第十八話 黒と黄の嵐
スアレが家に住んでから少し経ったある日、居間には素朴な服を着た客人が訪れていた。
イルグスク近郊の小さな村から来たその人は、わざわざ便利屋へ依頼する為だけにここまでやってきたらしい。
どうしても召喚士の手を借りたいというその依頼は。
「雀蜂の駆除、ですか」
別に便利屋に頼まなくても自分達でどうにでも出来そうな問題だと感じたが、依頼人は本当に困っている様子だった。
報酬も多いし、受けて損は無いと思ってレラに相談したのだが。
「私は辞めといたほうがいいと思うけど……」
レラはあまり乗り気では無いらしい。
雀蜂は確かに危険だけど、召喚獣を使って遠くから巣を一気に駆除すればそんなに梃子摺ることも無い筈、だよな。
「ご主人なら大丈夫だよ!」
と相棒が乗り気だったこともあり、連れ立って依頼場所まで向う事に。
※
その村は、家から歩いて三時間ほどの場所。
かなり開発の進んだイルグスクとは違って、まだまだ手付かずの自然が残るのどかな農村であった。
村の中心部、会議などに使うという広い建物の中で、駆除の予定に着いて話し合おうとした、その時。
「蜂が出たぞ!」
聞こえてくる悲鳴に、思わず外へ飛び出す。
慌てた様子で逃げ出す人々を掻き分け、その流れを逆に辿って行く。
丁度民家の角を曲がった、そこに居たのは。
「大き……い!?」
こちらの予想だにしない、とてつもなく大きな黄色と黒の物体。
六本の足と素早く振動する半透明の羽、後部から突き出す凶悪な毒針と、見た目はあちらの世界の蜂そのものであったのだが、そのサイズが異様だった。
小型自動車くらいはあるじゃないか、でか過ぎだろ。
しかもそれが、数十匹はある群れを為してこちらへ迫ってくる。
「あんた、雀蜂を見たこと無いのかい?」
よっぽど驚いていたのか、逃げる途中の村人から心配そうに話し掛けられてしまった。
「い、いや……」
「召喚士って言ってたけど、サモニスみたいな寒い所には、蜂は住んでないからねぇ」
そういう問題じゃない、と言いかけて止める。
どうやらここで雀蜂と呼ばれている物は、あれで通常サイズらしい。
今まで気に留めてもいなかったが、ここはれっきとした異世界なのだ。
なまじこちらの世界の知識があるせいで、感覚が鈍っていたのかもしれない。
あの巨大な蜂相手なら、レラが渋るのも当然だろうな……
「どうするのご主人!?」
このまま逃げたとしても、あちらの飛行速度のほうが早いし、周囲へ被害が広がりかねない。
戦うしかない……か。
相棒を札に戻して山札に入れ、それをシャッフルして準備完了。
迫り来る雲霞の如き雀蜂と退治する。
「俺の先攻! 俺のターン!」
この状況で先攻も後攻も無いとは思うのだが、言わないとしっくりこないので仕方がない。
「大地の白狼を召喚!」
言うが早いか、白い狼の背に跨って蜂の群れへ一直線に突進し始めた。
勿論正面からぶつかっても勝ち目は薄い、こちらの狙いは別にある。
「その効果で、もう一体の大地の白狼を召喚!」
丁度蜂の群れと衝突する寸前に、大地の白狼の効果を発動させる。
もう一体の狼を丁度蜂との間、壁になるように呼び出し、一瞬だけ蜂達の動きを止めた。
「悪い……!」
怒濤の如く襲い掛かる蜂の群れの前に、盾にした白狼が瞬時に撃破されていく。
ゲームなら気にも留めないが、実際目の前で慣れ親しんだ仲間が消えていくのは少し堪えた。
だが、感傷に浸っている暇は無い。
「この隙に!」
一気に狼を加速させ、蜂達の向かってきた方向へ駆け出す。
ここで大群を延々相手にしていても仕方がない、本拠地を潰さなければ。
と、腰部の山札が淡く輝いた。
どうやらこちらのターンが回ってきたらしい。
「俺のターン、ドロー!」
上下に激しく震動する白狼の乗り心地に四苦八苦しながら、どうにか札を引く。
取り合えず目的の札を引けた事に安堵した時には、既に村外れまで到達していた。
「どれだけ居るんだよ……!?」
進んでいくにつれ、襲い掛かる蜂の量も加速度的に増加していた。
それが進路の正しさを示しているのだけれど、同時にこちらへの危険も増す。
と、視界の先に八角形の幾何学模様がいくつも重なりあった巨大な建造物が現れた。
半径50mくらいだろうか、陥没した地面に半分埋まっていて全体は見えないが、途方も無い大きさであることは分かる。
どうやらあれが……
「うわっ!?」
異様な光景に気を取られていたのか、近づく蜂の群れに一瞬対処が遅れる。
ようやく巣らしきものに辿り着いたとほぼ同時に、乗っていた白狼も撃破されてしまった。
光の粒になって消えていく白狼から飛び降り、前転しながら着地。
一向に攻め手を休めない蜂達をどうにか躱しつつ、札を構える。
「魔法発動! 旋律の波動!」
手にした札から放たれる衝撃波が、周囲の蜂達の動きを止めていく。
「その効果によって、相手の魔物は一ターン攻撃が出来なくなる!」
取り敢えず命を拾ったが、周囲360度全てを蜂に囲まれた、まさに絶体絶命の状況であることに変わりはない。
暫く感じていなかった緊張感を自覚し、思わず口角が緩む。
「俺のターン! ドロー!」
裂帛の気合と共に引き抜かれたカードを大きく天へ掲げ。
「自分の札三枚を墓地に送る事で、この札は条件を無視して召喚出来る!」
高らかに祝詞を宣言し始めた。
それと同時に、札へどこからともなく光が収束し始める。
「戦慄け、絶斬の鋒! 不道の悪鬼に滅びを齎せ! 召喚!」
札から放たれる光が最高潮に達した、その瞬間。
「クラス8 導冥誘終刃!」
眩い光が弾け、俺の右手に禍々しい片刃剣が握られていた。
長さは丁度体の半分程、分厚い刀身が獲物を求めるようにぎらぎらと鈍く瞬いている。
成程、武器型の魔物を呼び出すと、自身が装備する形になるのか。
と感心していたのも束の間、周りの蜂達が次第に動きを再開し始めていた。
じっくり考察する暇はないようだ。
「その効果によって、自分の墓地に存在する魔物の攻撃力を、自分の攻撃力に加える!」
宙に掲げられた刃が、言葉と共にその長さを増していく。
変化をし終えた時、剣の全長は小さなビル程度まで伸びていた。
不思議なことに、これだけ大きな剣を構えていても、全く重さは感じなかった。
普通だったら、増大した剣の重量に押し潰されていただろう。
「救世断撃!」
その大きさに任せ、長大な剣を一気に巣へと振り下ろした。
それは空中に浮いた蜂達を巻き込みながら凄まじい速度で巣へ到達し、まるで豆腐に包丁を入れるが如くあっさりと――
※
「って大変だったんだよ」
時刻は既に夕刻、スアレが夕食の準備をしているのか、厨房からは軽やかな音が響いている。
レラ邸の居間、ソファーに深く腰掛けて、俺は事の顛末を隣に座るレラに語っていた。
「だから止めたほうが良いって言ったのに……」
呆れ顔で返すレラは、不機嫌そうに口を尖らせている。
今後はしっかり忠告を聞くと何度も謝ったのだが、まだ機嫌は治っていないようだ。
「そういえば、どうしてご主人はボクを使わなかったのさ」
膝の上に座る相棒も、レラとは別の理由で機嫌を損ねているようだ。
もっともこちらは軽く頬を膨らませているだけなので、怖いというよりも可愛らしいという感想しか出ないのだが。
「それは……」
「出来ましたー!」
丁度その時、スアレが厨房から大きな皿を持って嬉しそうに居間に入ってきた。
その皿の上には、甘い匂いを漂わせた黄金色のふっくらとした生地が。
「蜂蜜入りスポンジケーキです!」
あの後、お礼だとかで持ちきれない程の蜂蜜を報酬とは別に貰っていた。
相棒を使わなかったのはこのためである、あそこで殲滅の虐殺獄炎砲撃を使っていれば、蜂蜜もろとも全てが消滅していただろうから。
「甘い! 甘いよ!」
「うん、おいしい」
評判は上々のようで、レラも相棒もさっきまでとは正反対の笑顔を浮かべている。
この笑顔が見られのたなら、少しは頑張った甲斐もあったかな……
と、ケーキを食べながら一人感慨に耽っていたのだった。