! ドロー!」
アスタシディアが体制を立て直している間に、素早く札を引く。
スアレに負けてはいられない、ここから反撃開始だ。
「自分の札全てを墓地に送る事で、この札は条件を無視して召喚出来る!」
宣言と同時に、握られた札が次々と消失していく。
「霊冥へと導く深淵なる魂よ、罪深き者達の命を糧とし、我に勝利を! 召喚!」
「クラス8、漆闇の誘冥杖!」
高らかな詠唱の後に現れたのは、巨大な宝石をあしらえた漆黒の魔杖。
左手でそれを握り、眼前のアスタシディアへ向け狙いを定めるように構える。
「漆闇の誘冥杖の効果により、自分の場の魔物の攻撃力を、この魔物のそれに加算する!」
「行くぞ、スアレ!」
「はい、旦那様!」
互いの手を握り合い、一瞬瞳を交錯させてから、俺達は懇親の気合を纏って同時に叫びを上げた。
「スアレブラスター!」
「運命の審判!」
スアレの右手から放たれた桜色の光線と、魔杖から放たれた紫の閃光が空中で渦を巻き、螺旋を描いてアスタシディアを貫く。
鋼鉄の巨体に一瞬で大穴が空き、程なくして鋼鉄の蝲蛄はその動きを停止した。
「これ程とは……」
心底感嘆した口調で告げられた言葉は、この戦いの終わりを告げる銅鑼のようだった。
「今回は私の負けの様です、が」
小規模な爆発の後、アスタシディアの上部装甲が一部弾け飛び、中から白衣を着た不健康そうな男が現れた。
あいつがベルナルドか…?
その右手に握られていたのは、細かい装飾の施された神秘的な指輪。
もしや、あれは……
「この指輪に、見覚えがあるようですね」
その言葉は、こちらの推測をほぼ肯定したものだった。
「まさか、エリスの…!?」
独立のゴタゴタで消失したものだと思っていたけど、帝国の手に渡っていたなんて。
「これは私の研究室に保管してあります、もし取り返したければ直接来るのが良いでしょう、貴方ならいつ訪れても結構です、歓迎しますよ」
飄々とした態度でそう告げるベルナルドの顔は無表情で、まるで内心が読み取れなかった。
「興味深いデータが取れました、今回はこの辺でお暇させて頂きます、サモニスの召喚士殿」
「待て!」
こちらの静止をあざ笑うように、ベルナルドの周囲から激しい爆発が巻き起こる。
それが消えた時、アスタシディアの残骸も、ベルナルドの姿も全く残されてはいなかった。